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大河ドラマ「立花宗茂」でぜひ見たい!家臣との絆のエピソード

2023/6/2

なぜ、立花宗茂の甲冑の袖が、小野家で伝えられてきたのでしょうか?





我らが大先輩、渡辺村男さんは、このように書いています。

※あとで解説しますので、読み飛ばしてかまいません。
臨場感あふれる描写を、わたしだけが楽しむのは勿体ないので長めに引用しました。
表記は原文のままですが、漢字の旧字体だけは新字体に変換しています 。

小野成幸 小伝 

(前略)碧蹄館の役先鋒隊長の一人たり。午前の戦争中勇猛を振ひ敵を斬る事多し。時に 成幸 両袖あれば敵を斬るに邪魔となるを以て、之を切り捨てゝ奮戦せり。

宗茂 休息中 成幸 を招き 其奮闘抜群を賞す。且つ曰 鎧の袖なきは甚だ見苦しき也。故に軽き袖を与るを以て之を著けよ。又敵将の持ちたる団扇を与へて曰、之を以て部下を指揮せよと。成幸感泣して曰 之を以て功を建て其恩に報せんと。

正午の激戦 成幸 金甲の先鋒隊を率ゐ敵の本陣に突貫す。時に宗茂の隊は常に中堅を砕き直進し、其左右と後方とは浮田[引用註:宇喜多]小早川等の軍に委ね咸な殊死驀進す。其状恰も疾風の秋葉を払ふが如し。狼狽せる敵中一将あり、成幸 馬を躍らして之に薄る、遂に重囲に陥り戦死す。

其後 其子孫 唐団扇を以て家紋となし、又宗茂より賜ひし鎧の両袖は今尚之を保存すと云。(後略)

渡辺村男 『碧蹄館大戦記 』大正11年(1922)民友社 246・247頁

渡辺村男 著『碧蹄館大戦記』,渡辺村男,大正11. (163コマ)
国立国会図書館デジタルコレクション 〔 公開範囲:送信サービスで閲覧可能〕


小野成幸は、文禄元年(1592)に宗茂とともに朝鮮に渡った、2千5百もの立花軍の一員でした。翌2年(1593)1月、朝鮮漢城〔現在の韓国ソウル〕北方の碧蹄館における明軍との激戦の中で、成幸は動きの邪魔となった両袖を切り捨てます。

袖とは、両肩につける、鎧の一部品です。
甲冑の袖は、古くは矢を防ぐ盾となるように大型でしたが、火縄銃が主戦力となる16世紀末頃からは、動きやすさが重視されたのか、次第に小型化していきます。成幸も袖は無用だと思ったのかもしれません。

しかし、袖のない成幸を見た宗茂は、見苦しいからと、自分の鎧の軽い袖を与えて、着けさせます。

当時の鎧は、基本的に頭、胴、腕、股、臑を守る部品のデザインをそろえ、一式として着用するものでした。他は自分の鎧のまま、宗茂の袖をつけた成幸は、ちぐはぐに見えたはずです。
それでも成幸にとって、 主君の袖は大きな誉れでありました。それに報いんと先鋒隊を率いて奮戦し、残念ながら戦死を遂げます。


この話の袖こそが、小野家に伝来した 「金白檀塗色々威壺袖」(柳川古文書館所蔵) ではないかと考えられるのです。



なんとドラマティック!!

とても宗茂らしいエピソードだと、わたしは勝手に思っています。

忠義な家臣との絆を感じます。
そして、平和な儀礼の場ではない、厳しい戦いの合間に、袖を邪魔だと言う家臣に、見た目が悪いという理由で袖を与える、宗茂の空気の読めない大らかさがステキです。

刀や鑓ではなく、身に着ける防具をやりとりするなんて……
NHK大河ドラマ「立花宗茂」が実現したら、絶対にこのシーンは見たい!

