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買ってみました。

2011/10/3

「六分の一スケール 剣豪佩刀コレクション  真剣鬼 戦国義将編」を
買ってみました。

01

何が出るかな(心の声:雷切来い!雷切来い!…)

じゃーん。出ました雷切丸。

06

恐るべし、我がゴッドハンド。

「戦国無双3 武将ミニフィギュア」も買ってみました。

03

何が出るかな(心の声:宗茂来い!宗茂来い!…)

04

がーん。島津義弘でした。

05

でも、かわいいから飾ってみました。

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立花宗茂の生涯をスジャータでたどる

2011/8/11

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1567年 豊後国国東郡筧において誕生しました。幼名は千熊丸。
この年に生まれた武将は他に、伊達政宗・真田信繁(幸村)がいます。
ちなみにこの3人は、一部ファンの間で「67(ろくなな)トリオ」と呼ばれています。

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1569年 実父高橋紹運が高橋家を継ぎ、宗茂も筑前国御笠郡岩屋城に移ります。
高橋紹運は豊後大友氏の家臣です。
実家は吉弘家ですが、大友宗麟の命で高橋家を継いだのでした。

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1587年 豊臣秀吉から筑後三郡を与えられ、柳川を城地と定めます。
同じ大友配下である戸次道雪の養子となり、やがて立花家を継いだ宗茂は
島津攻めの働きにより、「九州の一物」と讃えられ
筑後国山門郡・三潴郡・下妻郡の領地を与えられます。

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1597年 慶長の役で島津義弘らと共に戦います。
宗茂は朝鮮に出兵し、他の諸将と共に戦いました。
やがて秀吉の死をきっかけに帰還命令が出ます。
このとき島津義弘・小西行長・宗義智ら諸将と会談し、撤退の段取りを決定しました。
撤退途中、小西行長が退路を断たれたときには、義弘らと共に救援に向かいました。

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1600年 関ヶ原の合戦で西軍に加担、大津城攻めで活躍。
秀吉への恩義から西軍についた宗茂は、京極高次の守る大津状を包囲しました。
9月15日に高次は降伏します。
しかし同日、主戦場である関ヶ原で西軍が敗れたため
宗茂は家来を従えて柳川へ帰ります。

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1600年 加藤清正に柳川城を明け渡す旨の使いを送ります。
柳川に戻った宗茂は、江上・八院で東軍勢と戦い多くの家来を失いました。
そうして柳川城を明け渡した宗茂は、大名としての地位を失い
清正の領内である肥後国高瀬に寓居します。

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1606年 徳川秀忠に大番頭役として召し出される。
1601年に高瀬を出た宗茂は京都で牢人生活を送っていました。
そしてやっと秀忠に会うことを許され、大番頭役として召し出されることとなったのです。
このときに奥州南郷に領地をもらっています。

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1620年 田中家の改易に伴い、柳川への再封が決定。
田中家は跡継ぎがなく断絶となってしまったため
宗茂に南筑後(10万9600石)が与えられました。
一度領地を失った大名が、再び元の領地の大名として復活するのは
非常に珍しいことです。

その後の宗茂は天草・島原の乱に参戦したり
将軍家光の側近くに仕えたりしていましたが
1642年、江戸で亡くなりました。76歳でした。

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「弧闘 立花宗茂」が中山義秀文学賞を受賞!

2010/11/15

上田秀人先生の「弧闘 立花宗茂」が、第16回中山義秀文学賞を受賞されました!
同賞の公開選考会が行われたのは特別展「立花宗茂」の開会日と同じ、11月13日。何だか運命的なものを感じます。

中山義秀文学賞は、新鋭・気鋭の歴史・時代小説を対象にした文学賞で、主催は中山義秀顕彰会、福島県白河市などが共催しています。
福島県といえば、宗茂は一時奥州棚倉(現在の福島県東白川郡棚倉)に領地を有していました。
最初の石高は1万石、その後、慶長15年(1610)に3万石に加増されています。
宗茂が自らの名乗りを「宗茂」へと改めたのは、この棚倉の領地の加増がきっかけだったようです。

宗茂を主人公にした小説はいくつかありますが、上田先生はこれまで語られてきたイメージとは異なった新しい視点から、独自の宗茂像を描かれています。
まだ、読まれたことのない方は、是非この機会に手にとってごらんください。

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まりしてん誾千代姫

2010/10/29

PHPの小説・エッセイ文庫「文蔵」で、山本兼一先生の新連載「まりしてん誾千代姫」がはじまりました。
誾千代といえば、立花家初代・戸次道雪の息女で、わずか7歳で立花城の城督となった人物です。
立花宗茂はこの誾千代の婿養子となって、立花家の家督を継ぎました。
誾千代を主人公とした小説となると、最も気になるのは宗茂との仲がどのように描かれているかですが、この小説では二人の関係について、一般に流布している通説とはまったく違った解釈がとられています。

宗茂と誾千代と言えば、二人は不仲であったというのがこれまでの通説でした。しかし、本当にそうだったのでしょうか?
実は誾千代に関する資料は、まったくと言ってよいほど残っておらず、実際に誾千代がどのような女性であったのか、また、宗茂との関係がどのようなものであったのか、確実に分かる資料はないのです。
小説「まりしてん誾千代姫」では、宗茂と誾千代は非常に仲むつまじい夫婦であったということが、冒頭から語られています。

誾千代は晩年、宗茂と別居していたという事実があり、これが不仲説の根拠となっているものと思われます。
その一方で、誾千代が非常に愛情深い女性であり、宗茂のことを思いやっていたという言い伝えも伝わっているのです。
二人は不仲であったのか、それとも二人の別居には何か別の理由があったのか、本当のところはだれにも分かりません。

いずれにしても、従来の小説とは全く異なる方向からアプローチされている山本先生の「まりしてん誾千代姫」。物語はまだ序盤であり、これからどのように展開していくのか分かりませんが、続きがとても楽しみです。

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