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戦国武将ライダー

2013/11/29

この10月から始まった、新しい仮面ライダーシリーズ「仮面ライダー鎧武(ガイム)」。
ご覧になったでしょうか。

戦国武将とフルーツがモチーフとなった、斬新なデザインのライダーです。
主人公の兜は明らかに東北の独眼竜がモチーフと思われます。
そしてフルーツは、オレンジ、バナナ、メロン、ブドウ、そしてドリアンなどなど。
それらが頭上から降ってくる変身シーンは必見です。
特にバナナが。

お子様に大人気の仮面ライダーに、戦国武将の甲冑が採用されたことから
もしや子どもたちの間で甲冑人気が巻き起こるのでは(錠前の方が人気ありそうだけど)。
そんな淡い期待を胸に、天下の仮面ライダーに便乗するべく
立花家史料館でも新しい戦国武将ライダーを考案してみました。

   仮面ライダーソーモ

変身前の姿

[あらすじ]
高橋家の長男である主人公は、父の同僚である戸次家の養子となる。

立派な青年に成長し戦乱の世に身を投じた主人公は
ひょんなことから仮面ライダーソーモに変身してしまう。
二人の父を失いながらも、ソーモとして活躍を続ける主人公。
やがて権力者に認められ、大きな町を統治する立場となったが
天下分け目のライダー合戦に負け、町を追われてしまう。
流浪の日々を送る主人公に、果たして明るい未来はくるのか。

回を追うごとに主人公の名前が変わっていくところも、見どころのひとつ。

[名前の由来]
「ソーモ」の名は、主人公の最後の名前「立斎宗茂(りっさいそうも)」から付けられた。

立斎宗茂時代の花押

[鎧と兜]

「ムーンリングアームズ」

鉄皺革包月輪文最上胴具足

主人公が「統虎」「宗虎」「正成」と名乗っていた頃の装備。
月の輪を表した胸の赤いリングは、友達の加藤君のと似てる。

「ブッダボディアームズ」

伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足

主人公が「親成」「政高」「尚政」と名乗っていた頃の装備。
ソーモはブッダボディアームズに変身して、天下分け目のライダー合戦を戦ったが
味方側が負け、町を追い出されることになった。

[武器]

「ナガミツソード」

剣 銘 長光

主人公が養子として戸次家に行くときに
お父さんのジョーウンからもらったもの。
いつも大切に持っている。

「雷切丸」

脇指 無名(雷切丸)

 
もとは戸次のお父さん・ドーセツのものだった。
このソードで斬られた雷神が、ときどきリベンジしにやってきて
ちょっと面倒くさい。

「スミナワ砲」

火縄銃 銘 墨縄

ご近所の黒田君とちょっとした勝負をしたときの戦利品。
玉がとても真っ直ぐ飛ぶので、この名前がついた。

[脚力]

蹴鞠免許「紫組之冠懸」

主人公は脚力があり、キックの精度も高い。
爆弾マリを使って敵を倒すこともできる。

[乗り物]

「ギョーヨーサドル」

銀杏葉紋鞍

これを馬に乗せると、馬の性能が格段にアップする。
友達の加藤君にもらった。

「ブラックロッド」

黒漆塗籐巻鞭

ギョーヨーサドルによって格段に性能が上がった馬が
さらに早く走る。
これは加藤君からもらったものではない。

[指揮具]

「クロワッサン扇」

金地三日月図軍扇

共に戦う仲間を鼓舞するのに使う、 おしゃれなデザインの扇。

「マンダラ扇」

日月梵字軍扇

共に戦う仲間を鼓舞するのに使う、宗教的なデザインの扇。
秘密の書物に書かれている通りに作った自信作。

[憩いのひとときの道具]

「笛」

一節切(ひとよぎり)

ときには戦いに明け暮れる日々に疲れるときもある。
そんなときには笛を吹くと、心が穏やかになる。

[ガレージ]

