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戦国BASARAの宗茂

2011/11/21

戦国BASARAとは、CAPCOMから発売されている
「スタイリッシュ英雄(HERO)アクション」ゲームです。

「戦国BASARA」というからには、いろんな戦国武将が登場するのですが、
立花宗茂も戦国BASARA3から登場します。
そのときは敵武将だったのが、
今月10日発売の「戦国BASARA3宴」では、遂にプレイヤー武将として登場しました。

見た目はごっついのですが、なんかちょっと不器用で(強いけど)
愛すべきおじさんキャラです。

史実の宗茂は、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易され、
上方や江戸で、数年間の浪牢生活を送りました。
ストーリー第1章の、宗茂が島流しになってしまうエピソードは、
なんとなくそのことを想起させます。
鍋を食べるとかお祭りとかは…特に思い至りません。
ちなみに史実の宗茂は、その後奥州棚倉に領地を与えられ、
さらに1620年には旧領柳川に帰ってきました。
関ヶ原の際に改易された武将が旧領に復帰したというのは、他に例がありません。
すごいぞ宗茂。

戦国無双(コーエーのゲーム)の立花宗茂は、
家紋を上手に利用した、かっこいい王子様にデザインされており
これはいいなと思っていました。
一方、戦国BASARAの宗茂は伝来している具足を元にしたと思われる
キャラクターデザインになっており、
これもまたいいなと思います。

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「鉄皺革包月輪文最上胴具足(てつしぼかわつつみがちりんもんもがみどうぐそく)」
おそらくデザインの元になったであろう、宗茂所用の具足です。
この具足は、朝鮮出陣の折に着用したと伝わっています。
これを見ると、チェーンソー雷切は別として、かなり忠実にデザインされているのがわかります。
こちらは現在、立花家史料館で展示中。

ちなみに、本物の雷切丸はこれです↓

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「脇指 無銘(雷切丸)」です。
こちらは、立花宗茂の養父である戸次道雪(誾千代の実父)所用で、
現在は都城島津伝承館で展示中(12月4日まで)
写真は表と裏です。2本あるわけではありませぬ。

さて先日、史料室長が東京へ出張した際に写してきた画像。

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山手線 新大久保駅にいたBASARA宗茂さん。
20日まで山手線の駅にBASARA武将のポスター広告が掲示されていました。
彼は若い女性に囲まれていたそうです。
中には宗茂についてお友達に熱心に語っている、
宗茂ファンと思われる方もいらっしゃったとか。
ありがたいことです。

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白秋祭のおもひで

2011/11/18

白秋祭とは、柳川出身の詩人 北原白秋の遺徳を偲び、
その命日である11月2日をはさんでの3日間(11月1日〜3日)に毎年開催される祭です。

この3日間には、提灯や行灯で飾られた約110数隻のどんこ舟が
夜の堀をパレードします。
ステージでは白秋の童謡や歌曲が演奏され、
市民が花火やかがり火で迎える中を、舟はゆっくりと進みます。

立花家17代当主や、東京大学史料編纂所の山本博文先生、
作家の葉室麟先生など、錚々たるメンバーを乗せた
柳川藩主立花邸 御花の舟は、11月2日に出ました。

立花宗茂マップや御花マップのイラストを描いてくださった
ティンドラ・ドロッペさんもお招きしてお楽しみいただいたのですが
そのドロッペさんが、このときの思い出をすばらしい絵巻物にして
持ってきてくださいました。

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きれいなラッピング。
紐は和物かと思ったら、北欧で購入されたものらしいです。
和と北欧って、不思議とマッチングするんですよね。

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原画は半紙23枚をつないだ絵巻なのですが、
こちらはA4に縮小してからつないだもの。
全長6.5メートルにもなる大作です。

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内容はこんな感じです。
素敵な絵と文章で、白秋祭の楽しい様子がほんわかと伝わってきます。
ドロッペさんのブログでは全ての絵をご覧いただけます。

「パレードの舟に乗ってみたい」と思った方は
柳川市観光協会のサイトへ。
来年の乗船申し込みを既に受付中です。

ドロッペさんの白秋祭絵巻は、
何らかの形で柳川藩主立花邸 御花内に掲示して
みなさんにもご覧いただこうと現在画策中。
しばしお待ちを。

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よくわかる!立花宗茂への投票のしかた

2011/11/15

1.「戦国BASARA3 宴」を購入します。

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2.中に封入されている投票券を取り出しましょう。

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3.「投票サイトはコチラ」のQRコードを読み取ります。

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4.第1回BSR48選抜総選挙のページが開きます。
「投票する」を押しましょう。

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5.投票券に記されているシリアル番号(10桁)を入力します。

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6.「立花宗茂」を選択します。

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7.「立花宗茂」と表示されているのを確認して
間違いがなければ「投票」を押します。

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8.これで投票は完了です。
参加特典として「投票武将のポスター待受け」と
「台本プレゼントキャンペーンの応募資格」がもらえます。

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ほら、かっこいい!

