福岡県柳川市は、江戸時代は柳川藩11万石の城下町でした。戦国時代の勇将として名高い立花宗茂を初代藩主とし、江戸時代を通じて柳川藩を治めてきたのが立花家です。
現在、柳川市内には、全国でも有数の質と量をほこる柳川藩主立花家伝来史料(うち国宝1件、重文3件)が残され、(公財)立花家史料館と、柳川古文書館にて展示・公開されています。また柳川市は、「立花氏庭園」「戸島氏庭園」「水郷柳河」と3件もの国指定名勝かかえています。これらの名勝はすべて、江戸時代に柳川で花開いた武家文化を成立背景としています。
WEB展示「城下町柳川と立花家の歴史」は、Google Art&Cultureを利用して、柳川市を中心とする旧柳川藩領内にある文化財のみどころを、歴史の流れのなかでわかりやすく解説しています。ぜひ、日々の生活や観光のなかで「城下町柳川」を発見して、柳川の街中に豊富に残されている文化資源を体験してください。
福岡県柳川市にある国指定名勝「立花氏庭園」。今も残る建物は、江戸時代に柳川藩主をつとめ、明治時代に伯爵となった立花家の邸宅でした。
アヤコ in 立花伯爵邸
立花伯爵邸の歴史と、立花家の16代目に生まれ、伯爵令嬢からサラリーマンの妻、そして料亭旅館の女将として、100歳まで生きた文子の人生は、どちらも明治43年(1910)から始まっています。
7歳の伯爵令嬢アヤコが「ワタクシのお家」をご案内します。
伯爵令嬢 立花文子
明治・大正・昭和・平成、激変する世の中を「なんとかなるわよ」と明るく生きた女性がいます。その名は立花文子。彼女の伯爵令嬢時代をふりかえります。
国指定名勝「立花氏庭園」
江戸時代には柳川藩主立花家の、明治時代からは伯爵立花家の邸宅であった名勝「立花氏庭園」。その歴史を残された絵図や古写真により、詳細にご案内します。
全国でも有数の質と量をほこる柳川藩主立花家伝来史料(うち国宝1件、重文3件)が柳川に遺されています。(公財)立花家史料館と、柳川古文書館では、常にその一部が展示・公開されています。
柳川古文書館
「大友家文書」「立花家文書」(共に重文)に代表される、約4万点の文書資料は、福岡県が設置、柳川市が管理・運営する「柳川古文書館」にて展示・公開されています。古文書館は、歴史を生のまま語る貴重な古文書などの史料を、福岡県筑後地方を中心に収集、保存するとともに、その史料を誰もが活用できるように整理して、調査研究を進めています。
近世大名立花家の名宝-現在の展示-
国指定名勝「立花氏庭園」内にある(公財)立花家史料館は、立花家の歴史を伝える5千件もの美術工芸品を収蔵しています。初代柳川藩主・立花宗茂をはじめとする歴代柳川藩主の甲冑ほか、立花家の歴史を伝える優品を紹介する平常展示と、季節ごとにテーマを設定した特集展示にて、収蔵品を公開しています。