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大江戸鍋祭上映会と応援団扇

2012/3/30

昨日(3月29日)、大江戸鍋祭上映会in福岡が、キャナルシティ劇場でありました。
これは、昨年の12月に東京・大阪で催された大江戸鍋祭・第1部の模様の上映会です。
鍋好きの史料館スタッフ・売店スタッフは、大喜びで馳せ参じました。

福岡上映会の登壇者とゲストは、うしろシティと元禄生態 生類アワレンジャー。

ご存知でない方のために説明しておきますと、
「元禄生態 生類アワレンジャー」とは、大江戸鍋祭の2部で登場したユニットです。
江戸の動物たちの平和を守る目的で、徳川綱吉・柳沢吉保などで構成された
5人組のヒーローで、「わんわんLOVE」というお犬様ラブな歌を歌います。

それならば上映会でも歌があるだろうし、
せっかくだから応援団扇(ジャニーズファンのみなさんが持ってるみたいなアレ)を作らねば。
張り切って作製に取りかかりました(勤務時間外に)。

材料は天神のLOFTにて購入。
どんなデザインにしようかな
徳川綱吉だし三つ葉葵紋かな
でも田安徳川家の紋しかわからないしな
ま、それでも参考にはなるか
メッセージ入りもいいよね
とかなんとか考えていたのですが、
いざ作り始めると、これがなかなか難しい。
あーだこーだと試行錯誤しているうちに時間もなくなり
結局できあがったのがこちら。

20120330

犬……
あれだけいろいろやったのに、結局「犬」って…
しかも、点の部分は買ってきた星形のシールなので
実質的には「大」の部分しか作っていません。
せめてキラキラの「大」にしてみました。

しかしまぁせっかく作ったので、とりあえず持っていくことにしました。
会場に着いてみると、先行抽選で取った席は、かなり前の方の、しかもど真ん中。

真っ正面の村井良大さんに「犬」団扇を見せつけながら
わんわんLOVE(生歌)を鑑賞しました。
「犬…?」って思いながら歌ったのだろうか。
いやでもほら、お犬様の歌だし。間違いではないよね。
……ええ、すみません。本当はもっと凝ったのが出来る予定だったんです。

今回の敗因は、応援団扇作りを甘く見ていたことと
自分たちの腕を過信していたことにあると思われます。
あの団扇を作るには、技術と情熱が必要です。
ジャニーズファンのみなさんは本当にすごい、と実感しました。
くやしいから、腕を磨いて、いつか見事な宗茂応援団扇を作ってやる!

そんなものいつどこで使うんだ、というご意見・ご感想は、受け付けておりません。

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スジャータ戦国武将コンプリート

2011/12/1

それはまだ夏真っ盛りの8月のこと。
立花家史料館宛に、注文した大量のスジャータ(戦国武将シリーズ)が届いた。
上蓋に戦国武将60種がプリントされている。

50個入りを8袋、計400個のスジャータ。
なぜこんなにたくさん。
それは、通販の販売単位が8袋だったから。
まぁこれだけあれば宗茂も出てくるだろうと思った、というのもある。

めいらくのサイトで台紙をダウンロード・印刷。

20111201_01

ここに上蓋を貼っていく。
それにしても400個は使いきれない。
柳川藩主立花邸御花のレストラン・対月館に、半分ほど使ってもらうことにする。

それから約3ヶ月半。
賞味期限を1ヶ月近く過ぎた今日、
最後に、顔色の悪い前田利家を貼って
やっとコンプリート。

20111201_02

ところでこのシリーズの画像、
普段よく見る肖像画とは別の肖像画が使われている人が多い。

20111201_03

この立花宗茂は、大徳寺蔵の宗茂像だろう。

さあ、60人コンプリートはしたが、
スジャータはまだいくらか残っている。

20111201_04

はたして今年中に使いきれるだろうか。

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今日は何の日?

