氷の松濤園
2012/2/3節分の今日、柳川藩主立花邸 御花の松濤園には
朝から氷が張りました。
昨日の雪はもうすっかり溶けてしまいました。
が、池の水はかちんこちんに凍っています。
いつもは優雅に泳ぐ鴨も今朝は……
徒歩です。
行列して向かう先には、本日の朝食が待っております。
朝ご飯に向かって急ぐ腹ぺこ鴨さんたち。
いつもの朝とはちょっと違う松濤園でした。
節分の今日、柳川藩主立花邸 御花の松濤園には
朝から氷が張りました。
昨日の雪はもうすっかり溶けてしまいました。
が、池の水はかちんこちんに凍っています。
いつもは優雅に泳ぐ鴨も今朝は……
徒歩です。
行列して向かう先には、本日の朝食が待っております。
朝ご飯に向かって急ぐ腹ぺこ鴨さんたち。
いつもの朝とはちょっと違う松濤園でした。
今日の柳川は朝から雪です。
柳川藩主立花邸 御花も雪化粧。
滅多にないことですので、早速カメラを持って園内を回りました。
豪雪に悩む地方の方々にとっては
笑止な画像ばかりでしょうが
ちょっと雪が降ると、ひゃっほいとなってしまう九州人が撮ったものですので
どうぞ温かい気持ちでご覧ください。
まずは松濤園。
羽毛たっぷりの鴨は、寒さに負けず泳いでいました。
大広間から見た松濤園。
寒いのでガラス越しに。
西洋館の裏庭。
思わず足跡をつけたくなる雪の積もりっぷり。
お役間横の中庭。
こちらはまあまあの雪です。
まちぼうけの像が、寒そうにまちぼうけていました。
口のあたりの雪が、空也上人像の南無阿弥陀仏のようです。
ところで、雪が降ってひゃっほいとなったのは
昔の人も同じだったようで
立花家に残る古写真にも、雪の立花邸を写したものがあります。
西洋館の裏庭は、今日と同じようにソテツにも雪が積もったようです。
松濤園と大広間と御居間。
屋根まで真っ白です。
まだ小さい松に、時の流れを感じます。
予報によると、寒さは明日まで続くようです。
みなさまお風邪を召されまさぬよう、お気を付けあそばせ。
以上、雪の柳川よりお伝えいたしました。
白秋祭とは、柳川出身の詩人 北原白秋の遺徳を偲び、
その命日である11月2日をはさんでの3日間(11月1日〜3日)に毎年開催される祭です。
この3日間には、提灯や行灯で飾られた約110数隻のどんこ舟が
夜の堀をパレードします。
ステージでは白秋の童謡や歌曲が演奏され、
市民が花火やかがり火で迎える中を、舟はゆっくりと進みます。
立花家17代当主や、東京大学史料編纂所の山本博文先生、
作家の葉室麟先生など、錚々たるメンバーを乗せた
柳川藩主立花邸 御花の舟は、11月2日に出ました。
立花宗茂マップや御花マップのイラストを描いてくださった
ティンドラ・ドロッペさんもお招きしてお楽しみいただいたのですが
そのドロッペさんが、このときの思い出をすばらしい絵巻物にして
持ってきてくださいました。
きれいなラッピング。
紐は和物かと思ったら、北欧で購入されたものらしいです。
和と北欧って、不思議とマッチングするんですよね。
原画は半紙23枚をつないだ絵巻なのですが、
こちらはA4に縮小してからつないだもの。
全長6.5メートルにもなる大作です。
内容はこんな感じです。
素敵な絵と文章で、白秋祭の楽しい様子がほんわかと伝わってきます。
ドロッペさんのブログでは全ての絵をご覧いただけます。
「パレードの舟に乗ってみたい」と思った方は
柳川市観光協会のサイトへ。
来年の乗船申し込みを既に受付中です。
ドロッペさんの白秋祭絵巻は、
何らかの形で柳川藩主立花邸 御花内に掲示して
みなさんにもご覧いただこうと現在画策中。
しばしお待ちを。
10月16日 よく晴れた日曜日。
初代藩主 立花宗茂の正室、誾千代の命日を翌日に控え、
供養祭がありました。
今年の供養祭には、『文蔵』(PHP研究所)にて「まりしてん誾千代姫」を
好評連載中の、山本兼一先生も編集の方と一緒にお見えになりました。
「まりしてん誾千代姫」は現在のところ、
