失われたレリーフ《立花伯爵邸西洋館煙突》
2024/3/3前回のあらすじ
平成17年(2005)3月20日に発生した福岡西方沖地震で破損した立花伯爵邸西洋館煙突。
12月から「名勝松濤園内御居間他修理工事」(2005.12~2007.3) が始まり、レンガ造の煙突は解体されて個々のレンガとなりました。あとは積み直されるのを待つだけです。
レンガの積み直しの話はちょっと先送りして、「名勝松濤園内御居間他修理工事」(2005.12~2007.3)の終了後まで跳んでみましょう!
修理工事のビフォーアフターをご覧ください。
煙突が全解体されたとは信じられないくらい、変りがありません。
……あれ気付いちゃいましたか? 煙突のレリーフに。
修理のついでに、いい感じにデコっておきました……という訳ではなく、明治43年(1910)の建築当初の姿に復原したのです。
このように、大正年間(1920年代頃)の撮影だと推測される写真では、煙突にお洒落なレリーフがあることが確かめられます。
煙突がある立花伯爵邸西洋館の南側は、「大広間」との間の中庭からしか見られないので、わずかな写真しか残されていません。現時点でレリーフが確認できる写真は、この1枚だけです。
そして、いつしかレリーフは失われてしまいました。
昭和61~62年(1986~87)に西洋館の大がかりな修理をした際には、古写真や図面の詳細な調査はなされず、そのままペンキが塗り直されただけでした。
その18年後の平成17年(2005)3月20日に福岡西方沖地震が発生。
地震のはるか以前からレリーフは失われていましたが、文化財建造物として健全な状態に回復させるためには、できるかぎり建築当初の姿に復原しなければなりません。
しかし、個人の勝手な判断で、いい感じにデコることも許されません。
有明工業高等専門学校建築科助教授(当時)・松岡氏と河上信行建築事務所(当時)・河上氏が中心となって、立花家に未整理のまま残っていた図面や古写真が丹念に調査されました。煙突が写っている唯一の古写真も、このとき発見されています。
この調査の結果をもとに、柳川市と福岡県と文化庁とも協議を重ねて、煙突のレリーフが復原されたのです。
デザインが決定したら、あとは漆喰を用いてレリーフを仕上げます。
はい!できました!
しかし、「名勝松濤園内御居間他修理工事」(2005.12~2007.3)のビフォーアフターの違いは、 レリーフだけではありません。
その違いの話は複雑で、とても長くなるので、次にします。
【立花伯爵邸たてもの内緒話】
明治43年(1910)に新築お披露目された立花伯爵邸の、内緒にしている訳ではないのに知られていない、声を大にして宣伝したい見どころを紹介します。
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