主君の宗茂から拝領した袖に、 さらに主筋の大友家の家紋「杏葉紋」の金具が付いていたとしたら、成幸や小野家にとって、非常に大きな誉れであったと想像されます。だからこそ、本人の死後に異国の地から持ち帰られ、大切に伝えられてきたのでしょう。

「金白檀塗色々威壺袖」と「杏葉紋」については
コチラを150秒みるだけでOK‼



実際、ともに小野家に伝来した具足の他の部分(柳川古文書館所蔵)と、袖とを見比べても、全くスタイルが異なるため、袖だけを宗茂から拝領した話にも頷けます。さらに、唐団扇紋のついた指物も、具足と同じ櫃に納められて伝来しているのです。



袖のやりとりは本当にあったんだ!
村男さんは嘘つきじゃなかった!

わたしたちは、その場で見ていたかのように描写しながらも、引用元を明かさない村男さんの話を、話半分か四分の一に聞いていたので、2016年秋の”袖の再発見” は、とても嬉しい驚きでした。

喜びのあまり、おむかいの黒田屋菓子舗さんで、特注の袖ケーキまで作ってもらっちゃいました。(とても美味しいケーキだったので2回言いました)


村男さんが調査した100年前は、今では失われてしまった史料も残存していたのでしょうか?
小野家伝来の袖の存在も、宗茂と成幸のやりとりも、当時の柳川ではよく知られていたのかもしれません。

しかしながら、近代から現代にいたる間に、袖の話はいつしか忘れ去られてしまっていたのです。


実は、この袖のやりとりは、江戸時代の武具類の台帳に記録されていました。
逆に言えば、村男さんの著作以外では、武具類の台帳でしか確認できません。

現在確認できる、最も古い記録はこちらです。
武具類の台帳なので、前後のやりとり等は省略され、いたってシンプルです。

一、 御鎧  壱領
立斎様朝鮮御陣中御召 負箱ニ〆外箱入 
右者文禄年中於朝鮮御陣中 御袖小野喜八郎江被為拝領候 其後同御陣中ニ而御袖小田部新助進上仕 唯今之御袖ニ御座候

「御道具改御帳」(柳河藩政史料1011-2) 安永7年(1778) 柳川古文書館所蔵

朝鮮御陣中において、御袖を小野喜八郎へ拝領せられる。其の後、同御陣中にて、御袖を小田部新助が進上つかまつる。 唯今の御袖がそれである 。

ノットドラマティックに、袖のやりとりが淡々と記録されています。


小野喜八郎は小野成幸のこと、 小野和泉守鎮幸の従兄弟です。小田部新助は、立花宗茂の姉妹[栄長院殿]の夫となる小田部統房だと考えられます。
どちらも天正10年(1582)頃には戸次道雪の近臣として名前が確認され、宗茂とともに朝鮮に渡りました。

■ 小野成幸
・白石直樹「新市史抄片150 宗茂の養子入りと戸次家家臣」(柳川市HP「広報やながわ」2017.12.1号)※リンクが繋がらない場合はタイトルで検索してください。
■ 小田部統房
・堀本一繁「No.336 戦国時代の博多展8-安楽平城をめぐる攻防」(福岡市博物館HP > アーカイブズ > 企画展示
・「小田部新介小伝(中略)碧蹄館役常に宗茂の左右に侍り作戦計画に参加せり(中略)新介の子土佐統房亦豪胆にして奇行甚だ多し(後略)」( 渡辺村男『碧蹄館大戦記 』1922 民友社)
・小田部統房と立花宗茂の姉妹/高橋紹運の娘との間に生まれた娘[崇安院殿明誉大姉]は、立花宗茂の養女として2代膳所藩主・本多俊次(1595-1664)の正室となる。



