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柳川にのこる「愛嬌挨拶」-紹介編

2025/11/26

「愛嬌挨拶」と書いて「エーギョウエーサツ」と読みます。

旧柳川藩領内で古くからおこなわれてきた行事の名前で、初代柳川藩主・立花宗茂の故事に由来すると伝えられています。

関ヶ原の戦いで西軍に与したために改易された宗茂は、浪人生活中に玄猪の日(亥の月亥の日)を迎え、枡に盛られた赤飯と膾を供されます。宗茂は厚意に感謝し、柳の枝を削ったものを箸の代わりにして手の甲に受けて食べました。



この言い伝えを基に、柳川では旧暦10月(亥の月)の最初の亥の日に「愛嬌挨拶」の行事が続けられてきたといわれています。


その日は、各家庭やお店の上がり口に、一升枡や大皿に山盛りした赤飯と膾を用意し、菊花で飾りました。
そこに、子どもたちが「えいぎょうえいさつ、なかのよかごと」と言いながらやってきて、備えられた柳箸で赤飯や膾を手の甲にのせて食べ、また次の家へと回っていったようです。



とてもわかりやすく情景が描写されているので、柳川市出身の“詩聖”北原白秋[1885–1942] の著書『お話・日本の童謡』の「愛嬌挨拶」の項(110~112コマ)をぜひ読んでいただきたい!

北原白秋 著『お話・日本の童謡』,アルス,大正14.  110~112コマ
国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。 https://dl.ndl.go.jp/pid/982964



以前(2010年から8年間ほど)は、柳川市が主導する「愛嬌挨拶柳川めぐり」も開催されていて、立花家史料館でも赤飯と膾を提供したこともありました。

柳川だけに伝わる、この独特の行事。
さみしいことに近年ますます見かけなくなってきています。

今日は2025年11月26日、旧暦では10月7日、すなわち亥の月・亥の日。
御赤飯や膾はご用意できませんが、こうして紹介することで、皆さまの記憶に少しでも残れば嬉しいです。



📝 学芸員がこつこつ綴っています。お暇な折にどうぞ。⤷

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豊臣兄弟!がやってくる-吉川経家と高橋紹運の例

2025/11/14

先日、吉川史料館 🔗 (山口県岩国市横町)にて、吉川広家公没後400年記念/開館30周年記念展 第二期「広家と秀吉」【2025.9.6~11.30】を拝見しました。

吉川史料館 🔗公式X(旧Twitter)より



同世代くらいだろうと思っていましたが、確かめると吉川広家[1561–1625]立花宗茂[1567–1642]より6歳年上。広家公没後400年と聞いてソワソワしましたが、宗茂さんの場合は2042年なので、まだまだ焦らずともよさそうです。


毎度の言い訳となりますが、わたしは美術史を専門とする学芸員なので、立花家を中心とする九州の戦国事情については少々頭に入れていますが、ヨソの戦国事情まではなかなか手が回っておりません。

いろいろとご縁もあって、毛利家や吉川家に関する展示や史跡を訪ねる機会は少なくないのですが、どうにもボンヤリとしか把握できておらず、お恥ずかしい限りです。
それでも、だいたい同世代の宗茂さんと広家さんは、その人生に起きる大事件にも共通点が多く、大変勉強になりました。



そして、吉川史料館の最後のコーナー「鳥取岩国姉妹都市縁組30周年記念」にて、『吉川経家書状 天正9年10月25日付』(石見吉川家文書140)重要文化財 吉川家文書〛に出会ってしまいました。

平仮名が多く、柔らかな印象を感じる小ぶりの手紙。
キャプションには「切腹をした当日に子ども達に宛てた遺書」的な説明が……

え、遺書? 切腹?鳥取城の攻防?
経家さんに何があったの?

