金甲ストラップ新発売
2011/12/23柳川藩主立花邸 御花の売店で、またまた新商品発売!
じゃじゃーん!
金甲ストラップです。
しかも立花宗茂の使っていた杏葉紋付。
金甲は、正式には「金箔押桃形兜(きんぱくおしももなりかぶと)」といい、
現在立花家には、239頭が残っています。
それらは桃山時代から江戸時代前期の制作で、
戦場で一隊全員揃って着用させたものだと思われています。
きらびやか軍団です。
これが金甲(実物)。
金甲ストラップは横も後ろも完璧。
金甲ストラップが買えるのは、柳川藩主立花邸 御花だけ!
先日発売した立花宗茂のお菓子の横で、ブラブラしてます。
「柳川立花家と島津家」展顛末記 〜その3 史料返却(本宅画像付)〜
2011/12/23おかげさまで、都城島津伝承館における企画展「柳川立花家と島津家」も
12月4日をもちまして無事に終了いたしました。
ご来館くださいましたみなさま、ありがとうございました。
ここでひとつおわびせねばなりませぬ。
その2の次回予告では「〜その3 本宅見学〜」としておりましたが、
更新の機会がないままに会期も終了し、史料も戻ってきました。
そこで、都城島津邸の本宅につきましては、
画像を並べていきますので
それでなんとなくご容赦ください。
少しでも本宅の魅力が伝わったでしょうか。
さて、会期終了から1週間ちょっとたった12月15日のこと、
貸し出していた史料が返ってきました。
搬出のときと同じように、きれいに梱包されています。
おかえり、君たち。
史料を丹念に見て、キズやホツレなどが無いかチェックします。
もし何かが見つかったときは、
貸出のときに記入したチェックシートや、撮った画像を調べて
それが貸出以前からあったものなのか
それとも貸出後に新たに生じたものなのかを判断します。
そのため、貸出時のチェック作業はとても大切なことなのです。
チェックが終わった史料は、
保管するために、再びきちんと包みます。
最後に収蔵庫のしかるべきところに収めて
すべて終了です。
おつかれさまでした。
ところでここ最近、近隣の館の学芸員に会う度に
「戦国鍋TV」を布教する日々なのですが、
都城島津邸の学芸員さんからは逆に
「これ面白いんですよ」というのを教えてもらいました。
鹿児島のローカルヒーロー「薩摩剣士隼人」です。
秋田の超神ネイガーや、沖縄の琉神マブヤーみたいな感じのヒーローです。
考証などはきちんとされているようで、しっかりとした作りなのですが
全体的にゆるい雰囲気が漂っています。
仮面の口のところをぱかっと開けて
食べたり飲んだりするところが素敵です。
公式サイトでは、これまでの回がネット配信されていますので
ぜひ一度ご覧下さい。
とまあ、そんなこんなで無事に史料も戻ってきましたので
今回で「柳川立花家と島津家」展顛末記もおしまい。
お粗末様でした。
立花宗茂のお菓子ができました
2011/12/21柳川藩主立花邸 御花の売店に、新商品入荷!
「立花宗茂 蒸し金鍔」と「立花宗茂 お餅いろいろ」
パッケージの絵は、人気ゲームソフトや出版物のイラストで大人気の諏訪原寛幸さんによるものです。
諏訪原さんには昨年の特別展「立花宗茂」関連イベント、武将パネル展を開催したときにお世話になりました。
蒸し金鍔の方は、立花宗茂と養父・道雪、実父・紹運のスリーショット。
戦中に命を落とした二人の父の遺志を継ぎ、いざ、宗茂参りまする!というちょっと泣ける感じのイラストです。
お餅いろいろの方は、立花宗茂と伊達政宗、真田幸村のスリーショット。
この3人は、ともに1567年に生まれた同級生トリオです。
普段は、政宗や幸村に、人気の点でちょっと負けがちな宗茂ですが、このパッケージでは、当然ながら、堂々の主役です。
今回の宗茂の具足や馬具は、立花家史料館の考証により、より正確に描いていただいたイラストを使っています。
ですので、これまでクリアファイルなどになっていたイラストの宗茂とは
ちょっと違う部分があります。
さて、中のお菓子はどんなかな?