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さあ、みなさんもこんな感じで立花宗茂に投票しましょう。
期間は来年の1月10日までなので、お早めに。

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今日は何の日?

2011/11/11

今日11月11日は、いろんな日に設定されてますね。
ポッキー&プリッツの日、電池の日、ピーナッツの日…

折り紙の日でもあります。
「1」が4つで正方形の4辺を表し、
また、世界平和記念日でもあることかららしいです。

そこで、折り紙してみました。

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「大名駕籠」 feat.キューピーズです。

後ろにある絵はがきの駕籠は
当館所蔵の「祇園守紋散蒔絵乗物」。
こちらは女性用で、かのNHK「タイムスクープハンター」への
出演も果たしました(「駕籠かき突破口!」の回)。
現在、史料館の入ってすぐのところに展示中です。

それともう一作品。

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「島津義久の兜」です。
本当は真ん中に丸に十字の家紋が入るのですが、
都合により省略しました。

なんで島津義久かって?
それは一番作りやすそうだったからです。
あと、都城島津邸で立花家の展示やってるし(後付け)。

秋の夜長、みなさんも折り紙を楽しんでみてはいかがですかな。

ちなみに、今回の折り紙は
浜田勇著「戦国武将の時代折り紙」(日貿出版社)を参考にしました。

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柳川市立図書館で借りました。

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誾千代をぼたもちさんにて偲ぶ

2011/10/19

10月16日 よく晴れた日曜日。

初代藩主 立花宗茂の正室、誾千代の命日を翌日に控え、
供養祭がありました。

今年の供養祭には、『文蔵』(PHP研究所)にて「まりしてん誾千代姫」を
好評連載中の、山本兼一先生も編集の方と一緒にお見えになりました。
「まりしてん誾千代姫」は現在のところ、
秀吉の九州攻めが終わり、筑後柳川を賜ったあたりまでお話が進んでおります。
未読の方は、単行本化(来年あたり?)をお待ち下さい。

さて、供養祭に先立ち、まずは三柱神社でお祓いを受けました。

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三柱神社は、9代藩主鑑賢の時代に創建されました。
祭神は、戸次道雪(梅岳霊神)・立花宗茂(松陰霊神)
そしてこの日の主役である誾千代(瑞玉霊神)です。

道中の安全などのお祓いを受けたら、いよいよぼたもちさんへ向けて出発。
場所は熊本県玉名市長洲町腹赤。車で約1時間の距離です。
加藤清正領であった腹赤は、誾千代が晩年を送った場所。
亡くなったのもここです。

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のどかな田園風景の中に

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ありました。誾千代の供養塔、通称「ぼたもちさん」です。
近寄って見てみましょう。

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ぼたもちというより……きのこ?
なんとなく目鼻を書きたくなる造形です。

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「光照院殿泉誉良清大姉」
これが誾千代の戒名です。
享年は34あるいは35と伝えられています。
幟旗は、地元の方が管理してくださっています。
ちなみに、写真は十七代当主で当館の館長でもある立花宗鑑奉納の旗。

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地元の住職さんがお経をあげてくださいました。
正座されているのが山本兼一先生です。
(すみません、後ろ姿の写真しかありませんでした。)

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お経とお説教の後はお食事です。
お斎という感じではありませんが、ちょっと豪華にデラックス弁当。
なんと、おいしいぼたもちさんも付いてます!

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食べ終わってふうっと一息。
周りを見渡すと、梅の木が二本。
これらは縁あって、太宰府の紅梅・白梅を植樹したものだそうです。

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桜の木も何本か植えてありました。
春になればお花見も楽しめますね。

誾千代がこの地で、どんな晩年を送ったのかはわかりませんが、
今のぼたもちさん周辺は、
長閑だけど、ちょっと賑やか(近隣の中学校の部活の声が聞こえていました)で、春には綺麗な花も咲く。
誾千代さんも、喜んでいるのではないかと思いました。

それもこれも、竹藪に囲まれひっそりと寂しい雰囲気だったここを、
整えたり、お世話したりして下さっている、
地主さんや区長さん始め腹赤のみなさん、それから柳川の有志のみなさんのおかげです。
ありがとうございます。そしてこれからも、よろしくお願いします。

