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特集展示のみどころ紹介

2011/12/8

史料館は今日もまだまだ展示替え中。

ですが、一足お先に今回の特集展示のみどころをおしらせします。

その1.島村速雄から弟茂穂に宛てた手紙

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この手紙は、明治40年(1907)に開催された第2回万国平和会議に
海軍側専門委員として出席するため、オランダのハーグに滞在中、
弟の茂穂に宛てて出した手紙です。
(ちなみに、このときの陸軍側専門委員は秋山好古です)
ハーグ滞在中に、次男が生まれ、
平和の「和」と速雄の「雄」をとって「和雄」と名付けられました。
この和雄がのちに立花家へ養子に入り、16代当主となります。

和雄の名は、茂穂がつけたのですが
こちらの手紙には「和雄トハ好キ思附ノ名ナリ、満足ス」
と書かれています。

ところで、この手紙は
速雄がそのときに泊まっていたであろうホテル
「HOTEL DES INDES」の便箋が使われています。
このホテルが今もあるんです。

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左は便箋に描かれていた、当時の外観、
右はホテルの公式サイトより、現在の外観。
HOTEL DES INDESは、1881年に建てられた高級ホテルで、
これまでに王様や貴族などをもてなしてきたと、公式サイトに書いてありました。
これは是非行ってみなければ。
「島村速雄の足跡を訪ねて」という名目の出張希望。

その2.立花宗茂のお守り

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宗茂から2代藩主忠茂へ伝えられたとされる
全長20cm程の小さな掛軸です。
その大きさから、宗茂が陣中で身につけていた可能性も考えられます。

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描かれているのは剣を持った摩利支天。
摩利支天は、太陽や月の光を神格化したもので
自在の通力を持ちます。
実体が無い為に捉えられず、傷つかないことから
武士の崇敬を集めました。

この「摩利支天掛物」は、
特集展示その2のトップを飾っています。

他にもみどころいろいろの特集展示。
開催は12月10日(土)からです。
速雄さんと宗茂さんのお顔が
史料館入口付近でお待ち申し上げておりますので
そちらを目印にお越しください。

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戦国BASARAの宗茂

2011/11/21

戦国BASARAとは、CAPCOMから発売されている
「スタイリッシュ英雄(HERO)アクション」ゲームです。

「戦国BASARA」というからには、いろんな戦国武将が登場するのですが、
立花宗茂も戦国BASARA3から登場します。
そのときは敵武将だったのが、
今月10日発売の「戦国BASARA3宴」では、遂にプレイヤー武将として登場しました。

見た目はごっついのですが、なんかちょっと不器用で(強いけど)
愛すべきおじさんキャラです。

史実の宗茂は、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易され、
上方や江戸で、数年間の浪牢生活を送りました。
ストーリー第1章の、宗茂が島流しになってしまうエピソードは、
なんとなくそのことを想起させます。
鍋を食べるとかお祭りとかは…特に思い至りません。
ちなみに史実の宗茂は、その後奥州棚倉に領地を与えられ、
さらに1620年には旧領柳川に帰ってきました。
関ヶ原の際に改易された武将が旧領に復帰したというのは、他に例がありません。
すごいぞ宗茂。

戦国無双(コーエーのゲーム)の立花宗茂は、
家紋を上手に利用した、かっこいい王子様にデザインされており
これはいいなと思っていました。
一方、戦国BASARAの宗茂は伝来している具足を元にしたと思われる
キャラクターデザインになっており、
これもまたいいなと思います。

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「鉄皺革包月輪文最上胴具足(てつしぼかわつつみがちりんもんもがみどうぐそく)」
おそらくデザインの元になったであろう、宗茂所用の具足です。
この具足は、朝鮮出陣の折に着用したと伝わっています。
これを見ると、チェーンソー雷切は別として、かなり忠実にデザインされているのがわかります。
こちらは現在、立花家史料館で展示中。

ちなみに、本物の雷切丸はこれです↓

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「脇指 無銘(雷切丸)」です。
こちらは、立花宗茂の養父である戸次道雪(誾千代の実父)所用で、
現在は都城島津伝承館で展示中(12月4日まで)
写真は表と裏です。2本あるわけではありませぬ。

さて先日、史料室長が東京へ出張した際に写してきた画像。

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山手線 新大久保駅にいたBASARA宗茂さん。
20日まで山手線の駅にBASARA武将のポスター広告が掲示されていました。
彼は若い女性に囲まれていたそうです。
中には宗茂についてお友達に熱心に語っている、
宗茂ファンと思われる方もいらっしゃったとか。
ありがたいことです。

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立花宗茂の生涯をスジャータでたどる

2011/8/11

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1567年 豊後国国東郡筧において誕生しました。幼名は千熊丸。
この年に生まれた武将は他に、伊達政宗・真田信繁(幸村)がいます。
ちなみにこの3人は、一部ファンの間で「67(ろくなな)トリオ」と呼ばれています。

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1569年 実父高橋紹運が高橋家を継ぎ、宗茂も筑前国御笠郡岩屋城に移ります。
高橋紹運は豊後大友氏の家臣です。
実家は吉弘家ですが、大友宗麟の命で高橋家を継いだのでした。

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1587年 豊臣秀吉から筑後三郡を与えられ、柳川を城地と定めます。
同じ大友配下である戸次道雪の養子となり、やがて立花家を継いだ宗茂は
島津攻めの働きにより、「九州の一物」と讃えられ
筑後国山門郡・三潴郡・下妻郡の領地を与えられます。

