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速雄と宗茂あげます

2012/2/13

特集展示「立花宗茂の祈り/島村速雄」は、一部のみなさまからの大好評を博し
2月5日をもちまして無事終了いたしました。

立花家史料館では、現在開催中の展示の案内タペストリーを
柳川藩主立花邸御花の売店の窓に掲示しております。
現在はこんな感じです。

20120213_04

このタペストリーの「立花宗茂の祈り/島村速雄」で使用したものを
先着3名様に差し上げます。
ただしご来館の方(そして大事にしてくださる方)に限ります。

デザインはこれ

20120213_03

月面の如きつるんとした頭の速雄さんと、
肖像画の絹本の様子までわかる高精細の宗茂さんが特徴です。

屋外に掲示していたものですので多少の汚れやキズはあります。
ソフトクロスにエプソンのインクジェットプリンタで出力。
大きさは横約92センチ×縦約153センチ。

生地?アップはこちら

20120213_02

窓にカーテンのように飾れば、朝日(または夕日)に輝く速雄&宗茂を拝むことができます。
また天井に貼れば、速雄&宗茂が見守ってくれるようで、安心して眠ることができます。

速雄&宗茂タペストリーを、あなたのアイデアで楽しくお使いください。

使用例 カーテンの代わりに

使用例 カーテンの代わりに

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特集展示のみどころ紹介

2011/12/8

史料館は今日もまだまだ展示替え中。

ですが、一足お先に今回の特集展示のみどころをおしらせします。

その1.島村速雄から弟茂穂に宛てた手紙

20111208_04

この手紙は、明治40年(1907)に開催された第2回万国平和会議に
海軍側専門委員として出席するため、オランダのハーグに滞在中、
弟の茂穂に宛てて出した手紙です。
(ちなみに、このときの陸軍側専門委員は秋山好古です)
ハーグ滞在中に、次男が生まれ、
平和の「和」と速雄の「雄」をとって「和雄」と名付けられました。
この和雄がのちに立花家へ養子に入り、16代当主となります。

和雄の名は、茂穂がつけたのですが
こちらの手紙には「和雄トハ好キ思附ノ名ナリ、満足ス」
と書かれています。

ところで、この手紙は
速雄がそのときに泊まっていたであろうホテル
「HOTEL DES INDES」の便箋が使われています。
このホテルが今もあるんです。

20111208_0520111208_03

左は便箋に描かれていた、当時の外観、
右はホテルの公式サイトより、現在の外観。
HOTEL DES INDESは、1881年に建てられた高級ホテルで、
これまでに王様や貴族などをもてなしてきたと、公式サイトに書いてありました。
これは是非行ってみなければ。
「島村速雄の足跡を訪ねて」という名目の出張希望。

その2.立花宗茂のお守り

20111208_01

宗茂から2代藩主忠茂へ伝えられたとされる
全長20cm程の小さな掛軸です。
その大きさから、宗茂が陣中で身につけていた可能性も考えられます。

20111208_02

描かれているのは剣を持った摩利支天。
摩利支天は、太陽や月の光を神格化したもので
自在の通力を持ちます。
実体が無い為に捉えられず、傷つかないことから
武士の崇敬を集めました。

この「摩利支天掛物」は、
特集展示その2のトップを飾っています。

他にもみどころいろいろの特集展示。
開催は12月10日(土)からです。
速雄さんと宗茂さんのお顔が
史料館入口付近でお待ち申し上げておりますので
そちらを目印にお越しください。

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