あらためて、宗茂の袖を○、小田部の袖を□として図示してみます。

小野成幸 ●←拝領―○ 立花宗茂 ■←進上―□ 小田部統房

●の袖は小野家に伝来した「金白檀塗色々威壺袖」(柳川古文書館所蔵)。
となると、■の袖は立花家に伝来しているはず……


伝来していました。

2010年の調査で、小田部家の家紋がつく大袖が、立花家に伝来してきたことが再発見されました。小野家の袖が再発見される6年前です。

黒漆塗本小札藍韋威大袖 立花家史料館所蔵


大名道具をあつかう史料館の学芸員にとって一番の醍醐味は、伝来してきたモノ史料と文字史料の相乗効果により、新たな知見が得られることです。

この袖のやりとりは、その最たる例だといえます。

小野家拝領の袖、小田部家進上の袖、わずかな文字史料をあわせると、村男さんのドラマティックさを超える、史実のファンタスティックさが見えてきます。
だからこそ、わたしはこのエピソードを映像化してほしいと願うのです。


で、ドラマティックさを超えるファンタスティックさって、どういうこと?
皆さまの疑問にお答えできるよう鋭意執筆中です。 もう少々お待ちください。



参考文献
渡辺村男『碧蹄館大戦記 』1922 民友社、柳川市史編集委員会 編『柳河藩立花家分限帳(柳川歴史資料集成 第3集)』1998.3.20 柳川市

【立花家伝来史料モノガタリ】
立花家伝来史料として大切に伝えられてきた”モノ”たちが、今を生きる私たちに語る歴史を、学芸員と読み解いていきます。
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立花宗茂公の生誕450周年の節目となる2017年より地元柳川を中心に福岡県やゆかりの地など広域の官民団体で構成された招致委員会を発足、宗茂公と妻誾千代姫を主人公とするNHK大河ドラマ招致活動を展開中です。

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意外なところで再発見!立花宗茂の金色の鎧

2023/5/14

NHK大河ドラマ「どうする家康」にて、とても象徴的にあつかわれ、番組のアイコンともなっている金色の鎧、徳川家康所用「金陀美(金溜塗)具足」(静岡・久能山東照宮所蔵)【重要文化財】

ドラマのなかでは、家康が今川義元から贈られていました。

え、この話の流れ、立花宗茂で見たことある!!

実は宗茂にも、 “若武者時代に主筋から金色の鎧をもらう”というエピソードがあります。しかし、残念ながら、宗茂の金色の鎧は現存していません。
そもそも、宗茂の金色の鎧を着ていたことは、最近まで研究者にも知られていませんでした。



現存する立花宗茂の甲冑は2領「 鉄皺革包月輪文最上胴具足」と「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」。どちらも立花家史料館が所蔵しています。

ダークブラウンをベースにビビットな赤を差し色とし、それぞれの佩楯を金と銀にするという、派手さに走らないシックな装いです。
わたしは宗茂を、カラフルな色や金ピカさとは無縁のオシャレ上級者だと思っていました。



これらの甲冑について詳しく解説すると長くなりすぎるので、ご興味のある方は、オンラインツアー【終了しました】にご参加いただけますと嬉しいです。

◆販売中◆ 解説本『立花宗茂の甲冑大解剖』(伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足 )16頁 300円/解説本『立花宗茂の甲冑大解剖Ⅱ(鉄皺革包月輪文最上胴具足)24頁 500円(どちらも税込・送料別)展示室では鑑賞しずらい裏面や細部の拡大写真と詳細な解説。◎ B6判オールカラー ※まとめての購入は送料がオトクです






ところが、7年ほど前に、柳川藩士小野家の御子孫宅にて、大切に伝えられてきた 「金白檀塗色々威壺袖」(柳川古文書館所蔵)が再発見され、この認識がくつがえされます。

高精細画像なので、金具を拡大して家紋をご覧ください

金白檀塗の7枚の横長板を、上から紫、紅、白、紫、紅、白と色を変えた毛引威でつなぎ、壺のような曲線で肩にフィットする形にした壺袖。 “金白檀塗”とは、金箔を貼った上に透明な漆をかぶせる技法です。ちなみに、金溜塗は、金泥を塗った上に透明な漆をかぶせるので、同じ金色でも発色が違います。

注目ポイントは、杏葉紋のついた金具です。



この袖が宗茂のものと比定できる要因の1つが、杏葉紋です。

大友氏が寄進したと伝わる「白檀塗浅葱糸威腹巻」(大分・柞原八幡宮所蔵)【重要文化財】 や「大友の鎧(色々威腹巻)」(長崎・松浦史料博物館所蔵)など、宗茂の主筋であった大友氏ゆかりの甲冑との関連を感じさせます。

まずはコチラを150秒ご覧ください

「金白檀塗色々威壺袖」「白檀塗浅葱糸威腹巻」「大友の鎧(色々威腹巻)」をすべてご覧いただけましたでしょうか?