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1597年 慶長の役で島津義弘らと共に戦います。
宗茂は朝鮮に出兵し、他の諸将と共に戦いました。
やがて秀吉の死をきっかけに帰還命令が出ます。
このとき島津義弘・小西行長・宗義智ら諸将と会談し、撤退の段取りを決定しました。
撤退途中、小西行長が退路を断たれたときには、義弘らと共に救援に向かいました。

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1600年 関ヶ原の合戦で西軍に加担、大津城攻めで活躍。
秀吉への恩義から西軍についた宗茂は、京極高次の守る大津状を包囲しました。
9月15日に高次は降伏します。
しかし同日、主戦場である関ヶ原で西軍が敗れたため
宗茂は家来を従えて柳川へ帰ります。

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1600年 加藤清正に柳川城を明け渡す旨の使いを送ります。
柳川に戻った宗茂は、江上・八院で東軍勢と戦い多くの家来を失いました。
そうして柳川城を明け渡した宗茂は、大名としての地位を失い
清正の領内である肥後国高瀬に寓居します。

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1606年 徳川秀忠に大番頭役として召し出される。
1601年に高瀬を出た宗茂は京都で牢人生活を送っていました。
そしてやっと秀忠に会うことを許され、大番頭役として召し出されることとなったのです。
このときに奥州南郷に領地をもらっています。

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1620年 田中家の改易に伴い、柳川への再封が決定。
田中家は跡継ぎがなく断絶となってしまったため
宗茂に南筑後(10万9600石)が与えられました。
一度領地を失った大名が、再び元の領地の大名として復活するのは
非常に珍しいことです。

その後の宗茂は天草・島原の乱に参戦したり
将軍家光の側近くに仕えたりしていましたが
1642年、江戸で亡くなりました。76歳でした。

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宗茂弁当を食べてみました

2010/12/9

img_0801御花のレストラン集景亭で、特別展開催中の期間限定メニュー「宗茂弁当」を食べてみました。
小鉢に少しずつ料理が盛られており、見た目もとても華やか。
宗茂にちなんだ料理として、赤飯・なます・黄飯(おうはん)が盛り込まれていました。
赤飯となますは、宗茂が放浪中に民家で赤飯となますをふるまわれ、ヤナギの枝を削ったもので赤飯を食べ、なますを手の甲にのせて食べたという故事にもとづいています。

img_0802黄飯はクチナシで色をつけた文字通り黄色のご飯。大分県臼杵の郷土料理だそうです。
臼杵は宗茂の主君大友家ゆかりの地。
大友宗麟がキリシタン大名であったことから、この黄飯はスペインのパエリアの影響を受けているのではないかとも言われています。
やわらかくやさしい味で、洋風の炊き込みご飯といった感じです。
ちなみによく誤解されがちですが、宗茂自身はキリスト教とは関係ありません。

img_0803最後にデザートとして果物がついています。
果物の種類は日によって違うようで、この日の果物はイチゴでした。

宗茂弁当は御花集景亭の昼食メニュー(11:00〜15:00)として、1月10日までお召し上がりいただけます。
特別展を見学された後、お昼ご飯に宗茂弁当をゆったり味わってみてはいかがでしょうか?
お値段は2,500円(税込)。ただし、調理に少し時間がかかるようですので(約30分)ご注意ください。

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宗茂検定を実施しました

2010/11/21

特別展の関連イベントとして、11月20日に中野等先生による記念講演会の開催と立花宗茂検定を実施しました。
宗茂検定は初の試みであり、どのくらい参加者が集まるのか不安でしたが、九州各地や四国、関西などから23名の方々にご参加いただきました。
どうもありがとうございます。

宗茂検定の問題用紙

宗茂検定の問題用紙

さて、肝心の内容ですが、今回は宗茂の兜のレプリカを最高得点者の賞品として贈呈するということもあり、かなり難易度の高い問題となりました。
そんなわけで少しマニアックすぎたかもしれません。
学芸員の目から見ても、「これは解けないのでは…?」と思われる問題もありましたので、果敢に挑戦していただいた受験者の皆さまには本当におつかれさまでした。

参加者の皆さまへの認定証の発送は12月上旬を予定していますが、最高得点者の発表だけは、11月26日(金)に特別展の特設サイト上で行います。
宗茂兜レプリカは誰の手に渡るのか?
楽しみにおまちください。
もうひとつのイベント、中野先生の講演会の詳細ついてはまた後ほど。

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立花家の至宝展のこと①宗茂の所用品

2008/11/5

展覧会までおよそ2か月となり、準備もあわただしくなってきました。

立花家の至宝展は、当家に伝わるさまざまな美術工芸品や文書資料の中から、江戸時代までのものを対象に200件が展示され、全体は、大名立花家の〈武と花〉の2部構成となっています。

特に初代藩主立花宗茂(立花家としては戸次道雪を初代とするので、宗茂は立花家2代といいます)関係の具足、刀剣、自筆文書などは充実した展示内容となっているところが見どころのひとつです。宗茂所用と伝わる重要文化財の金熨斗刻大小拵(個人蔵:京都国立博物館寄託)は福岡初公開!私たちも楽しみにしています。

立花宗茂像
立花宗茂像
国宝 短刀 銘吉光

国宝短刀 銘吉光

図録も販売されますので、展覧会にお越しの折はぜひお求めくださいね。

立花宗茂所用 三日月図軍扇
立花宗茂所用 三日月図軍扇

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