能へのラブは横綱級?最後の柳川藩主・鑑寛の趣味
2024/8/14「写真でみる最後の柳川藩主・鑑寛のお葬式」から来た方は Skip⇒
立花家13代当主となる鑑寛は、弘化3年(1846)6月22日から版籍奉還が勅許された明治2年(1869)6月17日までの23年間、柳川藩11万石の藩主の座にありました。
鑑寛は文政12年(1829)6月25日に柳川で生まれました。父は8代藩主 鑑寿の息子・寿淑、母は立花通厚の娘・つて、どちらも7代藩主 鑑通の孫になります。正室は、田安徳川家3代 斉匡の16女・純姫です。
激動の幕末期に徳川一門の末席に連なった鑑寛の前半生は、当時の政治情勢と複雑に絡みあっているので、我が手にものすごく余ります。
でも、安心してください!
このあたりは、8月31日19時からのオンラインツアーにて、柳川古文書館館長の江島さんが詳しく解説されます。もちろん、わたしも真面目に履修します。アーカイブ配信があってよかった……
わたしが知っている鑑寛は、”和歌と能を極めた楽隠居”。
明治7年(1874)12月29日に17歳の息子に家督を譲った鑑寛は、同11年(1878)7月に東京を離れて帰郷します。5代藩主 貞俶が御花畠屋敷を造営して以来、柳川藩主のくつろぎの場所であった、現在の国指定名勝「立花氏庭園」の地に戻ってきたのです。
9月25日には、3月から普請が進められていた「御隠亭」に移りました。
茅葺の「御隠亭」の東には「能舞台」が、南には庭園「松濤園」がありました。鑑寛は、能舞台で能を演じたり、庭園に亭を設けて和歌を詠んだりと、49歳からの隠居生活を楽しんでいたようです。
ただし、彼の趣味にささげる情熱は、われらの想像を超えていきます。
柳川に戻った翌年の明治12年(1879)から亡くなる前年の41年(1908)までの29年間、鑑寛が謡、囃子、仕舞、能の演能にかなりの時間を割いていたことが、記録から読み取れます。
とくに明治18年~31年の期間は、さかんに能を主催していました。
演者は、息子や娘たちに、旧柳川藩士および立花伯爵家職員たち、そして旧柳川藩お抱えの能役者たち。もちろん、自らも演じました。
こちらは、相撲番付になぞらえたランキング「春秋御能相撲」 です。
明治17年~27年の10年間に御花畑(=御隠亭) 能舞台で上演した能番組をもとに、シテ(=主役の演者)の名前と『安宅』『海人』『當麻』『湯谷』『弦上』『小原御幸』などの演目を、順位付けしたものです。 演目の表記から、シテ方の流派は喜多流だとわかります。
ちなみに当時の相撲番付の最高位は、「横綱」ではなく「大関」でした。
東西の大関、関脇、小結というトップ3を独占する勢いなのが「大殿様」、すなわち鑑寛です。
ほかの名前はそれぞれ、鑑寛の三男・寛正と四男・寛篤、親族で鑑寛の養子となった十時幹、旧柳川藩士の野波八蔵 、宮川渡、問註所康光、立花伯爵家職員の与田庄三郎、佐伯操 、岡田修理 、旧柳川藩お抱えの御役者であった喜多流シテ方・勝浦吉十郎と能役者・与田喜三太、名前しかわからない松尾球吉。
あわせて12名です。
つまり、鑑寛と身近な同好者たち13名は、10年間でかわるがわるシテをつとめ、160曲を超える演目を御隠亭能舞台で上演しているのです。
彼らは、まったくのプライベートで、ご趣味でやってらっしゃいます……
能の上演のためには稽古しなければなりません。
例えば、明治19年(1886)4月7日の「御能」にむけて、1月20日 御謡合、2月8日 鳴物稽古、2月20日 御謡合、2月25日 鳴物稽古、3月1日 御謡合、3月5日 鳴物御稽古、3月14日 御謡合、3月20日 鳴物稽古、3月25日 鳴物稽古、4月1日 御能前御謡合、4月4日 御能大御習試と入念な稽古をかさねています。
そして本番当日は1日がかりで、7~8演目を上演するのです。
稽古して上演を繰り返すうちに早10年。
経緯は全くわかりませんが、 ” あの時の鑑寛様のステージが最高だったな?” “いや、あの演目も捨てがたい” という風な感じで、10年間の記憶を掘り起こしながらランキングを作成し、わざわざ印刷までしてしまいました。
印刷にかかる時間と労力と費用が、今よりもずっと大きかった時代にです。
しかし、彼らの能はここで終わりません。
この後も15年ちかくも続けられていきます。
現在のわたしたちには、鑑寛さんの能の巧拙を知る術はありません。
しかし、鑑寛さんの能への愛は、残された記録と能番付「春秋御能相撲」 から十二分に伝わってきて、その大きさに慄かされます。
鑑寛さんの趣味にかける勤勉さと、記録を残そうとする執念。
ここ、オンラインツアーでも出ます。
今回のオンラインツアーは、情報が詰めこまれた濃密な内容にならざるを得ません。
オンラインLIVEツアー「柳川藩の明治維新-最後の藩主立花鑑寛が見た歴史の転換点」(2024.8.31 19時~開催) 柳川古文書館と立花家史料館の両館長が、最後の柳川藩主・鑑寛が見た明治維新を紐解きます。リアルタイムで初公開資料をカメラで撮影、チャットの質問にお答えします。 ◆解説冊子A5版カラー、柳川有名店のレトルトカレーセット 付
オンラインツアーの予習となるよう、鑑寛さんのことをすこしずつ紹介していきます。
【立花家伝来史料モノガタリ】
立花家伝来史料として大切に伝えられてきた”モノ”たちが、今を生きる私たちに語る歴史を、学芸員と読み解いていきます。
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