つまり、宗茂の金の鎧は、主の大友義統(1558‐1605)から下賜された可能性が高いのです。


まさに、 “若武者時代に主筋から金色の鎧をもらう” です。



まことに残念ですが、小野家伝来の袖以外のパーツは失われているので、宗茂の金の鎧の全体像は、想像するしかありません。

しかし、当時の鎧は、基本的には各部品のデザインをそろえていたため、同じ杏葉紋をつけた「白檀塗浅葱糸威腹巻」(大分・柞原八幡宮蔵) を参考に、小野家伝来の袖のスタイルを他の部品にも反映させた、「金白檀塗色々威具足」復元イメージ図を、”立花宗茂生誕450年記念特別展『立花宗茂と柳川の武士たち』“のために作成しました。

作画をお願いした大久保ヤマトさんが、いかにも宗茂が着ていそうな金の鎧のイメージ像を、考証に忠実に、とても緻密に描いてくださってます。

「金白檀塗色々威具足」復元イメージ  
大久保ヤマト氏作画

わぁ、格好いい!

白檀塗によるキラびやかな金色とカラフルな威糸は、現存する宗茂の甲冑の配色とは対照的で、これまで誰も想像しなかった宗茂の若武者姿になりました。

白檀塗の明るく透明感のあるゴールドに、毛引威の威糸が前面に出ていて、華やかで上品です。さすが、オシャレ上級者!
威糸の紫、紅、白の3色の組合せもステキ。ケーキにしても、すごく映えます。



宗茂と誾千代 NHK大河ドラマ招致活動サイト

先日、浜松まつりでパレードする、金の鎧を着た松潤殿をTVで拝見しました。
とてもとてもウラヤマシイ……

立花宗茂と誾千代がNHK大河ドラマになった暁には、出演者の方々に、ぜひ柳川で水上パレードしてほしいと心から願っております。
そのときは、当館所蔵のオシャレ甲冑も捨てがたいですが、やはり光り輝く金の鎧の方が映えるかなという思いのまま、ここまで書きあげてきました。






それでは、皆さまの疑問にお答えしましょう。
なぜ、立花宗茂の甲冑の袖が、家臣の小野家に伝来したのでしょうか?





参考文献
国指定文化財等データベース(文化庁)、「しずおか文化財ナビ 金溜塗具足」(静岡県HP)久能山東照宮(静岡県)柳川古文書館(福岡県)柞原八幡宮(大分県) 松浦史料博物館(長崎県)

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立花家史料館では、大久保ヤマトさんに、さまざまなイラストを描いていただいてます。
各イラストのエピソードなどが聞けるインタビューは↓

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立花家史料館は開館しています

2021/5/7

ご無沙汰して申し訳ございません。
前回投稿から1年ちょっと過ぎてしまいました。

この1年についてごくごく簡単に振り返ります。

緊急事態宣言を受けて、立花家史料館は昨年の4月6日から6月1日まで休館しました。

立花邸も閉鎖

西洋館や家政局の電気も消えました

ちょうど桜の季節でした

約2か月の休館を経て、6月2日からは開館時間を短縮して、毎年恒例の刀剣展を開始。

通路を限定しての開館

秋には博物館実習の学生さんの受け入れも行い、10月3日からは秋のテーマ展を開催。

立花宗茂の柳川再封400年記念特別展も、12月4日にはなんとか無事に開幕することができました。

そして今年の4月25日、立花家史料館は開館27周年を迎え、これからの幸いへ願いをこめた、宗茂所用兜紅白スタイルのケーキでお祝いしました。

またこの期間の大きな出来事といえば、クラウドファンディングへの挑戦があります。
2か月の休館と、その後の入館者数の激減により運営費が非常に逼迫。
立花財団の所蔵する立花家伝来品が散逸の危機に陥ってしまったことから、クラウドファンディングでご支援をお願いしましたところ、おかげさまで当初目標の3倍以上にあたる2200万円余をご支援いただきました。
あらためて感謝申し上げます。

