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この秋、九州で天下人の足跡をたどる

2013/10/2

この秋、ここ九州の一部で、豊臣秀吉絡みの展覧会が複数開催されます。

そこでそれらを回るおすすめルートを提案、紹介いたします。

なお福岡市より北からのお客様を想定したルートですので、あしからず。

 

福岡に着いたら、まずは天神から西鉄大牟田線に乗って
福岡県小郡市にある九州歴史資料館を目指しましょう。
ここで開催されているのは、特別展「戦国武将の誇りと祈り-九州の覇権のゆくえ-」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戦国時代の九州」をテーマとしたこの展示では、
少弐氏・大内氏・毛利氏などが、九州の覇権を争っていた時代から
秀吉の九州平定までをたどります。

ここ九州歴史資料館の最寄り駅は「三国が丘」。
駅からは三沢遺跡遊歩道を歩いていきましょう。

この展示には立花家史料館から
立花宗茂像(後期のみ)、脇指 無銘 雷切丸(前期のみ)、剣 銘 長光(後期のみ)
軍神掛物(後期のみ)、金甲(全期)、大友文書、立花家文書
が出ています。

ちなみに10月20日までの前期期間には
福厳寺の戸次道雪像と立花宗茂像、それに天叟寺の高橋紹運像が並んでいます。
10月22日からの後期期間には
高橋紹運と、少し若くなった立花宗茂(立花家史料館蔵の方)の親子が並ぶ予定です。

さらに毎週土日と祝日には、館内で戸次道雪ぬりえも楽しめます。
イラストコンテストへの応募箱も置いていただきましたので、ぜひ自信作を応募してください。
ただし応募は小学生以下のお子様に限ります。

 

さて九州歴史資料館を出たら、再び三国が丘駅に戻り、下り電車に乗って柳川で降りましょう。
目的地はもちろん柳川藩主立花邸 御花

着いたらまずはホテルにチェックイン。
部屋でゆっくりしたいところですが、 明日の朝は早くに発たなければならないので
今日のうちに立花家史料館を見学しておきましょう。

11月10日までは 特集展示「柳川藩の能、立花家の能」を開催しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豪華な能装束や、幽玄な能面を中心に紹介し
柳川藩主立花家と能との関わりを伝える内容の展示です。

他に常設のコーナーでは、立花宗茂の鉄皺革包月輪文最上胴具足を含む
歴代藩主の甲冑等も展示しています。

さて松濤園や西洋館、お役間などの見学を終えたら
おいしい夕食を食べて、明日に備えてゆっくり休みましょう。

なお宿泊プランによっては夕食会場として、
伯爵家族の居室であった御居間(料亭)を利用できる場合もございます。

 

さて2日目。
たっぷりの朝ご飯を食べ、早めにチェックアウト。熊本県八代市へ向かいます。
八代へは、西鉄柳川駅から大牟田で乗り換えて八代まで、という方法や
筑後船小屋から新八代まで九州新幹線という方法などがあります。

八代駅もしくは新八代駅から向かうのは八代市立博物館未来の森ミュージアム

ここで開催されているのが秋季特別展覧会「秀吉が八代にやって来た」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九州平定にやってきた秀吉によって、八代が包摂されるまでの道のりをたどる展示です。

 

この展示には立花家史料館から
伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足、金地三日月図軍扇、 日月梵字軍配、豊臣秀吉判物
が出ています。

ちなみに10月20日まで九州歴史資料館にいた福厳寺蔵の戸次道雪像と立花宗茂像は
こちらに移動して来ています。

 

さて再び八代駅もしくは新八代駅へ戻り、今度は佐賀県唐津市へ向かいましょう。
移動時間が少し長いですが、その間駅弁を食べるもよし、買った図録を眺めるもよし。

唐津駅からしばらくバスに揺られて、名護屋城博物館へ。

ここで開催されているのは企画展「秀吉の宇宙~黄金、そして 茶の湯」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
「黄金」と「茶の湯」、2つの視点を重ねることで見えてくる、天下人・秀吉像に触れる展示です。

この展示には立花家史料館からは何も出ていません。

 

これで秀吉の足跡をたどる旅はおしまい。
あとは各自お家へ帰りましょう。

 

と、これだけ紹介してきて言うのも何ですが
実はこのルートを回ることができるのは
会期の都合上10月25日から11月4日までと、ごく短い期間。
しかも11月1日~3日は柳川で白秋祭が行われるため
柳川藩主立花邸 御花のホテルは既に満室です。

