「柳川立花家と島津家」展顛末記 〜その2 展示替えと開会式〜
2011/10/28間に行事を挟んでしまったため、その2の更新が遅くなりました。
あの日の出来事が忘却の彼方へ消える前に、記しておかなければなりませぬ。
さて、展示替えのため、立花家史料館の学芸員2名が都城へ旅立ったのは、
10月5日のことでした。
出発前に施設管理の志岐さんからもらったオニビシ(茹でてある)を、
新幹線内でもくもくと食べつつ(栗みたいでおいしかった)、
在来線を乗り継いで、昼頃に西都城駅へ到着。
車でちょっと行くと、都城島津邸です。
どどーんと立派な門を入って右が伝承館、左が本宅です。
今回の展示は伝承館で開催されています。
館長さんやスタッフのみなさんにご挨拶を済ませ、いざ展示作業開始。
一週間のご無沙汰の史料たちです。
これらを、これから開封して展示していきます。
展示室は、10月2日まで行われていた「都城の『おとのさま』」が
片付けられて、すっきりした状態です。
展示ケースを奥から順にうめていきます。
これは点数の多い婚礼調度。
梱包の際チェックシートに記入した、取り扱い上の注意を確認しながら
ひとつづつ丁寧に開封します。
今回も日通さんが大活躍。
私たちには普段から見慣れた婚礼調度ですが、
包みが解かれる度に「わ〜」とか「お〜」とか
声をあげる日通の方がいらして(梱包作業にはいらっしゃらなかった)
作品のすばらしさに改めて気付かされました。
新鮮な気持ちは大切です。
さて、展示作業は進んでいきます。
宗茂の兜に後立をつけるの巻。
ピッとさして、横棒でとめて固定します。
完成したら、4人がかりで展示ケースをそーっと回転させ
定位置に置きます。
最終的にはこんな感じです。
こちらの具足は、展示室の一番最初でお待ちしております。
こちらは、展示されるのを整列して待つ有職雛さんたち。
古いものですので、髪の毛や首が取れやすく、要注意です。
最初は、壁付のケースに入れる予定でしたが、諸事情により、のぞきケースに収まりました。
繊細な人たちですので、ケースに衝撃を与えないように気をつけてご覧ください。
展示作業中、地元の高校生が見学にきていました。
何の授業だったのでしょう。
「立花家」という名前だけでも覚えて帰ってもらえれば、幸いです。
「注文したパネルがなかなか届かない」とか、ちょっとしたあれこれはありましたが、
あまり焦るようなこともなく、史料室長も到着した展示作業最終日の夕方には、すべて終了。
ライティングも格好良くきまりました。
雷切丸もいつもよりぴかぴかしてるみたい。
所用者である戸次道雪の肖像(福厳寺蔵)と並んで展示されています。
外には看板が出て、あとは開会を待つばかりとなりました。
そして10月7日の夕刻、いよいよ開会式です。
立派なゲートがつきました。
テープの向こうにちらりと宗茂の具足が見えてます。
開会式は、伝承館2階の交流室で行われました。
参加したのは、市の関係者やボランティアガイドのみなさん、新聞記者が少し。
司会は館長さん御自らされました。
長峯都城市長の式辞。市長、お若いですね。
テープカットは市長・市教育長・都城島津家当主代理の方・立花家史料館史料室長の4人。
このあと内覧会があったのですが、
当館室長が、都城のボランティアガイドのみなさんから質問攻めにあっていたことを
ここに記しておきます(ガイドのみなさんは本当に勉強熱心です)。
なお、ロビーでは柳川藩主立花邸御花オリジナルグッズも販売しております。
(大事な写真がぼけぼけになってしまいました。売店のみなさんごめんなさい。)
これから寒い季節になりますが、お風呂上がりの「西洋炭酸水」はお勧めです。
ベイクドドーナツと一緒にどうぞ。
こうして、無事に幕を開けた「柳川立花家と島津家」展。
12月4日(日)まで好評開催中です。
さらに11月3日には、東京大学史料編纂所の山本博文氏をお迎えして
記念講演会も開催されます。
詳しくは、都城島津のサイトをご覧あれ。
【次回予告】
展示作業の休み時間に
都城島津邸本宅をちょっとだけ見学。