柳河旧城図(中野春翠筆)

大きな町を統治していた頃、主人公が本拠地としていた「城」。
流浪の日々を送っていた主人公は、20年ぶりにこの「城」に戻ってくることとなる。

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史料室スタッフが八代にやって来た

2013/11/21

熊本県八代市にある、八代市立博物館未来の森ミュージアムでは
10月25日から12月1日まで
平成25年度秋季特別展覧会「秀吉が八代にやって来た」を開催しています。

この展覧会に、立花家史料館からは
伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足・金地三日月図軍扇
日月梵字軍配・豊臣秀吉書状
の4点を出品しています。
また福厳寺からは
戸次道雪像・立花宗茂像
が出品されています。

そういうことですので、会期もそろそろ終盤の11月20日
史料室スタッフ3人で、八代へ行ってきました。

八代インターからナビの示す道通りしばらく走り、八代市博に到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丘の上に立つ不思議な建物。
1991年に開館したこちらの建物は、伊東豊雄建築設計事務所が手掛けました。
伊東氏にとって初めての公共建築だそうです。
1階の展示室は、緑の丘の中に隠れています。

 

 

 

 

 

 

 

 

丘を登ってエントランスへ。
展覧会は、まず2階が第1会場、階段を降りて1階が第2会場になっています。

八代が、さまざまな権力の支配を経て
豊臣政権に取り込まれるまでの過程を見ることができます。

第一会場入ってすぐのところには「学習ワークシート」が置いてあります。
名前欄に「 学校 年 組」とありますが、
大人が楽しんでもいいそうですのでやってみました。
全問正解すると、こんなバッジがもらえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八代城主バッジ。渋い。

またエントランスには、段ボール甲冑と八代市博スタッフ手作り陣羽織があり
着装して写真を撮ることができます。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな感じです。

陣羽織に隠れてしまいましたが
甲冑のモデルは都城島津邸所蔵の「鉄錆地南蛮胴具足」。
鯨の髭の脇立のついた兜が特徴的です。

陣羽織のモデルは大阪城天守閣所蔵の
「緋羅紗地木瓜紋付桐模様陣羽織」(だと思います)。
家紋部分はホックで付け外しができるようになっていて便利。

他にも陣羽織を着たくまもんとか、妙見祭のガメかぶり物とか
一緒に記念撮影できるあらゆるものが揃った八代市博エントランスなのでした。

 

館内のカフェ「花鳥風月」で一休みした後は
博物館のお向かいにある国指定名勝 松濱軒へ。

横断歩道を渡ろうとしたところ
西日を背負った秀吉さんが見送ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに道の反対側では、週末に開催される
国指定重要無形民俗文化財・八代妙見祭の馬が歩いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街のあちこちに提灯も出ており
今週末の八代は熱くなりそうです。

 

そうこうするうちに、あっという間に到着。
なにしろ博物館の目の前ですので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここにも妙見祭の提灯が。

松濱軒(しょうひんけん)は、元禄元年、八代城主3代松井直之が
生母の為に建てた御茶屋だそうです。
当時は辺りに松が茂り、八代海を見渡せる浜であったことから
松濱軒と名付けられたとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敷地内には展示ゾーンもあり、素晴らしいお茶道具などを拝見することができました。

ここのお庭は大きな池の周囲を散策する池泉回遊式庭園。
大名家の庭に多い形式の庭です。
松井家は熊本藩主・細川家の家老ですが、3万石の八代城主であり、大名格なのです。

 

山を越え、橋を渡り、林をぬけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時折眺望が開けたり、池が垣間見えたり。
地泉回遊式庭園では、いろんな庭の表情を楽しめます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近なんだか蘇鉄が気になる史料室スタッフは
散策路の途中でかわいい蘇鉄を発見しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しい展覧会と素敵なお庭を堪能できた八代行きでした。