ですが、3つの県にわたる4館を、この期間に回ると
戸次道雪の肖像画
高橋紹運の肖像画
立花宗茂の肖像画 2種
立花宗茂所用の具足 2種
重要文化財の刀剣と文書
などなど、立花家関係だけでも結構な数の作品を見ることができるので
そういう意味でもおすすめです。

 

おすすめではあるのですが、移動には時間とお金がかかります。
時間と気持ちと財布に余裕のある方、是非挑戦してみてください。

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スジャータで合戦ごっこ

2013/8/16

〈 川中島の戦い 〉

第4次の戦いのときのつもり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈 長篠の戦い 〉

勝頼がひとりぼっち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈 関ヶ原の戦い 〉

西軍武将のスジャータが少ない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃立花宗茂は

大津城を攻めている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【もうひとつの遊び方】
〈 信長包囲網ごっこ 〉

ちょっと楽しそう

 

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西洋館保存修理工事中

2013/8/12

夏の間、西洋館は保存修理工事(第一期)を行っております。
工事期間や工事部位など詳しくはこちらをご覧ください。
工事中は西洋館のご見学ができず、みなさまにはご不便をおかけいたしますが
なにとぞご協力をお願い申し上げます。

 

さて工事が始まったのは7月16日。よく晴れた、連休明けの火曜日。
まずは足場の組み立てから。

一日目はこんな感じだったのが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二日目には2階まで覆われ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最終的にはこうなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏の日差しに、白いシートが眩しく輝いています。

 

工事が始まって数日後、結構な量の雨が降った日。
白いシートの中をのぞいてみました。

工事前はこんな感じの家従詰所(床は養生済み)でしたが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

建具屋さんによって窓が外されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全部外れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外の景色がよく見える…と思ったけど、足場とシートしか見えない。

そして今はこうなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

板で仮に塞いである状態。
外は見えない。

外された窓はこの後、ガラスがきちんとはめ直され、ペンキが塗られ
きれいになって帰ってきます。

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豊後旅行記⑥ 先祖の寺、子孫の寺、そして滝

2013/8/9

鎧ヶ岳を後にした我々が次に向かったのは
戸次道雪の甥・鎮連(戸次家16代)の子である
戸次統常(17代)のものと伝わる墓のある常忠寺です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは豊後大野で活動されている「大友氏を顕彰する会」の事務局長さんがご案内くださいました。

統常の戒名は「常忠寺殿節宗義圓大居士」
天正14年に島津軍との戦いで亡くなりました。
立花家の過去帳には、天保6年に250回忌を行ったと書かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お堂の左手奥に階段があるのですが
その下と上に五輪塔がいくつかあります。
中には戸次家初代・能直のものと伝わるものも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し奥まった場所にありますので、
行かれる方は、この紫色の旗を目印に行きましょう。

 

次に向かったのは、常忠寺から一キロほど離れた場所にある勝光寺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝光寺は大友家初代・能直を弔うために建てられたお寺です。
能直は鎌倉時代の御家人で、戒名は「勝光寺殿豊州能連大禅定門」。

常忠寺のお位牌には「貞応2年11月27日」没とありました。
またまた立花家の過去帳によると、文政5年に常忠寺で600年忌が行われたそうです。
なお常忠寺には600年忌の石碑もあります。

能直関連がやたら常忠寺にあるような気がしますが、
これは能直が亡くなったのも墓があるのも常忠寺だと、言い伝えられてきたからでしょうか。
もちろんここ勝光寺にも能直ゆかりと伝わる石塔類があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな庭園もある勝光寺は、赤い旗が目印です。

 

旅の最後に向かったのは、豊後大野市歴史民俗資料館スタッフさんのおすすめ「原尻の滝」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広がる麦畑の中に突如として現れるこの滝は、別名「東洋のナイアガラ」。
日本の滝100選にも選ばれています。

滝の下流にある吊り橋から全景が見えるというので、いざ吊り橋へ。
と思ったら、滝の上流に不思議な光景が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川の中に鳥居。

少し目を移すと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(キリンビール用の)麦畑に鳥居。

これらは、近くにある二ノ宮神社の鳥居。
この辺りには源平争乱期に緒方を拠点として活躍した緒方三郎惟榮の建立と伝わる
一ノ宮八幡宮・二ノ宮八幡宮・三ノ宮八幡宮があります。
一ノ宮八幡宮には仲哀天皇(父)、二ノ宮八幡宮には応神天皇(子)、
三ノ宮八幡宮には神功皇后(母)が祀られており
年に一度11月の下旬に、父と母が子のいる二ノ宮にやってきて、親子水入らずで一夜を過ごします。
これが「緒方三社川越しまつり」です。
祭では、三ノ宮と一ノ宮の御神輿が二ノ宮に集まるのですが
三ノ宮は川の向こうにあるため、二ノ宮に行くには川を渡らねばなりません。
11月の寒い夜に褌姿の男衆が御神輿をかついで川を渡るというその祭の様子は、さぞや勇壮でしょう。