ともに展示されていた、父親の吉川経安に宛てた遺書 『吉川経家自筆書状』(石見吉川家文書137) 〚重要文化財 吉川家文書〛は漢字でスラスラと書かれているので、子ども宛の遺書の特別さが際立ちます。
宛名に並ぶ子ども達の幼名「あちやこ/かめしゆ/かめ五/とく五」の文字が胸に迫りました。



吉川経家さんに何があったのか、”鳥取城の攻防”については後ほど落ち着いて調べてみようと思いつつ、後ろ髪を引かれながら吉川史料館を後にしました。

しかし、岩国の皆さまは周到に企画されていたのです。

続いてお隣の、岩国市立博物館 岩国徴古館 🔗 (山口県岩国市横町)にて、岩国市・鳥取市 姉妹都市提携30周年記念/吉川広家没後400年「吉川広家・経家の生きた時代」【2025.10.5~12.4】を拝見しました。

わたしが知りたかったことは展示室の「四、落城」にすべて書いてありました。

岩国市立博物館 岩国徴古館 🔗公式Facebook より

岩国徴古館が作成されたパンフレット「吉川経家と鳥取城の攻防」の年表を参考にすると、

天正8年(1580)
5月 羽柴(豊臣)秀長の攻撃により山名佑豊が羽柴秀吉に降伏
   毛利方は但馬の勢力を失う
6月 鳥取城が落城、山名豊国が降伏
9月 山名豊国が家臣の中村春続、森下道誉らによって追放

天正9年(1581)
3月 吉川経家が鳥取城に入る
7月 羽柴(豊臣)秀吉が鳥取城を包囲
10月 鳥取城が落城、吉川経家【享年35】が自刃

――という経緯が示されていました。

ああ……中国地方に、豊臣兄弟!がやってきていたのか……

“鳥取城の攻防”について詳しく知りたい方は、ぜひ岩国市立博物館 岩国徴古館 🔗吉川史料館 🔗 へ。まだ展覧会の会期に間に合います。

豊臣兄弟!は九州へもやってきます。

天正13年(1585)
10月 豊臣秀吉、島津義久に大友義統との和睦を命じる

天正14年(1586)
6月 島津義久、九州平定をめざして大軍を北上させる
7月 高橋紹運、島津軍に岩屋城にて抗戦の後、敗死【享年39】
8月 島津軍、宝満城を落とし、宗茂の母と弟を捕虜に。 
   島津軍、立花山城を包囲するも、豊臣の援軍が来ること等を告げられ退く
9月 立花宗茂、 島津方の高鳥居城を激戦の末に攻略
   後に秀吉から”九州之一物”と激賞される

10月 秀吉の先遣として毛利輝元・吉川広家・小早川隆景らの中国勢が九州に入る

天正15年(1587)
3月 豊臣秀吉、島津氏攻めのため九州に入り、豊前(福岡県)の攻略に進む
   秀吉、豊臣秀長に豊日路(大分・宮崎方面)の南下を命じる

――かなり端折った、ざっくりまとめた年表ですが、今回はこのあたりまで。



豊臣兄弟!がやってきたがために戦となり、 吉川経家も高橋紹運も命を失ってしまいました。
お互いの子どもたちの運命も、豊臣兄弟!により大きく変わってしまったのです。


豊臣兄弟!と立花宗茂については、いずれ改めて語りたいところです。


もうひとつ、吉川史料館で気になった「鳥取岩国姉妹都市縁組30周年」の経緯。
この回答も岩国徴古館に用意されていました。

豊臣兄弟!がやってきた影響が後世にまで。恐るべし……。

来年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』も、とうとうやってきます。
その予習として、ぜひ山口県岩国へ。
福岡県柳川の地から、心よりオススメいたします。

参考文献
東京大学史料編纂所HP▶️ 《データベース検索▶️ 大日本史料総合データベース
中野等『人物叢書227 立花宗茂』2001初版2012.10.1第2刷 吉川弘文館、中野等・穴井綾香『柳川の歴史4近世大名 立花家』2012.3.31 柳川市



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旧柳川藩戦没者供養会

2025/10/17

来る11月2日(日)、柳川藩主立花家の菩提寺である梅岳山福嚴寺 🔗 (福岡県柳川市奥州町32-1 )にて、戸次道雪の初陣から戊辰戦争までの340年間に、立花家を支えて没した580余名の旧柳川藩の戦没者を供養する「旧柳川藩戦没者供養会」を開催します。





この供養会は、 かつて旧藩士の有志によって受け継がれてきたものですが、現在では立花家史料館がその志を引き継ぎ、変わらぬ敬意と感謝の心をもって続けています。
👉「旧柳川藩戦没者供養会のお知らせ[11/2]」