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スジャータ戦国武将コンプリート、再び

2013/11/7

スジャータ(戦国武将シリーズ)。

それは「褐色の恋人」でおなじみのコーヒーフレッシュ・スジャータの上蓋に
戦国武将60種の肖像画と略歴がプリントされたもの。
60人の中には立花宗茂も含まれています。

2年前に発売されたときには50個×8袋を購入し、宗茂の人生を振り返ったのちに
専用台紙にコンプリートしたのでした。
(それは現在も保存してあります)

 

そのスジャータ(戦国武将シリーズ)が、この夏再び発売されると聞いたのですが
一度集め終わったものに、それほど興味もなく
なんとなくといった感じで、発売元であるめいらくのサイトをのぞいてみたのでした。

すると、今回は台紙が違う。
日本地図形。4枚を貼り合わせるタイプ 。

これは……買うよね。

こうして、すっかりめいらくの罠にはまった我らは
再び50個×8袋=400個を購入。
(通販では8袋が最少単位でした)
せっかくなので今度は、合戦ごっこなどしてみたりして。
褐色の恋人としてだけではなく
いろいろな楽しみ方のある、スジャータ(戦国武将シリーズ)なのです。

その後専用台紙をダウンロード。
武将コンプリートを目指す夏が始まったのでした。

 

それから3ヶ月。
もうまもなく立冬を迎えるという頃になり、とうとうやりました。
2回目のコンプリート。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほとんどは室長が、たまに館長も使ったスジャータの蓋たち。
地道に貼り続けた60枚。

って、あれ?
1枚空いてますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は黒田長政だけいなかったのです。
400個のスジャータを、3回ぐらいひっくり返して探したのですが
遂に出ませんでした。
竹中半兵衛が匿ったままなのか、長政。
そんなわけで、厳密にはコンプリートとは言えないのでした。 残念。

 

なお今回の400個のうち立花宗茂スジャータは4個(前回は5個)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仲良しの人達と一緒の宗茂。楽しそう。

 

[大量のスジャータ(戦国武将シリーズ)のその後]
史料室で褐色の恋人として使ったほか
社内の他部署に配ったり
資料借用にみえた他館の学芸員さんに差し上げたりしました。

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この秋、九州で天下人の足跡をたどる

2013/10/2

この秋、ここ九州の一部で、豊臣秀吉絡みの展覧会が複数開催されます。

そこでそれらを回るおすすめルートを提案、紹介いたします。

なお福岡市より北からのお客様を想定したルートですので、あしからず。

 

福岡に着いたら、まずは天神から西鉄大牟田線に乗って
福岡県小郡市にある九州歴史資料館を目指しましょう。
ここで開催されているのは、特別展「戦国武将の誇りと祈り-九州の覇権のゆくえ-」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戦国時代の九州」をテーマとしたこの展示では、
少弐氏・大内氏・毛利氏などが、九州の覇権を争っていた時代から
秀吉の九州平定までをたどります。

ここ九州歴史資料館の最寄り駅は「三国が丘」。
駅からは三沢遺跡遊歩道を歩いていきましょう。

この展示には立花家史料館から
立花宗茂像(後期のみ)、脇指 無銘 雷切丸(前期のみ)、剣 銘 長光(後期のみ)
軍神掛物(後期のみ)、金甲(全期)、大友文書、立花家文書
が出ています。

ちなみに10月20日までの前期期間には
福厳寺の戸次道雪像と立花宗茂像、それに天叟寺の高橋紹運像が並んでいます。
10月22日からの後期期間には
高橋紹運と、少し若くなった立花宗茂(立花家史料館蔵の方)の親子が並ぶ予定です。

さらに毎週土日と祝日には、館内で戸次道雪ぬりえも楽しめます。
イラストコンテストへの応募箱も置いていただきましたので、ぜひ自信作を応募してください。
ただし応募は小学生以下のお子様に限ります。

 