かわいらしい欄間に喜んだり、「昭和天皇御宿泊の部屋」をしげしげと見たり
しっかり満喫しました。
次回「柳川立花家と島津家」展顛末記 〜その3 本宅見学〜
お楽しみに。
庭と展示と抹茶と告知
2011/10/2411月26日に、名古屋工業大学大学院教授の麓和善先生をお迎えして、
国名勝指定記念講演会「煎茶空間から見た九州・柳川」を開催します。
そのプレイベントとして、10月22日、23日の両日
「ギャラリートーク&お庭歩きと抹茶を楽しむ」を行いました。
特集展示「立花氏庭園の世界」と、名勝に追加指定された東庭園を
学芸員のガイドで巡り、最後にお庭を眺めながら抹茶を楽しむ
という、なんとも楽しいイベントです。
21日の夕方から大雨(地響きのような雷つき)だったので
いろいろと心配していたのですが
夜が明けてみたら、今日の宗茂くんもびっくりの晴れ(ときどき曇り)。
イベント担当シャーマン学芸員の言葉。
「私、晴れ女なんです」
あぁ頼もしい。これからもその調子でよろしく。
さて、このイベントの「抹茶を楽しむ」ゾーンにおいてご協力いただいたのが
表千家のみなさま。
みなさまには、御花文化講座の呈茶サービスでもお世話になっております。
今回のお茶席は、松濤館(ホテルの建物)の1階奥に設けました。
畳に正座してではなく、
椅子に腰掛けてお手前を行う「立礼席」です。
天気が良かったので、テラスにもお席をご用意いたしました。
テラス席だと景色もきれいに見え、雰囲気も大変よろしいのですが
この季節でも日差しが強うございますので、ご婦人方はお気を付け遊ばせ。
そしてお菓子はこちら。
これは、太宰府の有名なお菓子屋さん「藤丸」に注文して
特別にかえでの形にしていただいたものだそうです。
お庭を愛でつつお茶を一服。
ちょっとだけ殿様気分を味わえる秋の一日でした。
ご参加いただいたみなさん、本当にありがとうございました。
さて、11月26日の講演会の際には、また違ったワークショップをご用意しております。
その名も「お庭歩きと煎茶を楽しむ」
そうです。今度は煎茶です。
日本礼道小笠原流のみなさまにご協力いただき、煎茶席を設けます。
このときのお庭歩きにはガイドは同行いたしません。
イラストマップ「殿様が眺めた景色」を手に、
ご自分のペースで散策をお楽しみ下さい。
誾千代をぼたもちさんにて偲ぶ
2011/10/1910月16日 よく晴れた日曜日。
初代藩主 立花宗茂の正室、誾千代の命日を翌日に控え、
供養祭がありました。
今年の供養祭には、『文蔵』(PHP研究所)にて「まりしてん誾千代姫」を
好評連載中の、山本兼一先生も編集の方と一緒にお見えになりました。
「まりしてん誾千代姫」は現在のところ、
秀吉の九州攻めが終わり、筑後柳川を賜ったあたりまでお話が進んでおります。
未読の方は、単行本化(来年あたり?)をお待ち下さい。
さて、供養祭に先立ち、まずは三柱神社でお祓いを受けました。
三柱神社は、9代藩主鑑賢の時代に創建されました。
祭神は、戸次道雪(梅岳霊神)・立花宗茂(松陰霊神)
そしてこの日の主役である誾千代(瑞玉霊神)です。
道中の安全などのお祓いを受けたら、いよいよぼたもちさんへ向けて出発。
場所は熊本県玉名市長洲町腹赤。車で約1時間の距離です。
加藤清正領であった腹赤は、誾千代が晩年を送った場所。
亡くなったのもここです。
のどかな田園風景の中に
ありました。誾千代の供養塔、通称「ぼたもちさん」です。
近寄って見てみましょう。
ぼたもちというより……きのこ?
なんとなく目鼻を書きたくなる造形です。
「光照院殿泉誉良清大姉」
これが誾千代の戒名です。
享年は34あるいは35と伝えられています。
幟旗は、地元の方が管理してくださっています。
ちなみに、写真は十七代当主で当館の館長でもある立花宗鑑奉納の旗。
地元の住職さんがお経をあげてくださいました。
正座されているのが山本兼一先生です。
(すみません、後ろ姿の写真しかありませんでした。)
お経とお説教の後はお食事です。
お斎という感じではありませんが、ちょっと豪華にデラックス弁当。
なんと、おいしいぼたもちさんも付いてます!