さて、再び1時間の道のりをたどり柳川へ。
誾千代の菩提寺である良清寺へ行きました。

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ここは、宗茂が柳川再封後に、誾千代の菩提を弔うために建立した寺です。
寺の敷地の奥の方に、誾千代の墓があります。

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真ん中が誾千代の墓、
向かって左は、5代藩主 貞俶の室、珂月院の墓、
向かって右は、珂月院の父、立花弾正貞晟(3代藩主忠茂の子)の墓です。
珂月院も貞晟も、江戸で亡くなり、深川の本誓寺に葬られていますので
ここにあるのは供養塔なのでしょう。

近くに池があるためか、蚊がぶわんぶわんしていました。

この後、お向かいの瑞松院などにも行ったのですが、
とりあえず、誾千代供養祭はこれにて結び。

さて近年、お墓巡りをされる歴史ファンの方が多いようです。
そのこと自体はいいのですが、中には無断でお寺に入り、お墓の写真を撮る方もいるそうです。
お墓参りをするときには、お寺さんに一言断って、許可をいただいてからにしましょう。

「ルールとマナーを守って、楽しいお墓参りを。」

立花家史料館からのお願いです。

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柳川城下町絵図パネルを設置しました

2011/10/12

以前掛けてあった城下町図の掛け軸が破損して以来、
御役間横の壁は、ただの真っ白な壁(だけど本漆喰の由緒正しい壁)でした。

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そこに、新たな城下町絵図を設置することになり、
立花家史料館所蔵の「御家中絵図」「町小路絵図」「沖端町御絵図」の
3枚を合わせてパネルにしたものの制作を、インタージャム株式会社にお願いしました。

それぞれの絵図のフィルムを高性能のスキャナでスキャンし、
色合わせをして合成し(これが結構大変)、
パネルにして額に入った立派なものが出来上がりました。

そして、いよいよ設置です。

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これがパネルの完成品(裏返し)。

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まずは吊すための金具を取り付けます。

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パネルの方にも金具を付けます。

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設置場所まで移動。
重いので男性4人で運びます。
狭い場所なので斜めに倒したりしながら慎重に。

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上の方を取り付けます。
離れて眺めてみてまっすぐになるようにしましょう。

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下の方は、既に柱にあいている穴を利用して(文化財なので)
金具を釘で打ち付けます。

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わーい、出来上がり。

「御家中絵図」は居住者の名前(寛政3年当時)が書かれていますので、
好きなお武家さんのおうちを探すもよし、
自分の家の辺りに誰が住んでいたのかを見るもよし、
楽しみ方いろいろ。

ちなみに、絵図の中で「御花」と表記してある部分は、
現在の御花ではなく、江戸時代の御花畠の範囲です。

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買ってみました。

2011/10/3

「六分の一スケール 剣豪佩刀コレクション  真剣鬼 戦国義将編」を
買ってみました。

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何が出るかな(心の声:雷切来い!雷切来い!…)

じゃーん。出ました雷切丸。

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恐るべし、我がゴッドハンド。

「戦国無双3 武将ミニフィギュア」も買ってみました。

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何が出るかな(心の声:宗茂来い!宗茂来い!…)

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がーん。島津義弘でした。

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でも、かわいいから飾ってみました。

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お江戸見聞記 後編 〜雷切丸、空を飛ぶ〜

2011/9/30

9月25日(日) 晴れ

ホテルをチェックアウトし、
皇居ランナーを横目に、半蔵門から地下鉄に乗車。
電車を乗り継いで飯田橋で降り、小石川後楽園へ。
方向感覚に難ありの二人なだけに、なぜかウインズ後楽園まで彷徨い歩き
さらに、入園口と反対側の門にたどり着いてしまうという紆余曲折がありつつも、
なんとか到着。

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突然ですが、
先日、立花氏庭園がめでたくも国の名勝に正式に指定されました。
立花氏庭園の中にある東庭園は、大きな池を中心とし、
その周囲に起伏のある地形を配した池泉回遊式庭園で
池の周りを散策できるようになっています。
小石川後楽園は、徳川御三家のひとつ、水戸徳川家のお屋敷であったところ。
ここも池泉回遊式庭園であり、その造成に朱舜水(柳川にも縁のある儒学者)が関わっている
ということから、見学に訪れたのです。

受付で入園料を払って、さあ園内へ。

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小石川後楽園は、東京ドームを借景とし……なわけないですね。

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ごみ箱も風景になじんでいます。
さて、お庭はどんな感じでしょうか。

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むむ、池が広いな。
東庭園の池だって、江戸時代には今よりもは広かったのですが。

さあ、気をとりなおして、次へ進もう。

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おお!庭の中に森がある。
木曽の山を表してるようです。
山を抜けると...