さて九州歴史資料館を出たら、再び三国が丘駅に戻り、下り電車に乗って柳川で降りましょう。
目的地はもちろん柳川藩主立花邸 御花

着いたらまずはホテルにチェックイン。
部屋でゆっくりしたいところですが、 明日の朝は早くに発たなければならないので
今日のうちに立花家史料館を見学しておきましょう。

11月10日までは 特集展示「柳川藩の能、立花家の能」を開催しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豪華な能装束や、幽玄な能面を中心に紹介し
柳川藩主立花家と能との関わりを伝える内容の展示です。

他に常設のコーナーでは、立花宗茂の鉄皺革包月輪文最上胴具足を含む
歴代藩主の甲冑等も展示しています。

さて松濤園や西洋館、お役間などの見学を終えたら
おいしい夕食を食べて、明日に備えてゆっくり休みましょう。

なお宿泊プランによっては夕食会場として、
伯爵家族の居室であった御居間(料亭)を利用できる場合もございます。

 

さて2日目。
たっぷりの朝ご飯を食べ、早めにチェックアウト。熊本県八代市へ向かいます。
八代へは、西鉄柳川駅から大牟田で乗り換えて八代まで、という方法や
筑後船小屋から新八代まで九州新幹線という方法などがあります。

八代駅もしくは新八代駅から向かうのは八代市立博物館未来の森ミュージアム

ここで開催されているのが秋季特別展覧会「秀吉が八代にやって来た」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九州平定にやってきた秀吉によって、八代が包摂されるまでの道のりをたどる展示です。

 

この展示には立花家史料館から
伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足、金地三日月図軍扇、 日月梵字軍配、豊臣秀吉判物
が出ています。

ちなみに10月20日まで九州歴史資料館にいた福厳寺蔵の戸次道雪像と立花宗茂像は
こちらに移動して来ています。

 

さて再び八代駅もしくは新八代駅へ戻り、今度は佐賀県唐津市へ向かいましょう。
移動時間が少し長いですが、その間駅弁を食べるもよし、買った図録を眺めるもよし。

唐津駅からしばらくバスに揺られて、名護屋城博物館へ。

ここで開催されているのは企画展「秀吉の宇宙~黄金、そして 茶の湯」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
「黄金」と「茶の湯」、2つの視点を重ねることで見えてくる、天下人・秀吉像に触れる展示です。

この展示には立花家史料館からは何も出ていません。

 

これで秀吉の足跡をたどる旅はおしまい。
あとは各自お家へ帰りましょう。

 

と、これだけ紹介してきて言うのも何ですが
実はこのルートを回ることができるのは
会期の都合上10月25日から11月4日までと、ごく短い期間。
しかも11月1日~3日は柳川で白秋祭が行われるため
柳川藩主立花邸 御花のホテルは既に満室です。

ですが、3つの県にわたる4館を、この期間に回ると
戸次道雪の肖像画
高橋紹運の肖像画
立花宗茂の肖像画 2種
立花宗茂所用の具足 2種
重要文化財の刀剣と文書
などなど、立花家関係だけでも結構な数の作品を見ることができるので
そういう意味でもおすすめです。

 

おすすめではあるのですが、移動には時間とお金がかかります。
時間と気持ちと財布に余裕のある方、是非挑戦してみてください。

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スジャータで合戦ごっこ

2013/8/16

〈 川中島の戦い 〉

第4次の戦いのときのつもり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈 長篠の戦い 〉

勝頼がひとりぼっち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈 関ヶ原の戦い 〉

西軍武将のスジャータが少ない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃立花宗茂は

大津城を攻めている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【もうひとつの遊び方】
〈 信長包囲網ごっこ 〉

ちょっと楽しそう

 

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西洋館保存修理工事中

2013/8/12

夏の間、西洋館は保存修理工事(第一期)を行っております。
工事期間や工事部位など詳しくはこちらをご覧ください。
工事中は西洋館のご見学ができず、みなさまにはご不便をおかけいたしますが
なにとぞご協力をお願い申し上げます。