2011/11/11

今日11月11日は、いろんな日に設定されてますね。
ポッキー&プリッツの日、電池の日、ピーナッツの日…

折り紙の日でもあります。
「1」が4つで正方形の4辺を表し、
また、世界平和記念日でもあることかららしいです。

そこで、折り紙してみました。

20111111_01

「大名駕籠」 feat.キューピーズです。

後ろにある絵はがきの駕籠は
当館所蔵の「祇園守紋散蒔絵乗物」。
こちらは女性用で、かのNHK「タイムスクープハンター」への
出演も果たしました(「駕籠かき突破口!」の回)。
現在、史料館の入ってすぐのところに展示中です。

それともう一作品。

20111111_02

「島津義久の兜」です。
本当は真ん中に丸に十字の家紋が入るのですが、
都合により省略しました。

なんで島津義久かって?
それは一番作りやすそうだったからです。
あと、都城島津邸で立花家の展示やってるし(後付け)。

秋の夜長、みなさんも折り紙を楽しんでみてはいかがですかな。

ちなみに、今回の折り紙は
浜田勇著「戦国武将の時代折り紙」(日貿出版社)を参考にしました。

20111111_03

柳川市立図書館で借りました。

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立花宗茂の生涯をスジャータでたどる

2011/8/11

20110811_03

1567年 豊後国国東郡筧において誕生しました。幼名は千熊丸。
この年に生まれた武将は他に、伊達政宗・真田信繁(幸村)がいます。
ちなみにこの3人は、一部ファンの間で「67(ろくなな)トリオ」と呼ばれています。

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1569年 実父高橋紹運が高橋家を継ぎ、宗茂も筑前国御笠郡岩屋城に移ります。
高橋紹運は豊後大友氏の家臣です。
実家は吉弘家ですが、大友宗麟の命で高橋家を継いだのでした。

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1587年 豊臣秀吉から筑後三郡を与えられ、柳川を城地と定めます。
同じ大友配下である戸次道雪の養子となり、やがて立花家を継いだ宗茂は
島津攻めの働きにより、「九州の一物」と讃えられ
筑後国山門郡・三潴郡・下妻郡の領地を与えられます。

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1597年 慶長の役で島津義弘らと共に戦います。
宗茂は朝鮮に出兵し、他の諸将と共に戦いました。
やがて秀吉の死をきっかけに帰還命令が出ます。
このとき島津義弘・小西行長・宗義智ら諸将と会談し、撤退の段取りを決定しました。
撤退途中、小西行長が退路を断たれたときには、義弘らと共に救援に向かいました。

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1600年 関ヶ原の合戦で西軍に加担、大津城攻めで活躍。
秀吉への恩義から西軍についた宗茂は、京極高次の守る大津状を包囲しました。
9月15日に高次は降伏します。
しかし同日、主戦場である関ヶ原で西軍が敗れたため
宗茂は家来を従えて柳川へ帰ります。

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1600年 加藤清正に柳川城を明け渡す旨の使いを送ります。
柳川に戻った宗茂は、江上・八院で東軍勢と戦い多くの家来を失いました。
そうして柳川城を明け渡した宗茂は、大名としての地位を失い
清正の領内である肥後国高瀬に寓居します。

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1606年 徳川秀忠に大番頭役として召し出される。
1601年に高瀬を出た宗茂は京都で牢人生活を送っていました。
そしてやっと秀忠に会うことを許され、大番頭役として召し出されることとなったのです。
このときに奥州南郷に領地をもらっています。

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1620年 田中家の改易に伴い、柳川への再封が決定。
田中家は跡継ぎがなく断絶となってしまったため
宗茂に南筑後(10万9600石)が与えられました。
一度領地を失った大名が、再び元の領地の大名として復活するのは
非常に珍しいことです。

その後の宗茂は天草・島原の乱に参戦したり
将軍家光の側近くに仕えたりしていましたが
1642年、江戸で亡くなりました。76歳でした。

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