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お江戸見聞記 前編 〜広いよ上屋敷〜

2011/9/26

9月24日(土) 晴れ

朝7時の飛行機に乗り、四国上空で朝ご飯を食べ、
8時40分頃羽田に到着。
それから、モノレールやら地下鉄やらを乗り継いで半蔵門へ。
皇居ランナーを横目に見ながら
今夜宿泊予定のホテルで、前日入りしていた同僚と合流。
いざ、お江戸の町へ。

最初に向かったのは九段にある「千秋文庫」です。

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ここは旧秋田藩主の佐竹家に伝わる文化資料を集めた博物館です。
立花家と佐竹家は、江戸上屋敷同士がお向かいさんでした。
千秋文庫は、耐震耐火構造で蔵のような造りの堅牢な建物。
現在は、開館30周年記念「秋田の国と城」が開催中(12月10日まで)。
大きな絵図を工夫して展示してありました。

次に向かったのは、立花家の江戸上屋敷跡。
大江戸線の新御徒町駅A1出口を出ます。

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出口を出て振り向くと、そこはほら上屋敷跡。
さて、周囲を歩いてみましょう。
現在の住所では、台東区東上野1丁目1番〜11番及び20番〜28番の範囲です。
清洲橋通り沿いの現在の様子はこちら。

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ちょうど写真に見えている範囲全部がそれにあたります。
広い!
では角を曲がってみましょう。

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写真の右手にある信号(見えますか?)のあたりでちょうど半分です。
さらに広い!
大名屋敷の規模がいかに大きかったかがよくわかります。
江戸時代には周囲を堀と塀で囲っていたそうです。
ところで、この上屋敷には太郎稲荷が祀られていました。
それが現在も残っています。

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ビルの谷間にひっそりと。

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西町太郎稲荷です。「西町」は以前ここが「下谷西町」であったことに由来します。
かつて上屋敷には御稲荷が2社あったのですが、これはそのひとつ。
地域のみなさんによって、今も大切に維持管理されています。

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ほらお掃除だってばっちり。

ちなみに、お向かいの佐竹さん(秋田藩)は、商店街にその名が残っていました。

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続いて、西郷さんをチラ見しながら

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上野公園へ。
なるほど、上野公園だもんねぇという看板を眺めつつ歩き、

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東京国立博物館へ到着。

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ちょうど「空海と密教美術」展開催中でしたが、今回は常設展だけを見学しました。
足を棒にしながら館内を巡り、やっぱり国の施設はすごいなあと思うことしばし。
地下のミュージアムショップで、参考になりそうなグッズをあれこれと物色して
表慶館を外から眺める。

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正面のレリーフが、御花の西洋館の煙突にあるレリーフにちょっと似てるかな。

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ライオンさんも素敵。

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「誰にも見られずに背中にまたがれば…」とかいう伝説は…...ありませんよね、やっぱり。

さてこのあと新宿へ移動。
THEちょんまげ軍団SUPERの「道雪」で立花宗茂役を演じられた、
竹尾一真さんがご出演の劇団なんでやねん(その劇団名がなんでやねん)の
「ミッシング・リンク」を観にシアターサンモールへ。
(これについては出張費に計上しておりませんのでご安心ください、T室長。)

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お芝居って面白いですね。
おかげさまで新しい世界が開けました。
立花家史料館は、これからも竹尾一真さんを応援します。

長かった一日も終わり、再び半蔵門へ。
皇居ランナーを横目にやっとホテルに戻りました。
(写真は昼間に撮影したものです)

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この日の宿泊先はホテルふくおか会館。
福岡県民は安く泊まれます。わーいわーい。

こうして一日目は無事に終わりましたとさ。

【次回予告】
祝・立花氏庭園名勝指定ということで
同じ池泉回遊式庭園の小石川後楽園へ。
ところがびっくり。そのわけは・・・。
さらに今回の出張の真の目的達成のため九段へ!
果たしてミッション達成なるのか?
次回、お江戸見聞記 後編。
おたのしみに。