 

さて工事が始まったのは7月16日。よく晴れた、連休明けの火曜日。
まずは足場の組み立てから。

一日目はこんな感じだったのが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二日目には2階まで覆われ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最終的にはこうなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏の日差しに、白いシートが眩しく輝いています。

 

工事が始まって数日後、結構な量の雨が降った日。
白いシートの中をのぞいてみました。

工事前はこんな感じの家従詰所(床は養生済み)でしたが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

建具屋さんによって窓が外されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全部外れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外の景色がよく見える…と思ったけど、足場とシートしか見えない。

そして今はこうなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

板で仮に塞いである状態。
外は見えない。

外された窓はこの後、ガラスがきちんとはめ直され、ペンキが塗られ
きれいになって帰ってきます。

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豊後旅行記⑥ 先祖の寺、子孫の寺、そして滝

2013/8/9

鎧ヶ岳を後にした我々が次に向かったのは
戸次道雪の甥・鎮連(戸次家16代)の子である
戸次統常(17代)のものと伝わる墓のある常忠寺です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは豊後大野で活動されている「大友氏を顕彰する会」の事務局長さんがご案内くださいました。

統常の戒名は「常忠寺殿節宗義圓大居士」
天正14年に島津軍との戦いで亡くなりました。
立花家の過去帳には、天保6年に250回忌を行ったと書かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お堂の左手奥に階段があるのですが
その下と上に五輪塔がいくつかあります。
中には戸次家初代・能直のものと伝わるものも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し奥まった場所にありますので、
行かれる方は、この紫色の旗を目印に行きましょう。

 

次に向かったのは、常忠寺から一キロほど離れた場所にある勝光寺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝光寺は大友家初代・能直を弔うために建てられたお寺です。
能直は鎌倉時代の御家人で、戒名は「勝光寺殿豊州能連大禅定門」。

常忠寺のお位牌には「貞応2年11月27日」没とありました。
またまた立花家の過去帳によると、文政5年に常忠寺で600年忌が行われたそうです。
なお常忠寺には600年忌の石碑もあります。

能直関連がやたら常忠寺にあるような気がしますが、
これは能直が亡くなったのも墓があるのも常忠寺だと、言い伝えられてきたからでしょうか。
もちろんここ勝光寺にも能直ゆかりと伝わる石塔類があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな庭園もある勝光寺は、赤い旗が目印です。

 

旅の最後に向かったのは、豊後大野市歴史民俗資料館スタッフさんのおすすめ「原尻の滝」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広がる麦畑の中に突如として現れるこの滝は、別名「東洋のナイアガラ」。
日本の滝100選にも選ばれています。

滝の下流にある吊り橋から全景が見えるというので、いざ吊り橋へ。
と思ったら、滝の上流に不思議な光景が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川の中に鳥居。

少し目を移すと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(キリンビール用の)麦畑に鳥居。

これらは、近くにある二ノ宮神社の鳥居。
この辺りには源平争乱期に緒方を拠点として活躍した緒方三郎惟榮の建立と伝わる
一ノ宮八幡宮・二ノ宮八幡宮・三ノ宮八幡宮があります。
一ノ宮八幡宮には仲哀天皇(父)、二ノ宮八幡宮には応神天皇(子)、
三ノ宮八幡宮には神功皇后(母)が祀られており
年に一度11月の下旬に、父と母が子のいる二ノ宮にやってきて、親子水入らずで一夜を過ごします。
これが「緒方三社川越しまつり」です。
祭では、三ノ宮と一ノ宮の御神輿が二ノ宮に集まるのですが
三ノ宮は川の向こうにあるため、二ノ宮に行くには川を渡らねばなりません。
11月の寒い夜に褌姿の男衆が御神輿をかついで川を渡るというその祭の様子は、さぞや勇壮でしょう。