あわせて厳修される福嚴寺さん主催の「戸次道雪公法要・立花家先祖供養」では、まだ若干お席に余裕があるそうです。

参列を希望される方は、どうぞお早めにお申し込みください。
➡️ 戸次道雪公法要・立花家先祖供養のお知らせ[11/2]

福嚴寺さんが広く門戸を開かれていますので、どなたでもお気軽にご参列いただけます。


今回の法要では、 旧柳川藩主立花家の法要で古くから読まれてきた貴重な経典 「八十八 パーシーパー 佛名経」を、 僧侶7~8名による読経で厳かに奉唱いたします。
梵唄 ボンバイといわれる独特の節のあるお経に、他宗派にはあまり見られない太鼓や引磬などの鳴り物が加わり、音楽のように美しく調和します。



黄檗宗の読経「梵唄」 は、黄檗唐音とよばれる近世中国語(明代南京官話) の発音でおこなわれています。

例えば、多くの方が一度は耳にされる普回向「願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道」は、「願わくは此の功徳を以って普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」と訓読されます。そのまま漢文として読むと「がんにしくどく ふぎゅうおいっさい がとうよしゅじょう かいぐじょうぶつどう」です。

それが黄檗宗では「えんいつこんて ぷぎじいちえ ごてんいちょんせん きゃいこんちんふたう」となります。現代中国語の標準語(普通話)「Yuàn yǐ cǐ gōngdé  pǔjí yú yīqiè wǒ děng yǔ zhòngshēng jiē gòng chéngfó dào 」の発音に近く、知ってるはずの文言が、知らない響きで聞こえてきます。

承応3年(1654)に 隠元禅師が来日した際、当時の日本人が受けたであろう「黄檗文化インパクト」を、 現代でも体感できてしまうのです。

詳しく知りたい方はコチラもどうぞ



そして、ぜひ一度はご覧いただきたいのが「おしゃんこんさん」。

昨年の供物「 上供 シャンコン」



オマケに、当館学芸員による講話「戸次道雪と雷切丸」もついてきます。




供養会の日は《白秋祭水上パレード》 の期間中でもあります。
静謐で幽玄な風情の柳川を散策するのも乙なものです。
非日常の柳川、 いかがでしょうか。


北原白秋のおはなし



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立花宗茂vs北原白秋 福岡柳川のレジェンドはどっち?

2025/9/2

実は、ほんの10年ほど前まで、初代柳川藩主・立花宗茂の知名度は、今ほど高くありませんでした。


柳川のレジェンドといえば、柳川市出身の“詩聖”北原白秋[1885–1942]。

毎年、1月25日の《白秋生誕祭》では、白秋の母校の小学生たちが白秋の童謡を演奏しながらパレードし、 行灯が浮かぶ掘割を舟で進む幻想的な《白秋祭水上パレード》 は、白秋の命日11月2日をはさんだ3夜にわたります。

とくに白秋の没後10年から続く《白秋祭水上パレード》では、市民の方々が白秋の童謡や歌曲が演奏したり、郷土芸能を披露したりと堀岸からあたたかく舟を歓迎する様子が郷愁を誘います。舟上の人々は、フィナーレの打上花火を見上げながら白秋を偲ぶのです。 ➡️ 柳川市観光公式サイト『第73回「白秋祭水上パレード」開催について』

写真は柳川市HP›観光特設トップMOVIE・Photo柳川写真館より

観光はもちろん「白秋推し」で、立花家史料館の存在も忘れられがちでした。


西鉄柳川駅を降りると、まず目に入る歓迎看板もご覧の通り。
「歓迎 北原白秋のふるさと水郷柳川」と、白秋先生の独壇場です。



宗茂ファンからの「立花宗茂のライバルは誰?」という質問に、つい「北原白秋」と答えたくなるほど、僻んでいた日々もありました。


しかし、ありがたいことに、立花宗茂の知名度は徐々に高まりつつあります。
ゲームの影響で宗茂の正室・誾千代が先行して有名になったことは否めませんが、小説や漫画も大きな後押しとなりました。