 

そんな話を聞きながら、吊り橋へ到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結構長いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東洋のナイアガラを一望できる橋の中間付近。
広がる景色は壮大。
滝壺を遊覧するボートもあるようで、夏はいいかも。

 

滝の見学を終えたら、今回の旅もいよいよおしまい。
滝近くにある緒方駅へ戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お世話になった豊後大野市歴史民俗資料館の方々とお別れして
帰りの電車を待ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅員さんと駅猫さんが、同じ方向を見つめていました。
この駅猫さんは人に馴れているようで、近づいても逃げませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、電車がやってきました。
江戸時代の道雪顕彰の旅は、当然ながらずっと歩きでしたが(豊後旅行記①参照)
現代版道雪顕彰の旅では、ずっと電車移動でした。
ここから豊肥本線で大分駅へ、そして特急で福岡へ帰ります。

 

一泊二日ではありましたが、我々にとっては実りある旅となりました。
しかしながら今回行けなかったところが まだまだあります。
2回目の旅を企画する所存ではありますが、さていつのことになるか。

 

そしてこれを書き終えた今、やっと旅が終わった気分です。
諸事情により長々とかかってしまいましたが、
お付き合いくださった皆様、ありがとうございました。

 

おわり。

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豊後旅行記⑤ ミッション・イン・豊後大野

2013/8/1

緒方駅に到着し、さてまずは豊後大野市歴史民俗資料館へ。
と思って駅を出たら、資料館のスタッフの方々が車で迎えに来てくださっていました。

電車の時間の都合で、私たちの豊後大野での滞在時間が少ないため
大変ありがたいことに、時間短縮を図ってくださったようです。

 

豊後大野でのミッションその1。
「戸次道雪寄進と伝わる鰐口を見に行く」

その鰐口は、大野町の上津神社の宮司宅に伝わっています。
お宅にお邪魔すると、強面だけどとても気のいい大分弁ばりばりの宮司さんが、早速見せてくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鰐口とは、神社仏閣の正面の軒に、布で編んだ縄と一緒に吊して
その縄でたたいて音を鳴らすためのものです。
この鰐口には永禄12年に戸次道雪奉納、祭礼奉行が由布惟人と記されており
大分県の文化財に指定されています。

ここにはもうひとつ、金弊も伝わっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永禄4年、寄進者は戸次道雪と記されています。
こちらは豊後大野市指定文化財です。

宮司さんのお話を聞きながら、
豊後大野市歴史資料館スタッフさんと共に、バシバシと写真を撮ったり
宮司さんのお母様手作りの煮物をおいしくいただたりして
上津神社へ移動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案内板によると、上津神社の開基は203年、
724年に応神天皇・神功皇后を勧請して上津八幡大神と号したとのこと。
その後もいろいろな人がいろいろなものを寄進していますが
1461年には、鎧ヶ岳城主・戸次親載(戸次家9代)が一の鳥居を寄進。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どっしりした造りの鳥居です。
こちらも大分県指定文化財
元はこのずっと上の山頂に社殿があったそうですが、
参拝するのに不便なので、昭和42年に麓の現在地に移転したらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鰐口や金弊を寄進した道雪(戸次家15代)も登ったと思われる、昼なお暗い山頂への道。
これは確かに参拝には不便かも。

今回は先を急ぐ旅なので、ここは登らずに(急がなくてもあまり登りたくはない山道)
次の目的地へ向かいます。

 

豊後大野でのミッションその2。
「鎧ヶ岳に行く」

立花家の系図によると、戸次道雪の誕生地は
「豊後大野郡藤北鎧ヵ嶽ノ城中藪河原之舘」とあります。
現在までに藪河原の館はおろか、鎧ヶ岳城についても、正確な位置などはわかっていません。
これから研究が進めば、詳細がわかるときがくるかもしれませんが
今回はとりあえず鎧ヶ岳の登山口を目指します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然ながら結構な山道。
向こうに見える山が鎧ヶ岳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登山口への途中、車から降りて景色を眺めると、まさしく「下界」といった展望です。
こういう所にある城なら、戦のときにはとても役立つかも。
狼煙とかあげてみたいなと思いながら再び車に乗り込み、登山口への道へ戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして着いたここが、鎧ヶ岳の登山口。
標高は847m(ちなみに立花山は367m)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際に登って確かめたわけではありませんが、
途中は鎖場もあるような急勾配があり、頂上は少し開けているようです。
でも道雪の生まれた藪河原の館は、ここら辺ではなくてもっと麓の辺りにあったんでしょうね、
とみんなで話しながら鎧ヶ岳(登山口)を後にしました。

