立花も伊達も毛利も池田もハマった?黄檗文化インパクト!
2024/10/292024年10月18日、黄檗宗大本山黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の三棟(法堂・大雄宝殿・天王殿)が文化史的意義の深いものとして評価され、重要文化財から格上げされて『国宝』へ指定されました。
隠元さんが来日した中国明時代末期頃の様式で造られた、ほかの日本の寺院では見かけることのない建築に圧倒されてしまいます。
YouTubeチャンネル「黄檗宗大本山萬福寺」より
この黄檗宗大本山萬福寺公式サイト内「黄檗宗末寺一覧」には、全国およそ460寺の黄檗寺院が紹介されています。
こちらを参考にわたしが数えたところ、黄檗寺院の所在はだいたい、西日本7.5割:東日本2.5割となっているようです。
とくに多いのが、京都、滋賀、福岡、大阪で、大本山萬福寺 がある近畿地方に4割以上が集中していますが、旧柳川藩領を擁する福岡も負けていません。東海地方も少なくなく、関東以北の寺院数は全体1割程度です。承応3年(1654)の来日以降、隠元さんが長崎と京都を往復したり江戸に赴いたりした街道に沿って、その影響が広がっているように感じられます。
これまで黄檗宗寺院とのご縁が薄かった方もいらっしゃるでしょうが、わたし自身は学生の頃に黄檗美術を学び、これまでいくつもの黄檗寺院を拝観してきたので、黄檗文化を知ってるつもりでいました。
しかし、黄檗宗の法式による旧柳川藩主立花家のお盆をのぞき見て、衝撃をうけました。
わが家も禅宗檀家ですが、知らない形のお供えです。
よそさまの宗教的な話題にふみ込むのは躊躇しましたが、法要を終えた立花家の方々に尋ねてみました。
「あれは何ですか?」「おしゃんこんさん たい!」
「もう一度お願いします」「あれは、おしゃんこんさん たい!」
「どんな漢字?」「おしゃんこんさんは、おしゃんこんさんやろうもん!」
旧柳川藩主立花家の菩提寺である福嚴寺さんへ伺うと、荘厳さを増した同じお供えがありました。
そっとインターネットで調べました。
⇒慧日山永明寺(滋賀県米原市) HP 「黄檗事典」http://www.biwa.ne.jp/~m-sumita/oubakujisyotop.html
むかって右から青 セイ・黄 オウ・油揚げ・赤 シャク・白 ビャク・黒 コクとならぶ六味の供物は、「上供」と書いて「シャンコン」。
中国語です。昔公民館で習った現代中国語の知識が役立ちそうです。
え~
経の読み方や鳴り物、儀礼作法の次第などに中国的色彩を強く残していると聞いてはいましたが……
黄檗寺院の建築や美術工芸品に中国っぽさを感じてはいましたが……
え~
先に渡来した仏教宗派も、そのときどきの中国文化を運んできました。瓦屋根の寺院も、当時は異様だったはずですが、時を経るなかで日本に馴染んでしまいました。400年ほどの空白期間をおいて隠元さんが持ち込んだ、当時最新の仏教と中国文化は、忠茂さんたちに新鮮な驚きを与えたのでしょう。
福嚴寺さんがコチラで、2024年10月13日に厳修された「福嚴開山鉄文禅師の開山忌」についてご報告されています。https://readyfor.jp/projects/fukugonji/announcements/346046
どことなく異国情緒を感じる写真を拝見すると、不謹慎ですがワクワクします。
黄檗宗は経の読み方や鳴り物、儀礼作法の次第などに中国的色彩を強く残しているので、不心得にも法要に参列できるチャンスを虎視眈々と狙っていましたが、願ってもない機会です。
忠茂さんが受けた黄檗文化インパクト、ぜひ体感してください。
2024年11月6日(水)柳川藩2代藩主・立花忠茂の350回忌が、旧柳川藩主立花家の菩提寺である梅岳山福嚴寺(福岡県柳川市)にて厳修されます。福嚴寺さんが広く門戸を開かれていますので、どなたでもお気軽にご参列いただけます。
この度は、旧柳川藩主立花家の法要で行われていた、古より伝わる貴重な経典 「八十八 パーシーパー 佛名経」を僧侶7~8名が読経するという特別な機会となります。黄檗宗の読経は梵唄 ボンバイといわれ、中国式の発音による独特の節のあるお経です。他宗派にはあまり見られない太鼓や引磬などの鳴り物が加わることで、音楽のように美しく調和します。深遠な響きが堂内を包み込み、歴史ある空間の中で黄檗宗独特の法要に直接ご参加いただけるまたとない機会です。
お席に余裕があるため、今も参加のお申込ができます。
黄檗宗の読経「梵唄」 は、黄檗唐音とよばれる近世中国語(明代南京官話) の発音でおこなわれています。
例えば、多くの方が一度は耳にされる普回向「願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道」は、「願わくは此の功徳を以って普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」と訓読されます。そのまま漢文として読むと「がんにしくどく ふぎゅうおいっさい がとうよしゅじょう かいぐじょうぶつどう」です。
それが黄檗宗では「えんいつこんて ぷぎじいちえ ごてんいちょんせん きゃいこんちんふたう」となります。現代中国語の標準語(普通話)「Yuàn yǐ cǐ gōngdé pǔjí yú yīqiè wǒ děng yǔ zhòngshēng jiē gòng chéngfó dào 」の発音に近く、知ってるはずの文言が、知らない響きで聞こえてきます。
この違和感を好む人もいれば、好まない人もいるでしょう。
おそらく忠茂さんは、わたしみたいに違和感を楽しむ方だったのでしょう。
目新しさへの興味を契機に、黄檗の禅や文化に傾倒したのではないかと推測されます。
黄檗文化にハマった柳川藩11万石の2代柳川藩主・忠茂と3代藩主・鑑虎。
同じようにハマった大名たちは、ほかにもいました。
多くの僧侶を排出して「黄檗三叢林」と称されたのは、仙台藩62万石藩主・伊達家の両足山大年寺(宮城県仙台市)、 萩藩36万石藩主・毛利家の護国山東光寺(山口県萩市)、鳥取藩32万石池田家の龍峯山興禅寺(鳥取県鳥取市)です。どの寺院も当時の藩主の熱い支援を受けて建立されました。
また、黄檗僧の肖像画「頂相 チンソウ」にならって、自らの肖像画を描かせた大名や旗本もいます。
斜め向きに描かれる肖像画に慣れ親しんでいた日本では、正面向きで陰影をつけてリアルに描かれる「頂相」のインパクトは大きかったと想像されます。忠茂も「頂相」 にならった肖像画を描かせていますが、これはまた別のお話で。
福嚴寺さんが広く門戸を開かれていますので、どなたでもお気軽にご参列いただけます。立花も伊達も毛利も池田もハマった黄檗文化インパクトを、体感してみませんか。
参考文献
服部祖承「黄檗宗独特のお経」(大法輪編集部編『禅宗で読むお経入門』1983.10.26 大法輪閣)
【ココまで知ればサラに面白い】
普段の解説ではたどりつけない、ココまで知ればサラに面白くなるのにと学芸員が思うところまで、フカボリして熱弁します。
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