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御花ブライダルでレッツ宗茂

2011/8/12

本日、御花においてブライダルアイテムフェアが開催されています。
何やら宗茂の甲冑があるという話を聞きつけて、こっそりのぞいてみました。

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いました。堂々の宗茂さん。
鹿児島の丸武産業さんのブースです。
左は鑑賞用(?)、右が実際に着られる甲冑だそうです。
しかもつい2,3日前にできたばかりのほやほや。

結婚をお考えのみなさん、御花で甲冑ウエディングというのはどうでしょう。
御花ウェディング、詳しくはこちらにて御座候。

ちなみに駕籠もありますよ。

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立花宗茂の生涯をスジャータでたどる

2011/8/11

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1567年 豊後国国東郡筧において誕生しました。幼名は千熊丸。
この年に生まれた武将は他に、伊達政宗・真田信繁(幸村)がいます。
ちなみにこの3人は、一部ファンの間で「67(ろくなな)トリオ」と呼ばれています。

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1569年 実父高橋紹運が高橋家を継ぎ、宗茂も筑前国御笠郡岩屋城に移ります。
高橋紹運は豊後大友氏の家臣です。
実家は吉弘家ですが、大友宗麟の命で高橋家を継いだのでした。

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1587年 豊臣秀吉から筑後三郡を与えられ、柳川を城地と定めます。
同じ大友配下である戸次道雪の養子となり、やがて立花家を継いだ宗茂は
島津攻めの働きにより、「九州の一物」と讃えられ
筑後国山門郡・三潴郡・下妻郡の領地を与えられます。

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1597年 慶長の役で島津義弘らと共に戦います。
宗茂は朝鮮に出兵し、他の諸将と共に戦いました。
やがて秀吉の死をきっかけに帰還命令が出ます。
このとき島津義弘・小西行長・宗義智ら諸将と会談し、撤退の段取りを決定しました。
撤退途中、小西行長が退路を断たれたときには、義弘らと共に救援に向かいました。

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1600年 関ヶ原の合戦で西軍に加担、大津城攻めで活躍。
秀吉への恩義から西軍についた宗茂は、京極高次の守る大津状を包囲しました。
9月15日に高次は降伏します。
しかし同日、主戦場である関ヶ原で西軍が敗れたため
宗茂は家来を従えて柳川へ帰ります。

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1600年 加藤清正に柳川城を明け渡す旨の使いを送ります。
柳川に戻った宗茂は、江上・八院で東軍勢と戦い多くの家来を失いました。
そうして柳川城を明け渡した宗茂は、大名としての地位を失い
清正の領内である肥後国高瀬に寓居します。

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1606年 徳川秀忠に大番頭役として召し出される。
1601年に高瀬を出た宗茂は京都で牢人生活を送っていました。
そしてやっと秀忠に会うことを許され、大番頭役として召し出されることとなったのです。
このときに奥州南郷に領地をもらっています。

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1620年 田中家の改易に伴い、柳川への再封が決定。
田中家は跡継ぎがなく断絶となってしまったため
宗茂に南筑後(10万9600石)が与えられました。
一度領地を失った大名が、再び元の領地の大名として復活するのは
非常に珍しいことです。

その後の宗茂は天草・島原の乱に参戦したり
将軍家光の側近くに仕えたりしていましたが
1642年、江戸で亡くなりました。76歳でした。

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御花文化講座を開講します

2011/5/6

立花家史料館では、毎年「御花文化講座」を開催しています。

柳川の歴史や文化、さらには周辺の大名家の話まで聞くことのできる、
当館ならではの講座です。

講師は皆その道の専門家ばかり。
内容も、建築・文芸・工芸・農業・歴史・北海道(?)と多岐にわたっています。

受講料は年間3000円。(安い!)

しかも開始前には表千家のみなさんによる呈茶のサービスもあるんです。(飲みたい!)