 

そんな話を聞きながら、吊り橋へ到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結構長いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東洋のナイアガラを一望できる橋の中間付近。
広がる景色は壮大。
滝壺を遊覧するボートもあるようで、夏はいいかも。

 

滝の見学を終えたら、今回の旅もいよいよおしまい。
滝近くにある緒方駅へ戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お世話になった豊後大野市歴史民俗資料館の方々とお別れして
帰りの電車を待ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅員さんと駅猫さんが、同じ方向を見つめていました。
この駅猫さんは人に馴れているようで、近づいても逃げませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、電車がやってきました。
江戸時代の道雪顕彰の旅は、当然ながらずっと歩きでしたが(豊後旅行記①参照)
現代版道雪顕彰の旅では、ずっと電車移動でした。
ここから豊肥本線で大分駅へ、そして特急で福岡へ帰ります。

 

一泊二日ではありましたが、我々にとっては実りある旅となりました。
しかしながら今回行けなかったところが まだまだあります。
2回目の旅を企画する所存ではありますが、さていつのことになるか。

 

そしてこれを書き終えた今、やっと旅が終わった気分です。
諸事情により長々とかかってしまいましたが、
お付き合いくださった皆様、ありがとうございました。

 

おわり。

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豊後旅行記⑤ ミッション・イン・豊後大野

2013/8/1

緒方駅に到着し、さてまずは豊後大野市歴史民俗資料館へ。
と思って駅を出たら、資料館のスタッフの方々が車で迎えに来てくださっていました。

電車の時間の都合で、私たちの豊後大野での滞在時間が少ないため
大変ありがたいことに、時間短縮を図ってくださったようです。

 

豊後大野でのミッションその1。
「戸次道雪寄進と伝わる鰐口を見に行く」

その鰐口は、大野町の上津神社の宮司宅に伝わっています。
お宅にお邪魔すると、強面だけどとても気のいい大分弁ばりばりの宮司さんが、早速見せてくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鰐口とは、神社仏閣の正面の軒に、布で編んだ縄と一緒に吊して
その縄でたたいて音を鳴らすためのものです。
この鰐口には永禄12年に戸次道雪奉納、祭礼奉行が由布惟人と記されており
大分県の文化財に指定されています。

ここにはもうひとつ、金弊も伝わっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永禄4年、寄進者は戸次道雪と記されています。
こちらは豊後大野市指定文化財です。

宮司さんのお話を聞きながら、
豊後大野市歴史資料館スタッフさんと共に、バシバシと写真を撮ったり
宮司さんのお母様手作りの煮物をおいしくいただたりして
上津神社へ移動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案内板によると、上津神社の開基は203年、
724年に応神天皇・神功皇后を勧請して上津八幡大神と号したとのこと。
その後もいろいろな人がいろいろなものを寄進していますが
1461年には、鎧ヶ岳城主・戸次親載(戸次家9代)が一の鳥居を寄進。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どっしりした造りの鳥居です。
こちらも大分県指定文化財
元はこのずっと上の山頂に社殿があったそうですが、
参拝するのに不便なので、昭和42年に麓の現在地に移転したらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鰐口や金弊を寄進した道雪(戸次家15代)も登ったと思われる、昼なお暗い山頂への道。
これは確かに参拝には不便かも。

今回は先を急ぐ旅なので、ここは登らずに(急がなくてもあまり登りたくはない山道)
次の目的地へ向かいます。

 