鎧ヶ岳と、そこからの景色を実際に見ることができたことは
本当によい経験となりました。

 

つづく。(次回やっと最終回)

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豊後旅行記④ デジャヴ特急に乗って

2013/7/12

別府湾沿いにあるホテルの部屋からは、海から朝日が昇る様子が見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日の日の出は5時半くらい。
まだ早いので、写真を撮ってからもう一眠り。

 

改めて起床し、「あまちゃん」を見ながら朝ご飯。
名残惜しいけれど、素敵なお部屋ともこれでさようなら。

 

チェックアウト後は電車の時間まで、別府の町を散策しつつ、昼食の調達。
ガイド役は、別府を地元とする我らが室長です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソルパセオ銀座商店街では、シャッターに世界各国をモチーフとした絵が描かれています。
これらの絵は、別府大学や立命館アジア太平洋大学の学生によるものだそうです。
写真のシャッターはタイを描いたもの。
それにしてもこのお店、上の「ナショナル」の看板もすごく気になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竹瓦温泉までやってきました。
竹瓦温泉は、明治12年創設。
(その頃立花家では、柳川に御本邸・御隠邸を建設中)
現在の建物は、昭和13年に建てられたそうです。
(その頃立花家では、蜜柑園を開墾していました)
2009年には近代化産業遺産に認定されています。
(その頃福岡県立美術館では、「柳川 立花家の至宝」展開催中)

竹瓦温泉からのびるアーケードは、日本に現存する最古のアーケード・竹瓦小路アーケード。
こちらも近代化産業遺産。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアーケードを修復し、保存しようという願いを込めて作られたのが「たみこの夢弁当」です。
JR九州の駅弁ですが、駅では売っていません。
JR九州の窓口で引換券を受け取り、竹瓦小路の端、竹瓦温泉の目の前にあるTAKEYAで引き換えます。
ちりめん、しいたけ、豊後牛などの名物がたくさん入っており、デザートにはカレーパンとゆずようかん。
室長イチオシのお弁当なのですが、今回はTAKEYAがお休みだったため、食べることができませんでした。
残念。

そこで、「一番古い」つながりで、お昼ご飯はこちらで購入。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創業大正5年、友永パン。
大分県で一番古いパン屋さんです。
お客さんが多い!なにしろ安い!
ついついたくさんのパンを買い込んだところで、そろそろ電車の時間。

 

これから九州横断特急に乗って、戸次道雪誕生地・鎧岳城があった豊後大野市の、緒方駅へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電車の中で、早速買ったパンを食べる。
味付パンが想像以上においしいのでびっくり。
バターフランスもおすすめです。

自由席だったので一番前に座りました。
運転席越しに前方の景色が見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特急で単線、そして車窓に広がる緑色の景色……この感じ、なんとなく覚えが。
そう、都城島津邸で「柳川立花家と島津家」展が開催されたときに
鹿児島中央駅から西都城駅まで乗った、特急「きりしま」の雰囲気に似てる!

 

思い出したことに安心しながら、3人でわいわいしていると(パンは食べ終わった)、
車内改札に来た車掌のお姉さんが「緒方で何かあるんですか?」
私たちそんなに楽しそうにしちゃってましたか。
イベントとかそういうのではないんですけど、歴史民俗資料館にちょっと
とむにゃむにゃ答えはしましたが、
車掌さんは、わかったようなわからないような笑顔を残して去っていかれました。

 

のんびりした景色にまったりとしてきたところで、緒方駅に到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、まずは豊後大野市歴史民俗資料館に向かい、
それから鎧岳を目指します。

 

つづく。

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豊後旅行記③ 湯は別府

2013/7/2

戸次にある帆足本家を後にして、いざ今夜の宿へと向かう史料室スタッフ3人衆。
宿泊の地は、温泉都市・別府です。

大分駅から別府駅までは電車で12分。
意外と近い。
別府駅に降り立った私たちを、
ヤッターマンのガンちゃん(13歳)が、歓迎してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別府ではこの春から、「エンタテイメントシティ・別府」プロジェクトが始動し
タツノコプロとコラボしたあれこれを展開中の模様です。