ほ〜ら、受講したくなってきたでしょう?
開講日は奇数月の第4水曜日
水曜日がお休みのあなた、仕事だけど有休とっちゃおうかなってあなた。
まもなく開講ですよ。急げ急げ。

詳しくはこちらをご覧あれ。

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まりしてん誾千代姫

2010/10/29

PHPの小説・エッセイ文庫「文蔵」で、山本兼一先生の新連載「まりしてん誾千代姫」がはじまりました。
誾千代といえば、立花家初代・戸次道雪の息女で、わずか7歳で立花城の城督となった人物です。
立花宗茂はこの誾千代の婿養子となって、立花家の家督を継ぎました。
誾千代を主人公とした小説となると、最も気になるのは宗茂との仲がどのように描かれているかですが、この小説では二人の関係について、一般に流布している通説とはまったく違った解釈がとられています。

宗茂と誾千代と言えば、二人は不仲であったというのがこれまでの通説でした。しかし、本当にそうだったのでしょうか?
実は誾千代に関する資料は、まったくと言ってよいほど残っておらず、実際に誾千代がどのような女性であったのか、また、宗茂との関係がどのようなものであったのか、確実に分かる資料はないのです。
小説「まりしてん誾千代姫」では、宗茂と誾千代は非常に仲むつまじい夫婦であったということが、冒頭から語られています。

誾千代は晩年、宗茂と別居していたという事実があり、これが不仲説の根拠となっているものと思われます。
その一方で、誾千代が非常に愛情深い女性であり、宗茂のことを思いやっていたという言い伝えも伝わっているのです。
二人は不仲であったのか、それとも二人の別居には何か別の理由があったのか、本当のところはだれにも分かりません。

いずれにしても、従来の小説とは全く異なる方向からアプローチされている山本先生の「まりしてん誾千代姫」。物語はまだ序盤であり、これからどのように展開していくのか分かりませんが、続きがとても楽しみです。

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雷神の足

2010/10/12

今週末、福岡市博多区のぽんプラザホールで、戸次道雪を題材にした演劇、「雷神の足」が上演されます。
ご存知の通り、戸次道雪は立花宗茂の養父であり、柳川・立花家の初代当主です。落雷によって下半身が不自由となったため、戦場では輿にのって指揮を執ったという伝説がありますが、本作品のタイトルもこの伝説にちなんだものと思われます。

ちなみに、一般には「立花道雪」の名前で知られていますが、道雪が生前に「立花」姓を名乗ったことはないようです。
これは、大友宗麟にたびたび反旗を翻した立花家の姓を名乗ることを、道雪が憚ったためといわれています。
柳川・立花家の初代ですので、立花道雪と表記したいところですが、上記のような理由から、当館では戸次道雪(あるいは戸次鑑連)と呼んでいます。
ややこしいですね。

このように、衰退する大友家に忠誠をつくし、最後まで支え続けた将、戸次道雪の登場する「雷神の足」が、10月14日〜10月17日にかけて、ぽんプラザホールで上演されます。
最終日、17日のチケットは好評につき、すでに完売したそうです。
私も台本を拝見いたしましたが、とても面白そうな設定で上演が楽しみです。
公演情報は下記のとおりです。
なお、詳細は(劇)池田商会様のサイトをご覧ください。
http://www.geki-ikeda.com/

(劇)池田商会 第十回本公演 瀧猫亭「雷神の足」
作・演出 瀧本雄壱
日時:
10月14日(木)19:00〜、15日(金)19:00〜、16日(土)13:00〜、19:00〜、17日(日)13:00〜
会場: ぽんプラザホール(福岡市博多区祇園町8-3)
問い合わせ: info@geki-ikeda.com

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立花家の歴史展

2008/11/15

柳川市には柳川古文書館という施設があって、現在そちらでは「立花家の歴史Ⅰ」という古文書の展覧会が開催中です。数多くの重要文化財が公開中なのですが、それは立花家文書が一括して国の重要文化財に指定されているからなんです。

織田信長や豊臣秀吉など、みなさんもきっとご存じの戦国武将の文書資料も並んでいますので、一度直に見てみてはいかがでしょうか。しかも、古文書館は無料です。おまけに、古文書館の展覧会をご覧になられた方は御花史料館の入館料も割引になるという特典が付いています(解説シートに割引券付き)ので御花史料館にお越しになる予定の方は事前に古文書館に立ち寄られることをおすすめします。

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