さて2021年5月現在、立花家史料館は感染症対策を万全にしたうえで、必要最小限の人員での開館を維持しています。

開館時間や休館日は公式サイト内のカレンダーでご案内しています。
このような状況ですので、先の予定がなかなかご案内できなかったり、急に変更となったりする場合がありますが、何卒ご了承ください。
急な変更等は公式サイト公式twitterアカウントでおしらせいたしますので、そちらをご確認ください。

また学芸員につきましては、現在も業務縮小が続いています。
レファレンスやお問い合わせメールへの対応に時間がかかる等、ご不便をおかけしておりますが、何卒ご理解をいただきたく存じます。

スタッフが誰一人欠けることなく博物館活動を続けられることに感謝しつつ、私たち立花家史料館は、これからも活動の充実を目指してまいります。

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立花家の令和コンビ

2019/4/23

5月1日からの新元号が「令和」と発表されて
3週間と少し経ちました。

今年のゴールデンウィークは長いお休みだし
令和ゆかりの地めぐりでもしてみようか
という方もいらっしゃるでしょう。

全国各地に令和ゆかりの地があるようですが
その中でも今人気が高いのは太宰府でしょうか。
新元号が発表されてからというもの
人々が押し寄せているとの噂を聞きました。

太宰府天満宮(立花家の古写真より)

 

 

 

 

 

 

 

 

令和にゆかりがなくてもいいけど
なんとなく令和が感じられる場所に行きたいな、という方に
ぜひおすすめしたい場所があります。
それはここ、柳川です。

 

 

 

 

 

 

実は歴代立花家当主の中に「なんとなく令和な」コンビを見出しました。

 

 

さて、ここでまずは新元号「令和」の出典をみてみましょう。

初春令月
気淑風和
梅披鏡前之粉
欄薫珮後之香

『万葉集』の「梅花の歌三十二首」の序だそうです。
この中で注目したいのが
初春の令「月」と白粉のような「梅」です。

 

立花家で「月」といえば、立花宗茂(立花家2代)。

 

 

 

 

 

 

 

 
月輪モチーフの甲冑を身に着けた戦国武将です。

鉄皺革包月輪文最上胴具足

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして「梅」といえば、戸次道雪(立花家初代)。

福厳寺蔵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
戒名は「福厳寺殿梅岳道雪大居士」。
葬られた立花山養孝院は後に梅岳寺と改名されています。

 

 

 

 

 

 

 

つまり立花家の初代と2代は、なんとなく令和なコンビなのです。

令和コンビの2人

 

 

 

 

 

 

 

立花家の令和コンビにゆかりのものを見ることができるのが
柳川にある「立花家史料館」です。

7月15日まで開催している特集展示「刀を見る、伝来を知る 柳川藩主立花家伝来の刀剣」では
二人にゆかりのある刀剣を紹介しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは「梅」担当、戸次道雪ゆかりのこちら。

脇指 無銘(雷切丸)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戸次道雪が雷を切ったと伝わる刀です。
梅担当武将は、実は雷担当武将としての方が有名だったりします。

 

次に「月」担当、立花宗茂ゆかりがこちら。

【重要文化財】剣 銘 長光

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実父高橋紹運から譲り受けた剣です。
ほかにも、ずばり月モチーフの兜も展示しております。

伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「令和」とは特につながりませんが
なんだかおめでたい気分になる国宝もおすすめです。

【国宝】短刀 銘 吉光

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

令和ゆかりの地・太宰府から、令和コンビゆかりの地・柳川までは、西鉄電車が便利です。
太宰府観光列車「旅人」や、柳川観光列車「水都」で、素敵な旅をお楽しみください。

