2019/2/9
去年9月に始まった、朝ドラ「まんぷく」で
安藤サクラさん演じる主人公の名前は立花福子。
この朝ドラ効果により、どうやら現在のところ一番勢いのある立花家は
萬平さんと福ちゃんの立花家のようです。
そこで今回は、他にこんな立花家もありますよというアピールとして
江戸時代には柳川藩主であった、伯爵の方の立花家を紹介してまいります。
伯爵の方の立花家で最初に伯爵になったのはこの人
立花寛治(たちばな ともはる)、立花家14代当主です。
農業で地元や国に貢献するという志を持ち
私財で柳川に農事試験場を開きました。
農事試験場で栽培されたブドウ
農事試験場では種苗交換会や農産物品評会を行い
農事の発展につとめました。
柿の出荷準備
東京にある屋敷を、上京した学生のための寄宿舎にしたりと
教育・育英事業の分野に力を入れたりもしました。
悪いものは体に入れない主義で
お酒や煙草は口にしなかったそうです。
ちなみに、伯爵の方の立花家は犬が好きなので
この後の写真にも頻繁に犬が登場します。
寛治の次の伯爵はこの人
立ち姿が渋い、立花鑑徳(たちばな あきのり)
立花家15代当主です。
伯爵の方の立花家は、ラーメンではなく蜜柑を作っていました。
鑑徳が開墾した広大な蜜柑園「橘香園(きっこうえん)」では
あの千疋屋でも取り扱われるような優良な蜜柑を育てていました。
橘香園は、現在も立花家の手によって運営されています。
橘香園開墾の様子
鑑徳の妻、艶子は田安徳川家の出身。
田安徳川家家族写真 後列右端が艶子
艶子の父は田安徳川家9代当主、徳川達孝。
徳川宗家16代、徳川家達の実弟にあたります。
鑑徳と艶子の娘、文子は明治43年に生まれました。
萬平さんのモデルとなった安藤百福さんが生まれたのと同じ年です。
右が文子 左は寛治の妻・鍈子、手前はスーちゃん(犬)
伯爵の方の立花家の一人娘はスポーツが得意。
家に作ってもらったテニスコートで練習に励み
昭和8年には全日本女子テニス選手権大会のダブルスで優勝しました。
そんな文子の元に、婿としてやってきたのが島村和雄。
元帥 島村速雄の次男です。
島村家家族写真 左端が和雄
和雄も文子と同じくスポーツが得意で
スキーは共通の趣味でした。
後列右端が和雄、その隣が文子
朝ドラの福ちゃんたちも克子姉ちゃんの香田家や真一さんと行き来がありますが
伯爵の方の立花家にも、親戚が遊びに来ます。
このときに来たのは、和雄の弟妹たちと文子の従姉妹。
みんなで海水浴や釣りを楽しむ様子を写したフィルムが残っています。
伯爵の方の立花家は塩は作りませんが、潮干狩りは好きです。
有明海の干潟で潮干狩りを楽しみます。
伯爵夫人も着物の裾をからげ、足袋着用で張り切って貝を探します。
右が伯爵夫人・艶子
和雄と文子に長男が生まれたのが昭和12年のこと。
初節句
ご先祖の戦国武将・立花宗茂の宗と、鑑徳の鑑をとって
宗鑑と名付けられました。
華族制度の廃止により
伯爵の方の立花家が、元伯爵の方の立花家になったのは
宗鑑が小学生の頃のことでした。
そして戦後の立花家は、既成概念をぶち壊す発想で困難を乗り越え
今の立花家へと続いていくのですが
それはまたの機会にでも。
タグ: 史料館YouTube, 宗鑑理事長, 立花文子
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2016/8/24
柳川市の小学校は、今日で夏休みも終わり、明日から授業が始まります。
そこで立花家史料館でも、暑かったこの夏を日記風に振り返ってみることにしました。
【7月1日】
大廣間の保存修理工事が始まる。
西洋館横にクレーンがやって来て作業開始。
大廣間では、金甲の片付け。
一方、大阪では
「とんブラ2016戦国バル」に出演する
当館スペシャルサポーター・立花宗茂さん(熊本城おもてなし武将隊)をサポートするべく
史料館スタッフも柳川キャラバン隊(with金甲)に参陣。
【7月2日】
アクロス福岡の文化学び塾で
次回展示の事前レクチャー講座。
11月13日開催のイベント
「立花宗茂と小説『無双の花』
『無双の花』朗読と葉室麟氏との語りで辿る、宗茂と誾千代、官兵衛と清正の心」
情報解禁
【7月3日】
館長は、北九州で立花家の茶道に関する講演会。
館では、迫り来る展示替えの準備大詰め。
【7月4日】
史料館が展示替え休館の期間、柳川藩主立花邸 御花の庭園入口で配布する
クリアファイル・絵葉書セットの袋詰め作業。
特集展示「よくわかる刀剣のみかた-柳川藩主立花家伝来の刀剣」終了。
【7月5日】
展示替え初日。
大活躍した雷切丸も収蔵庫へ。
立花家史料館公式twitterより
【7月6日】
大廣間の工事現場では足場の設置が着々と進む。
【7月8日】
こども企画展「あつまる!アニマル!たまに…オバケ?」はじまる。
展示替えに伴い、音声ガイドも更新。
こども企画展部分の声の出演は、板橋涼太さん。
「へっちゃらへいたろう」第1話スタート。
第1話のピックアップオバケはフレンドリーオバケ「ひとつめのすけ」
やぁ
【7月9日】
なぜか電話問い合わせの多い日。
18時過ぎに地震。