駅前にある、別府観光の父・油屋熊八の像も
浴衣姿のボヤッキー(自称25歳)と一緒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逆光ながら、なんだか楽しそうな熊八さん。
油屋熊八は、亀の井ホテルの創業者で、
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズを考案したり
日本初の女性バスガイドの案内付観光バスを走らせたりしたアイデアマン。
私財を使って別府温泉の名を全国区にした人でもあります。

2007年に建てられたこの像は、
天国から舞い降りた熊八が「やあ!」と呼びかけているイメージらしいです。
マントにはぶらさがる小鬼。

 

熊八さんの前でタクシーをひろい、今夜の宿へ向かいます。
3人で乗ると、運転手さんが「同窓会ですか?」
なぜ同窓会?木曜日なのに?
えーと、そうではなくて、出張じゃないし、研修?旅行?
説明が難しいなぁと思って、むにゃむにゃしている内に目的地に到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宿は「別府ホテル うみね」(外は工事中:当時)
別府湾が一望できる、海沿いのホテルです。

お部屋がこちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オー!ワンダホーなお部屋!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パウダールーム」にはダイソンの羽根無し扇風機。
仕組みはよくわかりませんでしたが、涼しい風はくる、そして後ろからは風が出ない、
ということを無事確認しました。

 

ホテルのサイトにあった「僕らだけの隠れ家」っぽい雰囲気にするにはどうすればいいか
と、電気を点けたり消したり、テーブルを動かしたり、あれこれ試したなんてことは
恥ずかしいからここだけの秘密です。
結局うまく演出できなかったことは、もっと秘密です。

 

おいしい晩ご飯(鉄板焼き)を食べて

 

デザート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋上展望露天風呂、部屋の半露天風呂、岩盤浴と、
三者三様好みのお風呂を堪能したあとは
ホテルの側の海岸で、線香花火タイム。

 

筒井時正玩具花火製造所は、柳川の隣、みやま市にある花火製造所。
ここ数年テレビや雑誌でもよく見かけます。
西の線香花火・スボ手牡丹、東の線香花火・長手牡丹と、二種類の線香花火を製造しているのは
日本でここだけだそうです。

火薬は飛行機には乗せられません。
今回の旅は電車移動のみなので、ここまで持ってくることができました。

東と西、両方の線香花火で遊んでみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スボ手牡丹(西の花火)は、着火のときも、火が点いてからも、
火先を上向きにして持つものだそうです。
長手牡丹(東の花火)は、斜め45度下向きにして楽しむもののようです。
東の花火の方が少し長持ちしたように感じました。

 

花火の後は、フロント横にある「お部屋でご自由にお楽しみください」のDVDを鑑賞し
ほどよき時間に3人並んで就寝。
長かった一日もやっと終わりです。

 

今回は、道雪のことがひとつも出てきませんでしたが
まぁそんなこともあります。

 

つづく。

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豊後旅行記② 戸次・帆足本家

2013/6/13

さて、無事に中判田駅に到着した、我ら史料室スタッフ3人衆。

これから向かうのは「帆足本家 富春館」です。
前回の「豊後旅行記①」で述べたように
笠間葆光と山田興孝は、戸次道雪・立花宗茂顕彰事業の一環で
天保9年に日出の儒学者・帆足万里を訪ねました。
このとき山田は、万里から「借竹亭」の号をもらっています。

我らも山田に倣って、帆足家を訪ねることにしました。
ただしこちらは日出の帆足さんではなく、大分市中戸次(なかへつぎ)の帆足さん。
戸次家本貫地の帆足さんです。

 

中判田駅からタクシーで5分ほど行ったところに帆足本家はあります。
3人でタクシーに乗ると、運転手さんが「初夏を訪ねる旅ですか?」
初夏を訪ねる旅……
それがどういうものなのはわかりませんが、
私たちのはそんな爽やかなものではなく、戦国武将の本貫地を訪ねる旅です。
と言うのもなんだかなぁと思って、むにゃむにゃしている内に目的地に到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この帆足家は、12世紀に玖珠郡に興った家で
大友家と主従関係を結び、1586年戸次(へつぎ)に居を構え
江戸時代には庄屋だったそうです。
帆足家には田能村竹田や頼山陽などいろいろな文人が訪れ
幕末から明治に活躍した帆足杏雨は、この家の人とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帆足本家の前には「戸次市村」の碑があります。
近世以前は戸次市村と呼ばれていたこの地区は
在郷の中心として形成された日向街道筋の在町(ざいまち)でした。
現在、歴史的な町並みの保存とにぎわいの復活を目指した街作りをされているそうです。