 

まもなく始まるゴールデンウィークには、「なんとなく令和」を感じる立花家史料館へ。
令和コンビゆかりの刀剣たちが、みなさまのご来館をお待ち申し上げております。

 

[おまけ]
毎年、館長の誕生日にオーダーするオリジナルケーキ。
今年は令和ケーキにしてみました。
宗茂の金地三日月図軍扇に梅の花が一輪。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柳川藩士の末裔であるパティシエに作っていただきました。

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朗読上映イベント時のお宿をお探しのあなたへ

2017/3/29

昨年11月13日、立花家史料館では
「立花宗茂と誾千代-葉室麟『無双の花』朗読イベント-」を開催しました。

イベントの一場面

 

 

 

 

 

 

会場いっぱいのお客様にお越しいただき
大盛況のうちに幕を閉じました。

 

 

 

 

 

 

 

このときの興奮がよみがえるイベントが
来たる5月14日に開催されます。

「葉室麟 小説『無双の花』朗読舞台 -戦国最強の夫婦 立花宗茂と誾千代-
朗読舞台上映とその後の物語」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年の朗読は、京へ上る宗茂と病身の誾千代の別れの場面まででした。
今回は、昨年の朗読(全4場)を上映した後
物語のその後が、舞台上で朗読されます。

その他の詳しい情報はこちらをご覧ください。
なお葉室麟さんの舞台上へのご出演はありません。

今年生誕450年を迎えた立花宗茂と、おんな城主関連で人気上昇中の誾千代。
二人の物語をぜひ朗読でお楽しみ下さい。

 

 

さて、イベント前日もしくは当日に泊まる宿をお探しのあなたへ
耳よりな情報をお届けします。

柳川藩主立花邸御花では
5月13日、14日に九州戦国御膳プランでご宿泊のお客様へ
特別なサービスがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「九州戦国御膳プラン」については以下のブログで事細かに解説されていますので
ご参照ください。

柳川藩主立花邸御花 スタッフブログ
九州戦国御膳with熊本城おもてなし武将隊 試食編その①
九州戦国御膳with熊本城おもてなし武将隊 試食編その②
九州戦国御膳プラン、出陣!

※特典の武将めざまし時計は、ときどきアップデートされています。
ブログ掲載時とは内容が変わっている場合もあります。
詳しくはフロントスタッフへお問い合わせください。

 

【特別なサービス その1】
朗読上映イベントの整理券をご用意します。

4月1日より立花家史料館受付で配布する、朗読上映イベントの整理券。
13日、14日にご宿泊の方には、この整理券をお取り置きしておきます。

 

【特別なサービス その2】
特製「立花宗茂兜ケーキ」をご提供。

柳川藩士の血を引くパティシエが作る、特別なデザートがこちら。

 

 

 

 

 

 
輪貫と鳥毛を再現したフォルム
口いっぱいに広がるチョコレートの芳醇な甘さ
宗茂ファンにも、そうでない人にも嬉しい一品です。

 

【特別なサービス その3】
立花家史料館ノベルティのタンブラーをプレゼント

こちらが立花家史料館でノベルティとして製作したタンブラーです。

さてこの台紙に使われているのは何の写真でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗茂の兜の後立でした。

 

タンブラーをくるりと回すと反対側はこんな感じです。

さてこの部分に使われているのは何の写真でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉄皺革包月輪文最上胴具足の胴の部分でした。

このように、さりげなく宗茂なデザインにしていますので
オフィスや街中でもお気軽に使えるのではないかと存じます。

 

リラックスタイムにも睨みをきかせていたいあなたのために
替えの台紙もご用意いたしました。

 

 

 

 

 

 

みんな大好き「べっきどうせつ」。
色を塗るもよし。このまま使うもよし。
お好みの戸次道雪にしてお楽しみください。

 

