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小さく薄い三角形の金属片

2024/8/1

明治43年(1910)築の立花伯爵邸では、現在では失われつつあるものが、現役のまま建物を支えています。

その最小のものが、“小さく薄い三角形の金属片”ではないでしょうか。


わたしがはじめて庶務を担当したのは、平成25年から27年(2013~15)の夏季に集中施工した、立花伯爵邸「西洋館」のメンテナンス工事でした。外壁を塗り替え、すべての窓の点検・修理をおこないました。

当時のわたしは、慌ただしい作業現場をトンチンカンな質問で騒がせ、むやみやたらに撮影する、お邪魔虫でしたが、快く撮影を許してくださった職人さんたち深く感謝しています。



とくに「上げ下げ窓」の修理作業は、何もかもが珍しく驚くことばかり。

大興奮して一連の作業を動画撮影したものの、10年間もちぐされ続け、2024年1月にやっと披露できました。

平成25年-27年(2013-15)立花伯爵邸「西洋館」保存修理工事の話



つい先日、この投稿が、立花伯爵邸と同年代の建物の保存修理に携わる方のお役に立ったとご報告いただきました。

「~森林博物館改修~木製建具改修の挑戦」
⇒「~ 明治から時を超えて、青森のシンボルを未来へ ~
株式会社 成文組( 青森県青森市 )HP >現場レポートより

「いつかどこかの困っている誰かに届けェ~」と密かに願っていたので、とても嬉しかったです。


近代の建築については、国宝や重要文化財に指定されはじめたのが近年なので、文化財指定や修理の際に作成すべき報告書があまりありません。
明治から昭和初期に建てられた木造洋館に限ると、さらに数が少なくなります。木造洋館に見られる、寺社や和風住宅とは異なる工法については、参考事例が蓄積されていないのです。

おそらく20年ほど前までは、木造洋館の現場を経験した職人さんも健在だったのでしょう。しかし、新素材や新技術の登場により、古い工法は猛スピードで忘れられていきます。

あたかも、フィルムカメラのように……



例えば、わたしたちは「上げ下げ窓」のガラスの固定に苦労しました。

現在は弾性接着剤によるコーキング(シーリング)でガラスを固定するのが主流ですが、西洋館の「上げ下げ窓」ではパテが使われています。パテは隙間を埋めて気密性や水密性を保つだけで、ガラスを固定している訳ではありません。

立花伯爵邸には他にもガラス窓はありますが、木桟で固定されています。



とりあえず、ガラス脇に小釘を打ってみましたが、ガラスが薄いので、かなりの確率でヒビが入りました。

河上先生も寺社修理の経験豊富な大工さんたちも、戸惑っています。
どうしよう?

結論から言うと、窓枠からポロポロと落ちてくる”小さく薄い三角形の金属片”が重要でした。
ここだけの話ですが、当初は金属屑(ゴミ)と見なされていました。



次は困らないよう、取り付けている様子もバッチリ撮影しています。

“小さく薄い三角形の金属片”が見えますか?



立花伯爵邸西洋館メンテナンス工事は滞りなく終了しました。

“小さく薄い三角形の金属片”を忘れる時はありませんでしたが、ほとんどの報告書は建具類について詳述していないので、名前を探せないまま時は流れていきます。



そしてブログの投稿をはじめました。

ブログ形式を選んだのは、報告書等で端的にまとめられる前の、雑多な情報を伝えたかったから。

もちろん、我らが誇る2冊の報告書『名勝松濤園内御居間他修理工事報告書』と『名勝立花氏庭園 大廣間・家政局他保存修理工事 石積護岸災害復旧工事報告書』においても、工事をストップして関係者一同を集めて繰り返し最善策を議論しつくした時間については言及されていません。



10年の経過はわたしに、簡単動画加工アプリと『国立国会図書館デジタルコレクション』https://dl.ndl.go.jp/の全文検索をもたらしてくれました。
アプリのおかげで、暗い画像を明るくしたり、自分の奇声を削除したりと、むやみやたらに撮影した動画をお蔵入りさせずにすんでいます。



そして、ブログで取り上げるため、『国立国会図書館デジタルコレクション』で「上げ下げ窓」を全文検索すると、

斎藤兵次郎 著『和洋建具設計実例』,信友堂,明41.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/846407 (参照 2024-08-01)



えッ “三角”釘 !?

三角釘さんかくくぎ
鱗ウロコ釘、亜鉛トタン鋲、葉鋲ハビョー、等ノ別名アリ「はびょー」ヲ見ヨ。

葉鋲 はびょー
障子ニ硝子ヲ取付ケテ動カサラシムル為メぱて下ニ打ツ三角形ノ小キ薄キ金属板(英Spring-Glaziers’ point)「三角釘」トモ称ス。又普通亜鉛板ヲ用フル故ヘ「亜鉛鋲」トモイフ。米国ニテハぶりきヲ用フル故ヘTin point トモイフ。

中村達太郎 著『日本建築辞彙』丸善株式会社 明治39年発行

硝子職
パテは舶来品と和製品あり(後略)
ガラス板を附するに当り之を留むるに鱗釘を用ゆ鱗釘とはブリキ又は亜鉛引鉄板を小さく三角形に切りたるものにてガラス板一枚に付き凡そ四個乃至六個を要す