豊後大野でのミッションその2。
「鎧ヶ岳に行く」

立花家の系図によると、戸次道雪の誕生地は
「豊後大野郡藤北鎧ヵ嶽ノ城中藪河原之舘」とあります。
現在までに藪河原の館はおろか、鎧ヶ岳城についても、正確な位置などはわかっていません。
これから研究が進めば、詳細がわかるときがくるかもしれませんが
今回はとりあえず鎧ヶ岳の登山口を目指します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然ながら結構な山道。
向こうに見える山が鎧ヶ岳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登山口への途中、車から降りて景色を眺めると、まさしく「下界」といった展望です。
こういう所にある城なら、戦のときにはとても役立つかも。
狼煙とかあげてみたいなと思いながら再び車に乗り込み、登山口への道へ戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして着いたここが、鎧ヶ岳の登山口。
標高は847m(ちなみに立花山は367m)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際に登って確かめたわけではありませんが、
途中は鎖場もあるような急勾配があり、頂上は少し開けているようです。
でも道雪の生まれた藪河原の館は、ここら辺ではなくてもっと麓の辺りにあったんでしょうね、
とみんなで話しながら鎧ヶ岳(登山口)を後にしました。

鎧ヶ岳と、そこからの景色を実際に見ることができたことは
本当によい経験となりました。

 

つづく。(次回やっと最終回)

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豊後旅行記④ デジャヴ特急に乗って

2013/7/12

別府湾沿いにあるホテルの部屋からは、海から朝日が昇る様子が見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日の日の出は5時半くらい。
まだ早いので、写真を撮ってからもう一眠り。

 

改めて起床し、「あまちゃん」を見ながら朝ご飯。
名残惜しいけれど、素敵なお部屋ともこれでさようなら。

 

チェックアウト後は電車の時間まで、別府の町を散策しつつ、昼食の調達。
ガイド役は、別府を地元とする我らが室長です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソルパセオ銀座商店街では、シャッターに世界各国をモチーフとした絵が描かれています。
これらの絵は、別府大学や立命館アジア太平洋大学の学生によるものだそうです。
写真のシャッターはタイを描いたもの。
それにしてもこのお店、上の「ナショナル」の看板もすごく気になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竹瓦温泉までやってきました。
竹瓦温泉は、明治12年創設。
(その頃立花家では、柳川に御本邸・御隠邸を建設中)
現在の建物は、昭和13年に建てられたそうです。
(その頃立花家では、蜜柑園を開墾していました)
2009年には近代化産業遺産に認定されています。
(その頃福岡県立美術館では、「柳川 立花家の至宝」展開催中)

竹瓦温泉からのびるアーケードは、日本に現存する最古のアーケード・竹瓦小路アーケード。
こちらも近代化産業遺産。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアーケードを修復し、保存しようという願いを込めて作られたのが「たみこの夢弁当」です。
JR九州の駅弁ですが、駅では売っていません。
JR九州の窓口で引換券を受け取り、竹瓦小路の端、竹瓦温泉の目の前にあるTAKEYAで引き換えます。
ちりめん、しいたけ、豊後牛などの名物がたくさん入っており、デザートにはカレーパンとゆずようかん。
室長イチオシのお弁当なのですが、今回はTAKEYAがお休みだったため、食べることができませんでした。
残念。

そこで、「一番古い」つながりで、お昼ご飯はこちらで購入。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創業大正5年、友永パン。
大分県で一番古いパン屋さんです。
お客さんが多い!なにしろ安い!
ついついたくさんのパンを買い込んだところで、そろそろ電車の時間。

 

これから九州横断特急に乗って、戸次道雪誕生地・鎧岳城があった豊後大野市の、緒方駅へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電車の中で、早速買ったパンを食べる。
味付パンが想像以上においしいのでびっくり。
バターフランスもおすすめです。

自由席だったので一番前に座りました。
運転席越しに前方の景色が見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特急で単線、そして車窓に広がる緑色の景色……この感じ、なんとなく覚えが。
そう、都城島津邸で「柳川立花家と島津家」展が開催されたときに
鹿児島中央駅から西都城駅まで乗った、特急「きりしま」の雰囲気に似てる!