なおこちらのタンブラー、ちょっと使ってみたのですが
洗う際には本体をカバーから取り出した方がよさそうです。

この状態にして洗おう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隙間から水が入り、戸次道雪(の台紙)がしわしわになってしまいましたので。
密閉ではないので、斜めにすると中身が滴り落ちます。持ち歩きの際はご注意を。
容量は、街のコーヒーショップのショートサイズぐらい。
耐熱は100度。
あたたかいお飲み物と、宗茂・道雪への熱い想い(100度以下で)を注いで
楽しくお使いください。

 

最終的にタンブラーの解説になってしまいましたが
本題は
5月13日、14日に柳川藩主立花邸御花の九州戦国御膳プランで宿泊すると
特別なサービスがいろいろある
ということでした。
是非ともこの機会のご利用をおすすめします。

 

最後にフロントスタッフからのお願いをお伝えしておきます。
ホームページからもご予約いただけますが
整理券の件などでお尋ねしたいこともありますので
お電話でご予約ください
だそうです。

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ひみつのお茶会

2012/9/25

9月23日(日)。
柳川藩主立花邸 御花 松濤館4階 鶴の間に
怪しげなボードが掲示されました。

20120925_01

「立花宗茂とすごすディープな昼下がり ティーパーティー」

これはいったい何のパーティーなのか?

話はおよそ一ヶ月前に遡ります……

立花家史料館では、twitter公式アカウント開設以来
順調にフォロワー数が増えていきました。
そしてめでたく500を超えた際には、スタッフのみで宴を開催しました。
その後もさらにフォロワーは増え続け
9月6日、おかげさまで遂に1000を突破いたしました。

1000を超えたらお茶会をしよう!
そういう話は前々からあったので、そろそろ1000の大台が見えてきた8月13日、
室長のアカウントでこのような発表がありました。

20120925_02

ちなみに「上谷あさ子」は、室長のtwitter名です。
そして1000を超えた時点で、具体的な日程・場所・応募方法が発表されました。

20120925_03

この「立花宗茂とすごすディープな昼下がり ティーパーティー」(以下、お茶会と略す)は、
室長の個人的なご招待という形式をとりましたので
史料館公式アカウントでの告知はなし(リツイートもなし)。
申し込み受付はtwitter上でのみ。
ですので、会の開催自体をご存知なかった方も多いかもしれません。

スタッフも、どれくらいの参加者があるか、全く見当が付かず、
もし一人もいなかったらみんなでケーキやけ食いの会にしようね
などと言っていたのですが、
いざ蓋を開けてみたら、14名もの参加表明をいただきました。

そしてお茶会当日を迎えます。

お客様には、入口で「合言葉」を言っていただきます。
この合言葉は、お一人お一人違うものが告げられています
しかもそれは立花家家臣の名前。

それぞれご自分の合言葉の席にかけていただくことになっているので
会場は立花家家臣団の会合であるかのような、不思議な雰囲気に。

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会場内には、これまでにブログやtwitterで登場したあれこれをご覧いただけるスペースを設置。

20120925_06

例えばこちらは、twitterでときどき触れる「境界線上のホライゾン」や「殿といっしょ」などの書籍。
宗茂や誾が出るところには付箋を貼ってあります。
一度ブログでご紹介したブルーレイディスクも。

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こちらもtwitterで紹介した、ポッカコーヒー戦国BASARA缶(全)
すでに中身はスタッフがおいしくいただきました。

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こちらは先ほども少し触れた、フォロワー数500突破記念「はなの舞」での宴で獲得した
無双シリーズカードの数々。

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ゴッドハンドで引き当てた雷切丸・島津義弘と、いただき物の長光。

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コンプリートしたスジャータ戦国武将シリーズ(蓋)と
大江戸鍋祭上映会に持参した「犬」うちわ

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展示期間が短く、あまりにも状態がよかったため
捨てるのがもったいなくなった特集展示バナー

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そして、出張「今日の宗茂くん」(お迎えバージョン)。

20120925_13

みなさん一通りご覧になったところで、お茶会のはじまり。

これまで立花家史料館が、「宗茂」と名のつくあらゆるものを
網羅的に拾ってきた格闘の歴史や、
今日の宗茂くん、twitter、そして最近始まったfacebookページの話が、室長から語られました。

