初代藩主・立花宗茂が元和6年(1620)に柳川に再封されて以来、明治維新まで代々柳川11万石を治めてきた立花家。大名であった江戸時代の立花家は家格に相応しい刀剣を多数所持していましたが、現在、立花家史料館が所蔵する立花家伝来の刀剣は20口にも及びません。しかし、これらの刀剣は、国宝の短刀や重要文化財の剣をはじめ、立花家にとって最も重要な刀剣ばかりであり、刀剣が今に至るまで残されてきた経緯には、そのまま立花家の歴史が映し出されているのです。
本特集展示では、柳川藩主立花家に伝来した刀剣と鐔・目貫・小刀・笄などの刀装具を紹介するとともに、難解と思われがちな刀剣の鑑賞法をわかりやすく解説します。名刀といわれる刀剣の機能美を、立花家の歴史とあわせて充分にお楽しみください。
また、柳川藩主立花家にて代々受け継がれてきた5千件もの美術工芸品のなかから、学芸員がオススメする名品を紹介するスポット展示「大名家の美と格式」では、江戸幕府の御用絵師・狩野探幽の絵画作品4点と、探幽の作画を元にしたと伝えられる鞍を展示します。
平常展示では、初代柳川藩主・立花宗茂所用の鉄皺革包月輪文最上胴具足からはじまる歴代柳川藩主の甲冑、初代柳川藩主・宗茂が初代福岡藩主・黒田長政から譲られたと伝える火縄銃 銘墨縄と、姫さまたちの婚礼調度、雛、雛調度、御所人形、賀茂人形、嵯峨人形がご覧いただけます。
「江戸幕府の御用絵師 狩野探幽」
狩野探幽(1602〜1674)は、狩野派全盛の基礎を築いた永徳の孫として、京都に生まれました。16歳で徳川幕府の御用絵師となり、73歳で没するまで、京都二条城、名古屋城、大坂城、江戸城、京都御所をはじめ、江戸や京都の大寺院を飾る絵を描き、大名家を中心に数多の作品を残しています。余白を重視した瀟洒淡泊な探幽の画風は、室町時代後期からはじまる狩野派の画風を一変させ、新しい様式を確立しました。
狩野探幽は江戸幕府の開封時から召し抱えられました。探幽以降、幕府御用絵師の最高の職位は、世襲によって代々狩野派が勤めることとなります。江戸時代の大名にとって、絵画は、鑑賞を楽しむ美術品であるだけでなく、自らの格式を示す重要な道具でありました。そのため、幕府御用絵師であった探幽の作品は諸大名から求められ、多くの大名は幕府にならって狩野派の絵師を召し抱えました。
1 刀を身につける | ||
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「刀装具」は、刀を保護し、携帯して使いやすくするための部品です。刀装具のまとまりを「拵」といい、作られた時代や刀の携帯方法によって形式が異なります。江戸時代は、刀の刃を上にして左の腰帯に差す「打刀拵」が主流でした。 | ||
名称 | 時代 | 作者 |
黒笛巻塗鞘打刀拵 | 江戸時代後期 | |
潤塗祇園守紋蒔絵刀筒 | 江戸時代末期〜明治時代 | |
2 刀装具にみる彫金技法 | ||
名称 | 時代 | 作者 |
雪華文透鐔 | 江戸時代 | |
雲龍金象眼鐔 | 江戸時代初期 | 後藤光春 |
波に翔鶴図小柄 | 江戸時代中期 | 後藤全乗 |
仁王図目貫 | 江戸時代 | |
鯱図大目貫 | 江戸時代 | |
3 名刀を語り継ぐ | ||
英雄の愛刀が名刀として貴ばれ、実物大で描き写される例は少なくありません。刀の図は次々と描き写され、武勇伝とともに語り継がれました。立花家に伝来した本巻子には「新田義貞の長刀」「友田金平の鑓」「森長可の鑓」「服部半蔵の鑓」の姿が留められています。 | ||
名称 | 時代 | 作者 |
新田義貞朝臣長刀図 | 寛政4年(1792) | |
4 立花家の宝刀 | ||
足利尊氏から拝領した「吉光の短刀」【国宝】、近世大名立花家の初代・戸次道雪が雷を切ったと伝える「雷切丸」、初代柳川藩主・立花宗茂が父・高橋紹運から譲られた「長光の剣」【重要文化財】。どの刀も由来と共に、立花家の重宝として大切に伝えられてきました。 | ||
名称 | 時代 | 所用者 |
【国宝】短刀 銘 吉光 | 鎌倉時代 | 室町幕府初代将軍・ 足利尊氏から拝領 |
脇指 無銘(雷切丸) | 鎌倉時代〜室町時代 | 戸次道雪〜立花宗茂 |
刀 無銘 伝兼光 | 南北朝時代 | 初代柳川藩主・立花宗茂 |
脇指 銘 貞宗 | 室町時代 | 初代柳川藩主・立花宗茂 |
短刀 銘 安吉 | 南北朝時代 | 初代柳川藩主・立花宗茂 |
【重要文化財】剣 銘 長光 | 鎌倉時代 | 初代柳川藩主・立花宗茂 |
刀 無銘 伝鄕義弘 | 南北朝時代 | 7代柳川藩主・立花鑑通 |
鑓 銘 兼勝作 | 室町時代 | |
5 柳川ゆかりの刀剣 | ||
江戸時代に柳川で作刀した刀工には、田中吉政が柳川城主時代に召し抱えていた下坂鍛冶の一派をはじめ、初代柳川藩主・立花宗茂が奥州棚倉(福島県)から柳川へ戻った際に同行した鬼塚派、福岡藩から移ってきた信国派などが知られています。 | ||
名称 | 時代 | 所用者 |
脇指 銘 柳川住直安 | 江戸時代後期 | |
鑓 銘 柳川住源信国吉英作 | 江戸時代後期 | |
薙刀 銘 山城大掾藤原国次 | 江戸時代 |
名称 | 時代 | 作者 |
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中鍾馗左右瀧図 | 寛文10年(1670) | 狩野探幽 |
立浪龍竹虎図 | 江戸時代初期 | 狩野探幽 |
中寿老左旭鶴右松鹿図 | 寛文元年(1661) | 狩野探幽 |
黒漆地鯉の瀧登図蒔絵海有水干鞍 | 江戸時代中期 | 下画 伝狩野探幽 |
狩人図 | 寛文6年(1666) | 狩野探幽 |