【7月13日】
柳川藩主立花邸 御花が施設メンテナンスのため全館休館。
それに伴い史料館も臨時休館。
史料館スタッフは出勤。
雷雨の中、某館の方が某資料の調査のため来館。
(情報の詳細は9月初旬に公開予定)
【7月14日】
NHK BSプレミアム「華族150年の旅路~激動を生き抜いた日本の名家~」(9月10日放映)の取材対応。
今日は史料館内で甲冑を撮影。
【7月15日】
昨日に引き続きテレビ番組取材対応。
西洋館2階に染付藤文ティーセットをセッティングしての撮影に立ち会い。
遂に伯爵令嬢・立花文子に光が当てられ、わくわくする。
立花文子(1910-2010)
福岡県博物館協議会(於石橋美術館)に出席。
「とんブラ2016戦国バル」の映像をYouTube公式チャンネルで公開。
【7月16日】
Google Arts & Culture の日本の匠プロジェクトをご覧になった海外の方からお問い合わせあり。
最近海外からのお問い合わせが多くなってきた。
「世界の立花家史料館」の片鱗が見えてきた予感。あくまで予感。
【7月20日】
総務ミーティング。
【7月24日】
コーエーのダーク戦国アクションRPG『仁王』に立花宗茂が登場し
主人公「ウィリアム」と戦うとの情報があったため
今日の宗茂くんに「ウィリアム」と言わせる。
立花家史料館 スタッフブログより
しかし誰にも気づかれず、twitterの「ブログ更新しました」は誰にもリツイートもされず、
スタッフからも「ウィリアムって何ですか」と言われる始末。
宗茂くん、ウィリアムさん、何かごめんなさいでした。
【7月25日】
「へっちゃらへいたろう」第2話スタート。
第2話のピックアップオバケはゆらゆらオバケ「ヒョウたん」
ゆらゆらしてるだけ 特になにもしない
【7月27日】
修理工事のために、朝からとてつもなく大きなクレーン車がやってくる。
高橋紹運の菩提寺である天叟寺で、岩屋城戦没者法要(431回目)。
1回も途切れず続いているとのこと。
読経の後、柳川みのり幼稚園の園児による劇「道雪と紹運~宗茂ふたりの父~」が披露される。
(この劇は10月1日の上半期発表会でも披露されるそう)
ちなみに前回の劇「立花宗茂-天に向かって、恥じぬ生き方こそ『立花』」はこちら。
平成28年度第2回文化講座開講。
立花家史料館が登録博物館となる。
【7月28日】
年に一度の早朝清掃日。
展示係ミーティング。
【7月29日】
資料係ミーティング。
大名道具収蔵館研究会と九州大名家資料研究会の開催についての打ち合わせ。
24日の「ウィリアム」の反省を踏まえてツイート。
立花家史料館公式twitterより
そんなこんなで7月が終わる。
その弐に続く。
タグ: Google Art&Culture, へいたろう, みのりっこ, 平成の大修理, 武将隊, 立花文子, 金甲, 雷切丸
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2012/5/8
作業のために、松濤園に船を出す
という話を聞きつけ、
どんこ船好きの史料室スタッフは
「乗りたい乗りたい」と騒いで、乗せてもらいました。
船から見る松濤園は、上から見るのとはやはり雰囲気が違います。
そして、当然ながら水面が近い(堀割で乗ったときよりも近い気がする)。
それだけで、いつもと印象が全く変わります。
それでは、松濤園クルージングのはじまりはじまり。
みなさま、左手に見えますのが、御居間でございます。
写っているのは、14代当主・寛治の居間と書斎です。
正面に見えますのが、鶴をイメージした島でございます。
今回のクルージングで、一番のおすすめポイントがこちら。
(写真では鶴の岩がちょっと邪魔してしまいました)
このときの船頭・Nマネージャー曰く、
植物は南向きに育つから、南からの眺めがよいそうです。
池をぐるりと廻りまして、
最後に見えますのが、亀をイメージした島でございます。
かわいいお花も咲いてます。
亀の島を巡ったところで、クルージングは終了。
みなさま、お疲れさまでした。
堀と違って、松濤園は岩だらけなので、船を細かく操作するテクニックが必要です。
水の中に隠れている岩もあるので
気をつけて先を見ていないと、たまに座礁したりします。
今回、船に乗りたいと言ったのには、「どんこ船好き」という他にも理由がありました。
実は、立花家15代当主・鑑徳の娘であり、16代当主・和雄の妻である文子さんが
松濤園で船遊びをしている古写真が残っているのです。
それを追体験してみたいと思ったのでした。
先頭で船を漕ぐのが文子さん。
後ろにいるのはお友達なのか親戚なのか。
昭和初期頃の写真と思われます。
この頃は伯爵令嬢であった文子さん。
自分の家のお庭なんだから、船遊びぐらいしますよね。
竿さばきは上手そうですが、やはり座礁したりしたんでしょうか。
その頃に比べると、松は大きく育ったけれど、
伯爵令嬢が眺めたのと同じ景色を堪能することができました。
タグ: 立花文子, 立花氏庭園
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