 

さて現在の「帆足本家 富春館」は、レストランやカフェ、アートギャラリーなどの施設となっています。
門をくぐると立派なお庭、奥に母屋。
母屋が気になるところですが、この時点ですでに13時半。
まずは、門を入ってすぐ右にあるレストラン桃花流水でお昼ご飯です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大正5年に蔵から洋館へと姿を変え、応接室として使われていた建物を利用したレストランでは、
戸次の特産物・ごぼうと野菜のコース料理を楽しむことができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはごぼうと魚の南蛮漬け。
他にも豆腐、グラタン、天ぷら、デザートなど、ごぼうが七変化。
さらに驚きが、ごぼうコーヒー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コクのある深い味のコーヒーです。
上に渡してあるゴボウスティックは、浸して食べてもそのまま食べても絶品。
ごぼうって意外と変幻自在です。
きんぴらとごぼう天うどん(福岡名物)だけと思うなかれ
と、肝に銘じる。

 

お腹もふくれたところで、いざ母屋へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慶應元年築。
武家の家構えです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二間続きに縁側のついたこちらの部屋には
頼山陽の「富春館」という揮毫の額がかけてあります。
山陽が南画への志に燃える帆足杏雨のために、新品の硯を用いて書いたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラスは柳川藩主立花邸 御花と同じ古ガラス。
建築当初のもの。
外の景色が歪んで見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トイレのサインがおしゃれさん。

母屋の奥と離れ座敷はギャラリーになっており、
現代の作家さんたちの作品が 展示販売されています。
かつて多くの文人墨客を迎え入れた帆足家は
今では、現代の文人サロンとしての役割を果たされているのです。

 

母屋などのある敷地の向かいには
4月27日にオープンしたばかりの「Life&Deli富春館」 。
富春館オリジナルのお菓子や、レストランでも出しているドレッシングなどを売っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初にあげた「戸次市村」の碑は、このお店の前にあります。
そしてもうひとつ、この前にあるのが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごぼう君」

立派な収穫物を手に誇らしげなごぼう君。
左手には何を持っているの?

戸次のごぼうは軟らかくて風味がいいのが特長だそうです。

 

かつて酒造業を営んでいた帆足家なので、
敷地には酒蔵も残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
今は大分市が管理しており、中の見学もできます。
その酒蔵の案内看板に気になるものが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左の杏葉紋っぽい人は戸次道雪と思ってもいいでしょうか。
ここは戸次だし。
右の人は大友宗麟?
着ているのが柞原八幡宮所蔵の宗麟が寄進したと伝わる腹巻に似てますが。

 

若干の謎を残しつつ、帆足本家とはこれでお別れ。
ご飯にお茶にギャラリーにお庭に。
長時間楽しめる施設でした。

 

山田興孝は帆足万里から号をもらって帰りましたが
私たちは現代の文人の作品を1つずつ買って帰りました。

 

再びタクシーで中判田駅に戻り
豊肥本線と日豊本線を乗り継いで、今夜の宿へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

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豊後旅行記① 山田さんの歩いた道

2013/6/7

立花家の家譜「御内實御系譜下調」によると、今年は戸次道雪誕生からちょうど500年。

道雪関連のイベントもあちこちで開かれているようです。
立花家史料館では「近世立花家初代・戸次道雪生誕500年記念・シリーズ展示」を開催中。
史料室の主も、去年はソーモくんだったのが、

今年はドーセツくんに変身。

 

ところで戸次道雪っていったいどんな人だったんでしょう。
雷を斬ったとか、家臣には優しかったが軍令には厳しかったとか、
宗麟の飼猿を鉄扇で叩き殺したとか、たくさんの逸話が残されています。
小説や漫画もたくさんあって、どれも面白いのですが、
史実に基づいた道雪像について知りたい方は、
柳川の歴史4『近世大名 立花家』(中野等・穴井綾香著)をお読みください。

さて江戸時代後期、柳川藩で道雪・宗茂顕彰事業が行われたことがありました。
この事業に携わったのが、笠間惟房・笠間葆光・山田興孝の3人。
彼等は筑前や豊後など、道雪・宗茂にゆかりの土地へ赴き、調査を進め、
最終的に「祖宗懋績録」を完成させました。

その過程において、笠間葆光と山田興孝は天保9年に日出の儒学者・帆足万里を訪ねました。
このとき山田は、柳川を出て日出に着くまでのことを「豊国日記」に記しています。
「豊国日記」には、途次にあたる各地の歴史・出来事・見たものなどが文学調で書かれていて
これを読むと、彼等の通った道のりを知ることができます。

