豊後旅行記① 山田さんの歩いた道
2013/6/7立花家の家譜「御内實御系譜下調」によると、今年は戸次道雪誕生からちょうど500年。
道雪関連のイベントもあちこちで開かれているようです。
立花家史料館では「近世立花家初代・戸次道雪生誕500年記念・シリーズ展示」を開催中。
史料室の主も、去年はソーモくんだったのが、
今年はドーセツくんに変身。
ところで戸次道雪っていったいどんな人だったんでしょう。
雷を斬ったとか、家臣には優しかったが軍令には厳しかったとか、
宗麟の飼猿を鉄扇で叩き殺したとか、たくさんの逸話が残されています。
小説や漫画もたくさんあって、どれも面白いのですが、
史実に基づいた道雪像について知りたい方は、
柳川の歴史4『近世大名 立花家』(中野等・穴井綾香著)をお読みください。
さて江戸時代後期、柳川藩で道雪・宗茂顕彰事業が行われたことがありました。
この事業に携わったのが、笠間惟房・笠間葆光・山田興孝の3人。
彼等は筑前や豊後など、道雪・宗茂にゆかりの土地へ赴き、調査を進め、
最終的に「祖宗懋績録」を完成させました。
その過程において、笠間葆光と山田興孝は天保9年に日出の儒学者・帆足万里を訪ねました。
このとき山田は、柳川を出て日出に着くまでのことを「豊国日記」に記しています。
「豊国日記」には、途次にあたる各地の歴史・出来事・見たものなどが文学調で書かれていて
これを読むと、彼等の通った道のりを知ることができます。
そこで「豊国日記」にある地名をGoogleマップで検索して山田の旅程を調べてみました。
その結果がこちらです。
なお各ポイントはおおよその場所です。
これを見ると
筑後街道→日田までは日田街道→耶馬溪あたりでは日田往還→
→宇佐神宮あたりでは10号線付近→日出までは豊前街道
を通ったことがわかります。
さて
道雪生誕500年を記念して、我ら史料室3人衆も
現代版道雪顕彰の旅に出ることにしました。
目的地は大分。
旅の資金は年末にもらった「フェアプレー賞」の賞金+室長のポケットマネー。
山田の旅(往路のみ)は9月21日から6泊7日でしたが、我らの旅(往復)は5月23日から1泊2日。
山田の旅は全行程徒歩でしたが、我らの旅の始まりは特急「ゆふいんの森」号。
JR九州の誇る素敵特急のひとつです。
リゾート気分が存分に味わえる車内からは
耳納連山や、広がる麦畑を眺めることができます。
慈恩の滝付近では速度を緩めるので、写真撮影も可能です。
別府まで行く便もあるのですが、
今回は到着時間の関係で、湯布院までの便にしか乗れなかったため
特急「ゆふいんの森」とは、由布院駅でお別れ。
せっかくの「いで湯のまち湯布院」ではありますが、ホームの足湯につかる間もなく
久大本線大分行きに乗り換え。
車窓から見えるガードレールに茶色いのがある!とか
駅舎のベンチがカラフルで面白い!とか思っているうちに
大分駅に到着。
昨年できたばかりらしい大分駅のコンコース。
格天井風の天井に鶏のマーク。
休みの日には、真ん中に見えるミニトレイン「ぶんぶん号」が駅内を走るそうです。
さて大分駅からさらに豊肥本線・豊後竹田行きに乗ります。
ホームでふと足元を見ると、ドアの位置案内が。
「黄色い車両」「赤い車両」「白い車両」でドアの位置が違うようです。
わかりやすい。
「赤い車両」のドアをくぐって列車に乗り込み、揺られること約15分。
旅の最初の目的地の最寄り駅、中判田に到着。
駅舎の文字が出迎えてくれました。
「おつかれさまでした おかえりなさいませ」
はい、ちょっとだけ疲れました。
とはいえ、江戸時代に山田興孝が7日間かけて歩いた距離を
現代の我らは約3時間半でやってきたのでした。
つづく。