大泉龍之輔 編纂『建築工事設計便覧』建築書院 明治30年発行



“小さく薄い三角形の金属片”の名前は、「三角釘」 または「鱗釘」または 「亜鉛鋲」 または「葉鋲」といいます。



この名前を知るのに10年。


“小さく薄い三角形の金属片” との出会いから本投稿までの間に、ソチ・リオ・平昌・東京・北京・パリと6都市のオリンピックを見届けてしまいました。


2024.8.2リンク追記

【立花伯爵邸たてもの内緒話】
明治43年(1910)に新築お披露目された立花伯爵邸の建物・庭園の、内緒にしている訳ではないのにどなたもご存知ない、本当は声を大にして宣伝したい見どころを紹介します。また、(株)御花 が取り組んでいる文化財活用の一環である、平成28~31年(2016-2019)の修復工事の記録や裏話もあわせてお伝えします。

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〚館長が語る5〛立花宗茂、柳川藩主への復活

2024/8/1
立花宗茂[1567~1642]

宗茂は、関ケ原合戦で敗軍の将となり、慶長6年(1601)に浪人の身となりました。










5年の月日が流れ、慶長11年(1606)9月ようやく2代将軍秀忠に拝謁が叶いました。長年の浪牢生活を終え、奥州南郷(現在の福島県棚倉町付近)に1万石の領知を与えられ、大名という身分に復帰することができたのです※。

※ 徳川将軍の家臣のうち、知行高1万石以上からが「大 名」となり、1万石未満のものは「直参 ジキサン」と呼ばれます。


さらに慶長15年(1610)、宗茂は加増を受け、領地高は3万石となります。

2010年「宗茂」の名乗りから400年を記念して
御花史料館(現立花家史料館)で特別展を開催

実は、これまで煩雑さを避けるため、立花宗茂という名に統一して書き進めていますが、正式に「宗茂」と名乗るのは、この年からなのです。

旧家臣に送った加増を知らせる書状に「かたじけなき仕合せ、御推量あるべし」と書いているように、このめでたい加増を喜んだ宗茂は、この機に改名したことが想像されます。










「宗茂」の名乗りから400年記念特別展「立花宗茂」
[2010.11.13~2011.1.10] ポスター

これまで、波乱に満ちた人生の運気を切り開こうとするが如く、統虎 ムネトラ、宗虎 ムネトラ、正成 マサナリ、親成 チカナリ、政高 マサタカ、尚政 ナオマサ、俊正 トシマサ、と次々と名を変えてきましたが、「宗茂」となってからは生涯この名を使い続けます。


南郷に領知を得た後も、将軍の側近く仕えるため江戸を離れることがあまりなかった宗茂に代わって、家臣の由布 ユフ 惟次 コレツグ、斎藤統安 ムネヤス、十時 トトキ 惟昌 コレマサ、因幡宗糺 ソウキュウらが在地で支配に当たっていました。

この頃の宗茂は、秀忠の警護や江戸城の守衛としての役にあったようです。

慶長19年(1614)の大坂の陣では将軍の軍事的相談役を務めたと言われるように、武人として高い信頼を得ていたことが想像されます。


関ケ原合戦ののち、筑後国は田中吉政の領地となりましたが、2代忠政は跡継ぎがないまま没してしまったため田中家は改易されることになり、宗茂は欠国となった筑後の柳川へ再封の決定が下されることになったのです。

この再封がなぜ実現したのか、ひと言では説明できませんが、宗茂のそれまでの実直な生き方と彼を支えた人々との絆がこの奇跡の復活に導いてくれたものと思います。

慶長5年(1600)の柳川城開城からちょうど20年後、再び大名として 柳川城へ入城したのです。

柳川再封400年記念特別展「復活の大名 立花宗茂」
[2020 .12.4~2021.2.7] フライヤー



宗茂54歳の早春、激動の時代をくぐり抜け、静かに力強く柳川藩10万9千石の大名家当主として新しい時代が始まったと言えるでしょう。




これまでに開催された立花宗茂をメインテーマにすえた特別展は3回。上記節目のほか、宗茂生誕450年を記念した「立花宗茂と柳川の武士たち」[ 2017.12.9~2018.2.4]が、柳川古文書館と立花家史料館とで共催されました。
このとき当館が作成したDVD版電子図録が、現在入手可能な唯一の展覧会図録となります。本図録では、両館の学芸員による詳しい解説とともに、宗茂と立花家家臣団の足跡をたどる文書資料と、武具甲冑などの美術工芸品とを、デジタルならではの高精細画像で楽しめます。

特別展『立花宗茂と柳川の武士たち』DVD電子図録を販売中






文: 植野かおり(公益財団法人立花財団 立花家史料館 館長)
イラスト:大久保ヤマト(漫画家・イラストレーター)
ホームページ「猛将妄想録」http://mousouroku.cocolog-nifty.com/blog/


「立花宗茂と誾千代」NHK大河ドラマ招致委員会では、二人を主人公とした大河ドラマ招致活動の輪を拡げていくため、応援する会を発足し、相互交流、情報発信をしています。

入会金や年会費などは必要ありません。
ぜひ、一緒に招致活動を盛り上げていきましょう。

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