 

思い出したことに安心しながら、3人でわいわいしていると(パンは食べ終わった)、
車内改札に来た車掌のお姉さんが「緒方で何かあるんですか?」
私たちそんなに楽しそうにしちゃってましたか。
イベントとかそういうのではないんですけど、歴史民俗資料館にちょっと
とむにゃむにゃ答えはしましたが、
車掌さんは、わかったようなわからないような笑顔を残して去っていかれました。

 

のんびりした景色にまったりとしてきたところで、緒方駅に到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、まずは豊後大野市歴史民俗資料館に向かい、
それから鎧岳を目指します。

 

つづく。

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豊後旅行記③ 湯は別府

2013/7/2

戸次にある帆足本家を後にして、いざ今夜の宿へと向かう史料室スタッフ3人衆。
宿泊の地は、温泉都市・別府です。

大分駅から別府駅までは電車で12分。
意外と近い。
別府駅に降り立った私たちを、
ヤッターマンのガンちゃん(13歳)が、歓迎してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別府ではこの春から、「エンタテイメントシティ・別府」プロジェクトが始動し
タツノコプロとコラボしたあれこれを展開中の模様です。

駅前にある、別府観光の父・油屋熊八の像も
浴衣姿のボヤッキー(自称25歳)と一緒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逆光ながら、なんだか楽しそうな熊八さん。
油屋熊八は、亀の井ホテルの創業者で、
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズを考案したり
日本初の女性バスガイドの案内付観光バスを走らせたりしたアイデアマン。
私財を使って別府温泉の名を全国区にした人でもあります。

2007年に建てられたこの像は、
天国から舞い降りた熊八が「やあ!」と呼びかけているイメージらしいです。
マントにはぶらさがる小鬼。

 

熊八さんの前でタクシーをひろい、今夜の宿へ向かいます。
3人で乗ると、運転手さんが「同窓会ですか?」
なぜ同窓会?木曜日なのに?
えーと、そうではなくて、出張じゃないし、研修?旅行?
説明が難しいなぁと思って、むにゃむにゃしている内に目的地に到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宿は「別府ホテル うみね」(外は工事中:当時)
別府湾が一望できる、海沿いのホテルです。

お部屋がこちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オー!ワンダホーなお部屋!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パウダールーム」にはダイソンの羽根無し扇風機。
仕組みはよくわかりませんでしたが、涼しい風はくる、そして後ろからは風が出ない、
ということを無事確認しました。

 

ホテルのサイトにあった「僕らだけの隠れ家」っぽい雰囲気にするにはどうすればいいか
と、電気を点けたり消したり、テーブルを動かしたり、あれこれ試したなんてことは
恥ずかしいからここだけの秘密です。
結局うまく演出できなかったことは、もっと秘密です。

 

おいしい晩ご飯(鉄板焼き)を食べて

 

デザート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋上展望露天風呂、部屋の半露天風呂、岩盤浴と、
三者三様好みのお風呂を堪能したあとは
ホテルの側の海岸で、線香花火タイム。

 

筒井時正玩具花火製造所は、柳川の隣、みやま市にある花火製造所。
ここ数年テレビや雑誌でもよく見かけます。
西の線香花火・スボ手牡丹、東の線香花火・長手牡丹と、二種類の線香花火を製造しているのは
日本でここだけだそうです。

火薬は飛行機には乗せられません。
今回の旅は電車移動のみなので、ここまで持ってくることができました。

東と西、両方の線香花火で遊んでみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スボ手牡丹(西の花火)は、着火のときも、火が点いてからも、
火先を上向きにして持つものだそうです。
長手牡丹(東の花火)は、斜め45度下向きにして楽しむもののようです。
東の花火の方が少し長持ちしたように感じました。

 

花火の後は、フロント横にある「お部屋でご自由にお楽しみください」のDVDを鑑賞し
ほどよき時間に3人並んで就寝。
長かった一日もやっと終わりです。

 

今回は、道雪のことがひとつも出てきませんでしたが
まぁそんなこともあります。

 

つづく。

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