手前が蒸し金鍔、奥がお餅いろいろです。
お餅は草餅・栃餅・梅餅・こがね餅の4種をお楽しみいただけます。
ちなみに、お菓子が乗っているお盆は
今年5月に、宗茂の実母・宋雲院さんの400回忌法要があった際に
いただいたものです。
母上様、息子の立派なお菓子ができました。
これらのお菓子が買えるのは、柳川藩主立花邸 御花だけ!
特集展示のみどころ紹介
2011/12/8史料館は今日もまだまだ展示替え中。
ですが、一足お先に今回の特集展示のみどころをおしらせします。
その1.島村速雄から弟茂穂に宛てた手紙
この手紙は、明治40年(1907)に開催された第2回万国平和会議に
海軍側専門委員として出席するため、オランダのハーグに滞在中、
弟の茂穂に宛てて出した手紙です。
(ちなみに、このときの陸軍側専門委員は秋山好古です)
ハーグ滞在中に、次男が生まれ、
平和の「和」と速雄の「雄」をとって「和雄」と名付けられました。
この和雄がのちに立花家へ養子に入り、16代当主となります。
和雄の名は、茂穂がつけたのですが
こちらの手紙には「和雄トハ好キ思附ノ名ナリ、満足ス」
と書かれています。
ところで、この手紙は
速雄がそのときに泊まっていたであろうホテル
「HOTEL DES INDES」の便箋が使われています。
このホテルが今もあるんです。
左は便箋に描かれていた、当時の外観、
右はホテルの公式サイトより、現在の外観。
HOTEL DES INDESは、1881年に建てられた高級ホテルで、
これまでに王様や貴族などをもてなしてきたと、公式サイトに書いてありました。
これは是非行ってみなければ。
「島村速雄の足跡を訪ねて」という名目の出張希望。
その2.立花宗茂のお守り
宗茂から2代藩主忠茂へ伝えられたとされる
全長20cm程の小さな掛軸です。
その大きさから、宗茂が陣中で身につけていた可能性も考えられます。
描かれているのは剣を持った摩利支天。
摩利支天は、太陽や月の光を神格化したもので
自在の通力を持ちます。
実体が無い為に捉えられず、傷つかないことから
武士の崇敬を集めました。
この「摩利支天掛物」は、
特集展示その2のトップを飾っています。
他にもみどころいろいろの特集展示。
開催は12月10日(土)からです。
速雄さんと宗茂さんのお顔が
史料館入口付近でお待ち申し上げておりますので
そちらを目印にお越しください。
立花家年表ができました
2011/12/7史料館は本日も展示替えですが
ここですてきなお知らせ。
ぱんぱかぱーん。
立花家年表が完成しました!
立派なパネルの年表です。
これを見れば、道雪以来今日まで
約480年の立花家の歴史がまるわかり!
12月10日からの特集展示に関係あるところは…
この辺りが立花宗茂。
当然ですが、最初の方です。
そして、時代はぐーんと飛んで
この辺りに島村速雄が出てきます。
立花家年表は、史料館入ってすぐの右側にあります。
ここは、展示替え期間中も見学OKゾーン。
苦しゅうないので、近う寄って、じっくりご覧下さいませ。
近いうちに、立花家系図パネルもできる…かも。
ただ今展示替え中
2011/12/6スジャータ戦国武将コンプリート
2011/12/1それはまだ夏真っ盛りの8月のこと。
立花家史料館宛に、注文した大量のスジャータ(戦国武将シリーズ)が届いた。
上蓋に戦国武将60種がプリントされている。
50個入りを8袋、計400個のスジャータ。
なぜこんなにたくさん。
それは、通販の販売単位が8袋だったから。
まぁこれだけあれば宗茂も出てくるだろうと思った、というのもある。
めいらくのサイトで台紙をダウンロード・印刷。
ここに上蓋を貼っていく。
それにしても400個は使いきれない。
柳川藩主立花邸御花のレストラン・対月館に、半分ほど使ってもらうことにする。
それから約3ヶ月半。
賞味期限を1ヶ月近く過ぎた今日、
最後に、顔色の悪い前田利家を貼って
やっとコンプリート。
ところでこのシリーズの画像、
普段よく見る肖像画とは別の肖像画が使われている人が多い。
この立花宗茂は、大徳寺蔵の宗茂像だろう。
さあ、60人コンプリートはしたが、
スジャータはまだいくらか残っている。
はたして今年中に使いきれるだろうか。