食べ終わってふうっと一息。
周りを見渡すと、梅の木が二本。
これらは縁あって、太宰府の紅梅・白梅を植樹したものだそうです。
桜の木も何本か植えてありました。
春になればお花見も楽しめますね。
誾千代がこの地で、どんな晩年を送ったのかはわかりませんが、
今のぼたもちさん周辺は、
長閑だけど、ちょっと賑やか(近隣の中学校の部活の声が聞こえていました)で、春には綺麗な花も咲く。
誾千代さんも、喜んでいるのではないかと思いました。
それもこれも、竹藪に囲まれひっそりと寂しい雰囲気だったここを、
整えたり、お世話したりして下さっている、
地主さんや区長さん始め腹赤のみなさん、それから柳川の有志のみなさんのおかげです。
ありがとうございます。そしてこれからも、よろしくお願いします。
さて、再び1時間の道のりをたどり柳川へ。
誾千代の菩提寺である良清寺へ行きました。
ここは、宗茂が柳川再封後に、誾千代の菩提を弔うために建立した寺です。
寺の敷地の奥の方に、誾千代の墓があります。
真ん中が誾千代の墓、
向かって左は、5代藩主 貞俶の室、珂月院の墓、
向かって右は、珂月院の父、立花弾正貞晟(3代藩主忠茂の子)の墓です。
珂月院も貞晟も、江戸で亡くなり、深川の本誓寺に葬られていますので
ここにあるのは供養塔なのでしょう。
近くに池があるためか、蚊がぶわんぶわんしていました。
この後、お向かいの瑞松院などにも行ったのですが、
とりあえず、誾千代供養祭はこれにて結び。
さて近年、お墓巡りをされる歴史ファンの方が多いようです。
そのこと自体はいいのですが、中には無断でお寺に入り、お墓の写真を撮る方もいるそうです。
お墓参りをするときには、お寺さんに一言断って、許可をいただいてからにしましょう。
「ルールとマナーを守って、楽しいお墓参りを。」
立花家史料館からのお願いです。
「柳川立花家と島津家」展顛末記 〜その1 史料搬出〜
2011/10/14twitterでもときどき触れましたが、
10月8日より都城島津伝承館にて「柳川立花家と島津家」展を開催中です。
今回より数回に分けて、この企画展の準備風景をお送りします。
まずは9月27日〜28日に行われた搬出作業の巻から。
都城から学芸員と日通の美術品輸送スタッフが到着。
史料を、収蔵庫から広い部屋に移動するところから作業開始です。
今回は福岡の日通さんもヘルプに来ていたので
力持ちな男手がいっぱい。
あっという間に運び終えました。
まずは、作品の状態を確認して調書に記入していきます。
貸出前と後とで状態が違った場合、借りた側の責任になりますので
傷やほつれ、取り扱う際に注意する点など、こと細かに記入します。
おとなしくチェックを待つ婚礼調度たち。
小さなものが多いので時間がかかります。
でも大事な作業です。
じっと見られる雷切丸。
チェック前にちゃんとお手入れしたので、恥ずかしいところはありません。
見られた後は、きちんと梱包されます。(これはまだ梱包途中の状態)
こちらは、国宝の短刀「吉光」です。
中身は、展示でご覧ください。
間にクッションを挟んだ二重箱にきちんと梱包されました。
他の作品も、日通さんが手際よく梱包していきます。
それぞれ、作品の大きさに合わせた箱に収まっています。
ヤマトロジスティクスさんもそうですが、
美術輸送の専門の方々は箱作りの天才です。
じゃーん。今回都城まで作品を運ぶのはこの車。
「AIR CONDITIONER」で「AIR SUSPENSION」なトラックです。
作品たちもさぞや快適な旅になることでしょう。
この中に次々と積み込んでいきます。
そして、いざ出発。
道中気をつけて〜。
【次回予告】
立花家史料館の学芸員が都城へレッツ出張。
南九州特有のゆるりとしたリズムで
展示替え作業を行いました。
次回「柳川立花家と島津家」展顛末記 〜その2 展示替えと開会式〜
お楽しみに。
柳川城下町絵図パネルを設置しました
2011/10/12以前掛けてあった城下町図の掛け軸が破損して以来、
御役間横の壁は、ただの真っ白な壁(だけど本漆喰の由緒正しい壁)でした。
そこに、新たな城下町絵図を設置することになり、
立花家史料館所蔵の「御家中絵図」「町小路絵図」「沖端町御絵図」の
3枚を合わせてパネルにしたものの制作を、インタージャム株式会社にお願いしました。
それぞれの絵図のフィルムを高性能のスキャナでスキャンし、
色合わせをして合成し(これが結構大変)、
パネルにして額に入った立派なものが出来上がりました。
そして、いよいよ設置です。
これがパネルの完成品(裏返し)。
まずは吊すための金具を取り付けます。
パネルの方にも金具を付けます。
設置場所まで移動。
重いので男性4人で運びます。
狭い場所なので斜めに倒したりしながら慎重に。
上の方を取り付けます。
離れて眺めてみてまっすぐになるようにしましょう。
下の方は、既に柱にあいている穴を利用して(文化財なので)
金具を釘で打ち付けます。
わーい、出来上がり。
「御家中絵図」は居住者の名前(寛政3年当時)が書かれていますので、
好きなお武家さんのおうちを探すもよし、
自分の家の辺りに誰が住んでいたのかを見るもよし、
楽しみ方いろいろ。
ちなみに、絵図の中で「御花」と表記してある部分は、
現在の御花ではなく、江戸時代の御花畠の範囲です。