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解体レジデンス「立花伯爵邸西洋館煙突」

2024/2/28

前回のあらすじ
平成17年(2005)3月20日に発生した福岡西方沖地震により、立花伯爵邸西洋館煙突は大きく破損しました。
4月13日に、鉄製の「煙抜き」を地上に降ろすという応急処置がなされ、4月27日に、構造・デザイン・機能を取り戻すため、煙突は解体修理とする方針が決まりました。




諸々の準備を重ねて7カ月後、とうとう災害復旧を目的とする国庫補助事業「名勝松濤園内御居間他修理工事」(2005.12~2007.3)が、 河上信行建築事務所の設計監理、株式会社 田中建設の施工ではじまりました。

工事の現場代理人は、田中さん。
この工事が終わってから現在までずっと、立花伯爵邸の建物をとても気にかけてくださっています。



西洋館煙突は、応急処置が終わった状態がそのまま維持されていました。



「解体修理」とは、建造物を解体して各部材の補修を行い、 建造物を健全な状態に回復させる修理のこと。つまり、 全ての部材を解体して組み直すのです。

「解体修理」とは、こういうことです。


このスライドショーは、平成18年(2006)1月上旬から3月下旬までの72日間の解体作業にて、煙突のレンガを上から一段ずつ解体して撮影した現場写真を、約2分間に凝縮しています。



文化財建造物の価値を損ねないために選択される「解体修理」では、できる限り元の部材を修理して再利用するので、破壊しないように、石ノミで丁寧にレンガを外していきます。


外されたレンガは、一つ一つモルタル(セメント+砂+水)を剥がして、再利用のために保管されます。「解体よりも、レンガをキレイにする作業の方が、すごく時間がかかってツラかったですもんね」というのが、田中さんの感想です。



また、元の通りに組み直すため、レンガが積まれていた状況を記録しなければなりません。一段ごとに写真やスケッチで残された情報は、このように図面としてまとめられ、国庫補助事業の義務として作成した報告書にも掲載されています。
※図面の段数は、上のスライドとは逆の、最下段からの番号です。

名勝松濤園修理事業委員会・河上信行建築事務所『名勝松濤園内御居間他修理工事報告書』2007 (株)御花


そして、この図面の作成は、地震による破損状況も詳らかにしてくれました。

 煙突の破損がもっとも大きいのは軒蛇腹位置(桁位置)であった。一般に煙突など屋根から突出したものが震動を受けた場合、ホイッピング現象(むちうち現象)とよばれる現象が生じ、建物本体より大きく揺れる。当西洋館の場合、頂部が重く(3.6t)、煉瓦積みの煙突が建物の端にあって偏心しているため、接合部に応力集中が生じ、軒蛇腹付近が破断したと考える。また煙突が建物本体に挿入しているために、この部分の建物軸部は、壁や胴差しがなく、土台と桁だけでもっており、建物本体の中でも応力集中が生じ、大きく変形した可能性がある。そのような状況の中、2階床梁、1階大曳からの水平力も煙突に影響し、1、2階の床付近にクラックが生じたと推測する。

名勝松濤園修理事業委員会・河上信行建築事務所『名勝松濤園内御居間他修理工事報告書』2007.3月 (株)御花  47頁



わたしは報告書を読んで後日談として知っただけですが、当時の担当者たちの苦労を想像してふるえてしまいました。

無尽蔵ではない予算の範囲で “暖炉に火が入っている光景”を何とか残せないかと、補助金を交付する国・福岡県・柳川市と何度も協議を重ねた末に「解体修理」が実現できた過程を、ただ中にいた当館館長から聞いた後に見ると、この写真の得難さが身に沁みます。

立花伯爵邸2階 暖炉



解体が完了し、あとは外したレンガを積み直すだけ……とはいきませんでした。
「劇場版 立花伯爵邸西洋館 CODE:White Chimney」は、まだまだ終われないのです。





【立花伯爵邸たてもの内緒話】
明治43年(1910)に新築お披露目された立花伯爵邸の、内緒にしている訳ではないのに知られていない、声を大にして宣伝したい見どころを紹介します。
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