秀吉の九州攻めが終わり、筑後柳川を賜ったあたりまでお話が進んでおります。
未読の方は、単行本化(来年あたり?)をお待ち下さい。
さて、供養祭に先立ち、まずは三柱神社でお祓いを受けました。
三柱神社は、9代藩主鑑賢の時代に創建されました。
祭神は、戸次道雪(梅岳霊神)・立花宗茂(松陰霊神)
そしてこの日の主役である誾千代(瑞玉霊神)です。
道中の安全などのお祓いを受けたら、いよいよぼたもちさんへ向けて出発。
場所は熊本県玉名市長洲町腹赤。車で約1時間の距離です。
加藤清正領であった腹赤は、誾千代が晩年を送った場所。
亡くなったのもここです。
のどかな田園風景の中に
ありました。誾千代の供養塔、通称「ぼたもちさん」です。
近寄って見てみましょう。
ぼたもちというより……きのこ?
なんとなく目鼻を書きたくなる造形です。
「光照院殿泉誉良清大姉」
これが誾千代の戒名です。
享年は34あるいは35と伝えられています。
幟旗は、地元の方が管理してくださっています。
ちなみに、写真は十七代当主で当館の館長でもある立花宗鑑奉納の旗。
地元の住職さんがお経をあげてくださいました。
正座されているのが山本兼一先生です。
(すみません、後ろ姿の写真しかありませんでした。)
お経とお説教の後はお食事です。
お斎という感じではありませんが、ちょっと豪華にデラックス弁当。
なんと、おいしいぼたもちさんも付いてます!
食べ終わってふうっと一息。
周りを見渡すと、梅の木が二本。
これらは縁あって、太宰府の紅梅・白梅を植樹したものだそうです。
桜の木も何本か植えてありました。
春になればお花見も楽しめますね。
誾千代がこの地で、どんな晩年を送ったのかはわかりませんが、
今のぼたもちさん周辺は、
長閑だけど、ちょっと賑やか(近隣の中学校の部活の声が聞こえていました)で、春には綺麗な花も咲く。
誾千代さんも、喜んでいるのではないかと思いました。
それもこれも、竹藪に囲まれひっそりと寂しい雰囲気だったここを、
整えたり、お世話したりして下さっている、
地主さんや区長さん始め腹赤のみなさん、それから柳川の有志のみなさんのおかげです。
ありがとうございます。そしてこれからも、よろしくお願いします。
さて、再び1時間の道のりをたどり柳川へ。
誾千代の菩提寺である良清寺へ行きました。
ここは、宗茂が柳川再封後に、誾千代の菩提を弔うために建立した寺です。
寺の敷地の奥の方に、誾千代の墓があります。
真ん中が誾千代の墓、
向かって左は、5代藩主 貞俶の室、珂月院の墓、
向かって右は、珂月院の父、立花弾正貞晟(3代藩主忠茂の子)の墓です。
珂月院も貞晟も、江戸で亡くなり、深川の本誓寺に葬られていますので
ここにあるのは供養塔なのでしょう。
近くに池があるためか、蚊がぶわんぶわんしていました。
この後、お向かいの瑞松院などにも行ったのですが、
とりあえず、誾千代供養祭はこれにて結び。
さて近年、お墓巡りをされる歴史ファンの方が多いようです。
そのこと自体はいいのですが、中には無断でお寺に入り、お墓の写真を撮る方もいるそうです。
お墓参りをするときには、お寺さんに一言断って、許可をいただいてからにしましょう。
「ルールとマナーを守って、楽しいお墓参りを。」
立花家史料館からのお願いです。
7月24日に三池において御前山二山競演(三池の大蛇山)がありました。
大牟田市には柳川藩と三池藩の藩境が通っており
大字三池(本町)は柳川藩領、大字新町は三池藩領でした。
本町の山車は、その昔柳川藩主から贈られたと伝えられるものだと聞き
「それは見にいかねば!」と、馳せ参じた次第です。
山を待つ若人たち。地域に根付いた祭りなんだと感じます。
背中の祇園守りについつい親近感。
もうもうと煙を吐きながら、本町の大蛇山がやってきました。
こちらは雄だそうです。
続いて向かい側からやってきたのは新町の大蛇山。
こちらは雌です。
こうして、雄大蛇と雌大蛇の年に一度の逢瀬が始まります。
さてさて、柳川藩主から贈られた山車とはどんなものでしょう?