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また池が。
書院のお庭です。

この先にも清水観音堂とか(手ブレ注意)、

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琉球山とか、

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西湖堤とかが...

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他にも渡月橋に滝に松原に梅林に八つ橋にと、
日本のみならず、中国までも、ありとあらゆるものがこのお庭に集結。
水戸光圀は諸国漫遊しなかったと言われていますが、
お庭を巡れば、諸国を巡った気分になれたのではないでしょうか。
ね、黄門さま。

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「・・・・・・」
今は田んぼの番に忙しいようです。
「助さん、格さん、稲を荒らす者をこらしめておやりなさい」

ちなみに、円月橋は修復工事中でした。

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やはり徳川御三家は規模が全然違います。
外様が生意気言ってすみませんでした。
いよっ、特別名勝!

では、今回の出張の真の目的
「撮影の為に預けていた雷切丸を受け取って、無事に持ち帰る」
のために九段へ向かいましょう。

雷切丸の撮影をお願いしたのは、刀剣藤代さん。

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研師の藤代興里さんは、優しい雰囲気ながら、目に職人魂を感じる方でした。
撮影をして下さったのは、娘さんの冥賀明子さんです。
冥賀さん撮影の雷切丸の写真は、10月8日から都城島津伝承館で開催される
「柳川立花家と島津家」展の図録で初お目見えします。
お楽しみに。

受け取った雷切丸をしっかり梱包して大事に抱っこし、藤代さんの前から即タクシーへ乗車。
(刀を持っているので、安全のため電車には乗りません)
事前に「定額タクシー」を予約してあったので、
千代田区からなら、6000円プラス高速代のみで羽田空港まで運んでもらえます。
メーターを気にしなくていいのは気が楽〜。
「お、国会議事堂」
「皇居ランナーって、いついかなる時間にもいるんだね」
「東京タワーだ」
「あぁ!スカイツリー!」
「レインボーブリッジ渡るよ〜」
おのぼりさん丸出しではしゃぐ車内。
日曜日なので道がすいていたこともあり、30分かからずに羽田に到着。

カウンターで刀を預け、時間もあるので空港見学。

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展望デッキに登ると、全日空機だらけでした。
中に少しだけエアDO。

空港の中にディスカバリーミュージアムというのがあり、
何をディスカバーさせてくれるのかなと入ってみると...
なんとここは、永青文庫の常設企画展として開設されたものでした。
ここ近年、いたるところで企画展も開催してますよね。
どれだけ史料もってるんだ、永青文庫!

永青文庫の史料の多さに、ディスカバーではなくサプライズしてしまっているうちに
あっという間に搭乗時刻となりました。
端っこの搭乗口まで歩いて歩いて歩いて...やっと到着。
飛行機は「揺れます」と言われた割には、それほど揺れることもなく、
雷切丸と共に有明佐賀空港に着陸した頃には、外はもう真っ暗になっていました。
暗くなってしまったので、以下写真はありません。

手荷物受け取り所でジュラルミンケースから出てきた雷切丸と再会。
これまた予約していたリムジンタクシーに揺られることしばし。
無事御花に到着しました。

ぼんやり明かりの灯った西洋館に出迎えられ、
刀を抱っこしたまま転ばない様、足元に注意しながら史料室に向かいます。
史料室の通用口付近は電灯が無く、夜は真っ暗になってしまうので、
ぶつけないように、さらに慎重に狭い道を歩きます。
(業務連絡:電灯を付けたいです。人に反応してぴっかーんて光るアレ。)

収蔵庫に刀を納め、史料室長にミッション完了のメールを送る。
すぐに室長よりねぎらいのメールが届き、これにて全て終了。
おつかれさまでした。

さあ帰ろう、と思って外に出ると、いつの間にか雨模様。
空も雷切丸の帰還を喜んでいるのでしょう。

そして、通勤用の定期券を家に忘れてきて心が雨模様の私は、
片道の電車代830円也を泣く泣く手出しし、自宅にたどりついたのでした。

以上、おわり。

【その後の雷切丸は...】

柳川帰還後3日目にして、展示の為、都城へ再び旅立っていきました。

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そのときの模様は、また別の機会にでも。

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お江戸見聞記 前編 〜広いよ上屋敷〜

2011/9/26

9月24日(土) 晴れ

朝7時の飛行機に乗り、四国上空で朝ご飯を食べ、
8時40分頃羽田に到着。
それから、モノレールやら地下鉄やらを乗り継いで半蔵門へ。
皇居ランナーを横目に見ながら
今夜宿泊予定のホテルで、前日入りしていた同僚と合流。
いざ、お江戸の町へ。