そこで「豊国日記」にある地名をGoogleマップで検索して山田の旅程を調べてみました。
その結果がこちらです。
なお各ポイントはおおよその場所です。

これを見ると
筑後街道→日田までは日田街道→耶馬溪あたりでは日田往還→
→宇佐神宮あたりでは10号線付近→日出までは豊前街道
を通ったことがわかります。

さて
道雪生誕500年を記念して、我ら史料室3人衆も
現代版道雪顕彰の旅に出ることにしました。

目的地は大分。
旅の資金は年末にもらった「フェアプレー賞」の賞金+室長のポケットマネー。

山田の旅(往路のみ)は9月21日から6泊7日でしたが、我らの旅(往復)は5月23日から1泊2日。
山田の旅は全行程徒歩でしたが、我らの旅の始まりは特急「ゆふいんの森」号。

JR九州の誇る素敵特急のひとつです。

リゾート気分が存分に味わえる車内からは
耳納連山や、広がる麦畑を眺めることができます。
慈恩の滝付近では速度を緩めるので、写真撮影も可能です。

別府まで行く便もあるのですが、
今回は到着時間の関係で、湯布院までの便にしか乗れなかったため
特急「ゆふいんの森」とは、由布院駅でお別れ。

せっかくの「いで湯のまち湯布院」ではありますが、ホームの足湯につかる間もなく
久大本線大分行きに乗り換え。

車窓から見えるガードレールに茶色いのがある!とか
駅舎のベンチがカラフルで面白い!とか思っているうちに
大分駅に到着。

昨年できたばかりらしい大分駅のコンコース。

格天井風の天井に鶏のマーク。
休みの日には、真ん中に見えるミニトレイン「ぶんぶん号」が駅内を走るそうです。

さて大分駅からさらに豊肥本線・豊後竹田行きに乗ります。

ホームでふと足元を見ると、ドアの位置案内が。

「黄色い車両」「赤い車両」「白い車両」でドアの位置が違うようです。
わかりやすい。

「赤い車両」のドアをくぐって列車に乗り込み、揺られること約15分。
旅の最初の目的地の最寄り駅、中判田に到着。

駅舎の文字が出迎えてくれました。

「おつかれさまでした おかえりなさいませ」
はい、ちょっとだけ疲れました。

とはいえ、江戸時代に山田興孝が7日間かけて歩いた距離を
現代の我らは約3時間半でやってきたのでした。

つづく。

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「立花宗茂を大河ドラマにするには」

2013/5/10

ゴールデンウィーク前半の4月28日、柳川市総合保健福祉センター「水の郷」で
「葉室麟 トークライブ」が開催されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このイベントは、柳川市出身の芥川賞作家・長谷健が1946年に設立した柳川文化クラブを前身とする
柳川文化協会の主催で、協会の総会後に記念公演として行われたものです。

 

葉室麟さんといえばご存知の通り、『蜩の記』で直木賞を受賞された作家。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
受賞第一作として、立花宗茂の後半生を描いた『無双の花』を刊行されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで、今回のトークライブのテーマはずばり

「立花宗茂を大河ドラマにするには」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

壮大なテーマです。

 

柳川文化協会総会記念公演ではありますが、一般にも公開されました。
このイベントに立花家史料館は協賛しており、この受付の向こうに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『無双の花』販売ブースを設置。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日だけ、立花家史料館特製ブックカバー(宗茂花押デザイン)が復活!
イベント後、多くのお客さんにお買い求めいただきました。
発売から1年以上経つにも関わらず、今もコンスタントに売れています。
ありがたいことです。

 

さてイベントを前に、パーソナリティを務める我が史料室長と葉室さんは打ち合わせ。
話の流れを確認中です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてトークライブが始まる頃には、総会に参加されていた文化協会のみなさんと、
一般のお客さんで会場は満員となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは基本的なこととして、室長が立花宗茂の生涯を解説。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このとき使われた宗茂の肖像画は、パソコン上でアンチエイジング作業をして
若いときには若い宗茂、おじさんになったらおじさん宗茂の絵になっていました。
それらがどんな顔なのかは、室長のtwitterアカウントでご確認ください(4月30日あたりです)。

 