おお!祇園守発見!これは3〜5代藩主の祇園守っぽいかな。
では新町の山車はいかに?
こちらには三池藩の祇園守と杏葉がありました。
渋さの中に歴史を感じます。
翻って本町の山車を後ろから見るの図。
色とりどりで美しい装飾です。
ん?上と下で祇園守の種類が違うぞ?
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、
真ん中の結び目があるかとか全体的なかたちとかの違いです。
そんな疑問はさておき、山車の中をのぞいてみると
大蛇の腹らしきものが見えました。
そうこうしているうちに祭りの進行し
本町・新町それぞれのこどもたちによる祇園楽の演奏の後
花火の競演が始まります。
わっしょい部長のホラ貝の音と共に花火がぱちぱち、煙がもうもう。
あたりは真っ白になりました。
そして、お待ちかねの「かませ」です。
無病息災を祈って、小さな子供達が大蛇の口の中にあーんとされます。
最近の子供は小さな頃から大蛇山を見慣れているので、意外と泣かないそうです。
そして祭りも終盤、雄大蛇と雌大蛇が尻尾を打ち合います。
「ほらほら交尾だよ」と保存会のおじさんがにやにやしながら教えてくださいました。
はい、知ってます。
二本の尻尾の下に見えるのは、これまでに誕生したお子様大蛇の内の一匹です。
さきほどの花火の間は走り回っていました。
尻尾の打ち合いが終わると、新町の大蛇は一気に方向転換をします。
そして、雌大蛇はまた煙を吐きながら新町に帰っていきました。
こうして一年に一度の逢瀬は幕を閉じましたとさ。
雄大蛇(右)が心なしか寂しそう。
二山競演の間、事故の無いようにと、常に山車の上で見守る男衆がいました。
みなさんに守られて、三池の大蛇山祭りはこれからも続いていきます。
貴重なものを間近で見せていただきました。
三池のみなさん、大牟田青年会議所のみなさん、ありがとうございました。
ところで、柳川藩から贈られた山車については
記録が残っていないため詳細がわかりません。
何かご存じの方いらっしゃいませんか。
☆おまけ☆
あちらとこちらの大蛇にかまれる専務
大蛇山は見慣れていませんが、泣きませんでした。
一昨日おんぶでお迎えしたご先祖さまを、今日は船でお見送りします。
精霊船(おしょろさん)です。志岐さんの力作。
先代夫人の初盆なので、花がお供えしてあります。
東庭園のお池に浮かび、そのときを静かに待つおしょろさん。
提灯に火が灯りました。一番綺麗な瞬間のおしょろさん。
お供え物も一緒に乗ります。これで道中のお食事もばっちり。
いざ出発するおしょろさん。見送る立花家の人々。
火がついて一気に燃え上がるおしょろさん。
右は急いで逃げる志岐さん。
盛大な炎と共にご先祖さまたちは満月の空へと昇っていかれました。
さようなら。また来年。
立花家では、一般的なお盆より一ヶ月早い7月にお盆の行事を行います。
迎え火の準備ができました。松を使っています。
いざ、点火!
めらめら燃える炎を目印にご先祖様たちのお帰りです。
お帰りになったご先祖様をおんぶでお連れします。
お仏間まで運びます。重い?
お仏間にご到着。お帰りなさいませ、ご先祖さま。
立花家のご先祖の他に、戦没者(岩屋城とか島原の乱とか)の方々も
お帰りになるので、15日までのお仏間はさぞや賑やかなことでしょう。