さらには、肖像画をCGでアンチエイジングした宗茂を紹介。

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左が肖像画。
右は皺とほうれい線を消して、たるんだ顔のラインをフェイスリフト、生え際をちょこっと前進させた
若き日の宗茂(想像)。

さらに、宗茂が着ていた頃の色合いを想像しながら、具足を修正。
そこに金甲を盛ってみました。

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公式行事ではないので、このようなお遊び画像をいろいろ出しちゃいました。

さてティーパーティーというからには、スウィーツが欠かせません。
今回、特別にご用意したケーキがこちら。

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宗茂の兜ケーキ!
柳川藩主立花邸 御花の目の前にある、黒田屋さんに特注しました。
左の画像は前から、右の画像は後ろから見た図です。
しころ部分も絞り出しで再現。
チョコレート層の内側は、紅茶のスポンジケーキに
宗茂ファンにはおなじみのエピソードにちなんで、栗が入っています。

サーブに慣れていない史料室スタッフには任せておけないと、
サーブの得意なNマネージャー(営業)が自ら進んで執事となり
みなさんにコーヒーと兜ケーキをサービス。

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↑出番を待つケーキたち。

ちなみに輪貫部分は、直前にパティシエ氏がとりつけました。

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予備の輪っかたち。
ここの部分だけでもおいしい。
いいチョコ使ってますね。

さてお遊び企画とはいえ、
何事にも全力投球がモットーの史料室では
お土産も全力でご用意。

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今日の宗茂くんが「粗品」とつぶやく封筒には
ちょっとした資料と、
「西国無双が乗ってます」マグネットステッカー(手作り)。
ステッカーは、出来たそばから手近な金属に貼り付けていたので
制作中は書棚がこのような状態。

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西国無双だらけ。

ところで今回のお茶会には、スペシャルゲストがお越しくださいました。
それがこの…

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ソーモくん!
……ではなくて
舞台「戦国BASARA3」瀬戸内響嵐で、立花宗茂を演じられる
加藤靖久さんです。

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弊社の立花専務と一緒にパチリ。

加藤さんがお茶会にご参加くださった経緯を説明いたしますと
舞台「戦国BASARA3」瀬戸内響嵐の情報を得て
史料館アカウントで次のようなツイートをしました。

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するとすぐに、加藤さんから返信があったのです。

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あとでご本人に伺ったところによると
名前を出してもらってすごく嬉しかったんです、とのことでした。
「!」の数に、加藤さんの熱い気持ちを感じます。

その後、室長と加藤さんとの間でしばらくやりとりがあり
いつかご来館されるだろうなと思っていたのですが
お茶会の詳細が発表されるやいなや

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参戦を表明されました。

お茶会参加者で舞台「戦国BASARA」ファンの方は
宗茂役の役者さんの登場が、とても嬉しかったそうです。
お越しいただいて、本当によかった。

加藤さんは、ツイートの「!」からもわかる通り、お芝居に熱い気持ちを持った方でした。
素晴らしい宗茂を演じられることと、確信しております。
今回の参戦が、役づくりに少しでもプラスになりますように。

さてお茶会の方はというと、2時間ほどでお開きとなり
最後に希望者のみ、室長が史料館の展示をご案内して、無事終わりました。

このたびのお茶会、参加者は女性13名・男性1名(加藤さん除く)と、圧倒的に女性率の高い会でした。
みなさん宗茂以外に本命(武将)がいる、という割には宗茂に関しても詳しい。
楽屋裏トークばかりで、新しい立花家情報などは特にないイベントでしたが
楽しんでいただけたようで、安心しました。
そして主催者側としても、いろいろ参考になるお茶会でした。
二回目以降があるかどうかは……今のところわかりません。

【その後の加藤さん】

地元新聞の取材を受け、
柳川藩主立花邸 御花を満喫

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夕暮れ時の川下りを満喫

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史料室スタッフと共にお肉を満喫した後は、
夜の中洲の街へと消えてゆきました。

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