「宗茂を大河に!」という声は時々耳にするのですが
「それは難しいのでは」という声も同時に聞こえてきます。

今回のトークライブでは、ドラマ化するにあたってクリアすべき問題点、
盛り込みたいエピソード、演じて欲しい俳優さんなどが話題になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリアすべき問題とはすなわち、秀吉の朝鮮出兵のこと。
盛り込みたいエピソードとしては、
7歳にして城督となり宗茂の最初の妻となった誾千代のこと(やはり大河では女性の位置が大切)、
後半生を敗者としてスタートしたこと(宗茂が人間的な成長を遂げるきっかけとなった)、
それから宗茂をとりまく個性的な家臣団のこと、
などがあげられました。

宗茂は、戦で活躍して柳川城主となり、関ヶ原敗戦後に柳川を失い、
その後棚倉を経て、20年後に柳川に戻った、
つまり元の位置に戻っただけなので、ドラマ化するにはあまりにも地味です。
しかし戻るまでの間、志に沿って淡々と自分の生き方を貫いた。
元の位置に戻っただけで、地味だけど、そこに価値がある。

そういった感じのお話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところでイベントに先立って「立花宗茂がドラマ化された場合、どなたに演じてほしいですか」
という事前アンケートを行いました。
柳川文化協会のみなさんや柳川藩主立花邸御花スタッフから、
さらにはtwitter経由で、いろんな回答が寄せられました。
その集計結果をこの場で大発表いたします。

今回ご意見を募集したのは
立花宗茂・高橋紹運・戸次道雪・誾千代・その他
ドリームプランなので、どなたの名前を挙げてもよいという前提です。

 

まずは「高橋紹運」
一位は同票で
佐藤浩市
江口洋介  (敬称略、以下同)
実力派2人が並びました。
それに、佐々木蔵之介 、中井貴一、大沢たかお、唐沢寿明が続きます(皆同票です)。
他には渡哲也、三上博史、西島秀俊など、全30名の役者さんの名前が挙げられました。

 

次に「戸次道雪」
一位は
渡辺謙
ギャラが高そうです。
そして佐藤浩市、北大路欣也と続きます。
他には阿部寛、高橋克実、世良公則、市川左談二など、全27名の役者さんが挙げられました。

 

そして「誾千代」
一位は同票で
井上真央
柴咲コウ
何となくわかるような、わからないような。
そして堀北真希、剛力彩芽、新垣結衣、杏と旬の女優さんが並びます。
他に上戸彩、満島ひかり、貫地谷しほり、真木よう子など全部で33名が挙がりました。
葉室さんは「堀北真希に一票」だそうです。

 

実はみなさんが一番頭を悩ませたのが「立花宗茂」
気になる一位は
松坂桃李
なるほど、爽やかですね。
松田龍平、妻夫木聡、小栗旬と続きます。
(なお柳川出身の妻夫木聡の名が挙がったときに会場が盛り上がったことを、ここに付記いたします。)
他にも若手イケメンと呼ばれる俳優から、実力派壮年俳優までたくさん挙げられました。
せっかくですので、上記4名以外に挙げられた全ての役者さんを列挙いたします。(順不同)

生田斗真、坂口憲二 、松田翔太、瑛太、福山雅治、松本潤、平岳大、二宮和也、綾野剛、溝端淳平、
福士蒼汰、村井良大、高橋光臣、向井理、成宮寛貴、三浦翔平、亀梨和也、玉森裕太、三浦春馬、
上川隆也、藤原竜也、玉山鉄二、福士誠治、玉木宏、松山ケンイチ、大沢たかお、堺雅人、渡辺謙、内野聖陽

どうでしょうか、みなさんの脳内配役にぴったりの役者さんはいらっしゃいましたか。

 

なおその他の配役では
立花直次→佐藤健
徳川家康→西田敏行
豊臣秀吉→笹野高史
加藤清正→小栗旬
薦野増時→鹿賀丈史
由布惟信→西田敏行
大友義統→市川海老蔵
宋雲院もしくは仁志姫→小泉今日子

 

実際にキャスティングするとなると大変なのでしょうが、これは夢の話なので好き勝手に言えるところが楽しい。

 

トークライブでは他に、歴史を小説として書き、映像化するという作業のことなども語られました。
ちなみに『蜩の記』は映画化が決定し、現在は撮影が進んでいるそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2代藩主立花忠茂と、その正室で伊達政宗の孫・鍋姫の話「牡丹咲くころ」も
短編集に収録される予定とのことで、こちらも楽しみです。

 

いずれ立花宗茂が、大河ドラマでなくても、なんらかの形で映像化(年末年始の大型時代劇とか)されたらいいな。
そのときには、今回のアンケートをキャスティングの参考にしていただけましたら幸いです。

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