最初に向かったのは九段にある「千秋文庫」です。

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ここは旧秋田藩主の佐竹家に伝わる文化資料を集めた博物館です。
立花家と佐竹家は、江戸上屋敷同士がお向かいさんでした。
千秋文庫は、耐震耐火構造で蔵のような造りの堅牢な建物。
現在は、開館30周年記念「秋田の国と城」が開催中(12月10日まで)。
大きな絵図を工夫して展示してありました。

次に向かったのは、立花家の江戸上屋敷跡。
大江戸線の新御徒町駅A1出口を出ます。

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出口を出て振り向くと、そこはほら上屋敷跡。
さて、周囲を歩いてみましょう。
現在の住所では、台東区東上野1丁目1番〜11番及び20番〜28番の範囲です。
清洲橋通り沿いの現在の様子はこちら。

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ちょうど写真に見えている範囲全部がそれにあたります。
広い!
では角を曲がってみましょう。

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写真の右手にある信号(見えますか?)のあたりでちょうど半分です。
さらに広い!
大名屋敷の規模がいかに大きかったかがよくわかります。
江戸時代には周囲を堀と塀で囲っていたそうです。
ところで、この上屋敷には太郎稲荷が祀られていました。
それが現在も残っています。

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ビルの谷間にひっそりと。

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西町太郎稲荷です。「西町」は以前ここが「下谷西町」であったことに由来します。
かつて上屋敷には御稲荷が2社あったのですが、これはそのひとつ。
地域のみなさんによって、今も大切に維持管理されています。

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ほらお掃除だってばっちり。

ちなみに、お向かいの佐竹さん(秋田藩)は、商店街にその名が残っていました。

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続いて、西郷さんをチラ見しながら

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上野公園へ。
なるほど、上野公園だもんねぇという看板を眺めつつ歩き、

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東京国立博物館へ到着。

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ちょうど「空海と密教美術」展開催中でしたが、今回は常設展だけを見学しました。
足を棒にしながら館内を巡り、やっぱり国の施設はすごいなあと思うことしばし。
地下のミュージアムショップで、参考になりそうなグッズをあれこれと物色して
表慶館を外から眺める。

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正面のレリーフが、御花の西洋館の煙突にあるレリーフにちょっと似てるかな。

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ライオンさんも素敵。

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「誰にも見られずに背中にまたがれば…」とかいう伝説は…...ありませんよね、やっぱり。

さてこのあと新宿へ移動。
THEちょんまげ軍団SUPERの「道雪」で立花宗茂役を演じられた、
竹尾一真さんがご出演の劇団なんでやねん(その劇団名がなんでやねん)の
「ミッシング・リンク」を観にシアターサンモールへ。
(これについては出張費に計上しておりませんのでご安心ください、T室長。)

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お芝居って面白いですね。
おかげさまで新しい世界が開けました。
立花家史料館は、これからも竹尾一真さんを応援します。

長かった一日も終わり、再び半蔵門へ。
皇居ランナーを横目にやっとホテルに戻りました。
(写真は昼間に撮影したものです)

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この日の宿泊先はホテルふくおか会館。
福岡県民は安く泊まれます。わーいわーい。

こうして一日目は無事に終わりましたとさ。

【次回予告】
祝・立花氏庭園名勝指定ということで
同じ池泉回遊式庭園の小石川後楽園へ。
ところがびっくり。そのわけは・・・。
さらに今回の出張の真の目的達成のため九段へ!
果たしてミッション達成なるのか?
次回、お江戸見聞記 後編。
おたのしみに。

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御花ブライダルでレッツ宗茂

2011/8/12

本日、御花においてブライダルアイテムフェアが開催されています。
何やら宗茂の甲冑があるという話を聞きつけて、こっそりのぞいてみました。

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いました。堂々の宗茂さん。
鹿児島の丸武産業さんのブースです。
左は鑑賞用(?)、右が実際に着られる甲冑だそうです。
しかもつい2,3日前にできたばかりのほやほや。

結婚をお考えのみなさん、御花で甲冑ウエディングというのはどうでしょう。
御花ウェディング、詳しくはこちらにて御座候。

ちなみに駕籠もありますよ。

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