※それぞれの内容の詳細 は『書名』🔗 から ➡️



そして2017年、柳川市の主導で「立花宗茂と誾千代」NHK大河ドラマ招致委員会が発足、招致活動が本格的に始まりました。

パンフレットの配布やグッズ制作、メディアでのPRや講演会など、多彩な取り組みを通して「宗茂と誾千代」の魅力が発信されています。
立花家史料館にいると、こうした地道な積み重ねのおかげで、宗茂の知名度が確実に高まっていることが実感されます。



とはいえ、白秋先生もさるもの。

2015年、北原白秋の詩歌にたびたび詠まれた柳川の水辺の景観が、 近代日本を代表する詩人の詩作の源泉であると評価され、「水郷柳河(すいきょうやながわ)」の名で国の名勝に指定されました。 ➡️ 柳川市HP「水郷柳河」

右2枚の写真は柳川市HP›観光特設トップMOVIE・Photo柳川写真館より

「水郷柳河」をあえて「すいきょう」と読ませ、「柳河」と書くのは、著作のなかで白秋自身が用いた表記を、そのまま踏襲しているからです。



さすが、国民的詩人!

この水郷柳河」🔗 は、近代文学者の創作と地域景観が直結した“文学的風景”として国の名勝に指定された、きわめて稀な事例です。
現在、国の名勝は394件ありますが、文学的評価を主因とするのは、「水郷柳河」と宮沢賢治[1896-1933]の作品の源泉として岩手県内7か所の自然景観が指定された「イーハトーブの風景地」🔗 ぐらいではないでしょうか。



……さすが、 “詩聖”北原白秋!



―そうです!
戦国武将・立花宗茂と、近代詩人・北原白秋。
柳川の2大レジェンドがすべきは、対決ではなく共闘!

宗茂が築いた柳川藩11万石の歴史のもとに白秋が生まれ、そのすべてを抱える柳川の風景が白秋の詩情を育んだのです。
実際に街を歩くだけでも、柳川藩主立花家の歴史と白秋の詩情を、肌で感じることができます。


そして今年、2025年は白秋先生の生誕140年という節目の年。
柳川市でもさまざまな記念イベントが開催されています。
➡️ 柳川市HP「北原白秋生誕140年記念事業

柳川の2大レジェンドを、もっともっとアピールをしていかねば!



……それでも、わたしは北原白秋こそが、立花宗茂の最大のライバルだと思っています。
遠くない将来、西鉄柳川駅前の歓迎看板は「歓迎 十一万石の城下町、北原白秋のふるさと水郷柳川」となっているはず……

【ココまで知ればサラに面白い】
普段の解説ではたどりつけない、ココまで知ればサラに面白くなるのにと学芸員が思うところまで、フカボリして熱弁します。
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“神速”の勝利に貢献⁉️―足利尊氏の密書(【重文】「大友家文書」)を高精細画像で見る[後半]

2025/8/13

前半では、【重要文化財】「大友家文書」を高精細画像で見る楽しさを、参考文献・参考サイトとともに紹介しました。
高精細画像で見ると、足利尊氏の“密書”「足利高氏(尊氏)書状 」(大友家文書・書簡1-1) の歴史的価値を、より深く実感できる気がします。









ところが、最近話題のTVアニメ『逃げ上手の若君』🔗 を観たことで、足利尊氏の “密書” の“解像度”が思いがけず高まってしまいました。


せっかくなので、わたしの衝撃を皆さまにもオスソワケしたいと思います。



※この先、 物語をまっさらな状態で楽しみたい方はご注意ください。




TVアニメ『逃げ上手の若君』第1話「5月22日 」では、鎌倉幕府が“神速”で滅亡していく様子が描かれます。

その展開の速さに驚愕しました。

「一味さんざん(1333年)鎌倉幕府滅亡」と年号を覚えていましたが、尊氏の挙兵から倒幕までがこんな短期間だったとは……



このスピード感は、アニプレックス チャンネル 🔗 公式サイトでも体感できます。
▶️ 「TVアニメ『逃げ上手の若君』 | 幕間(1333年-1334年)「歴史」

諏訪頼重さんが軽妙に案内してくれるので、助かります。

※ 衝撃的な描写が含まれますので、苦手な方はご注意ください

「TVアニメ『逃げ上手の若君』 | 幕間(1333年-1334年) 「歴史」
アニプレックス チャンネル



え、ちょっと待って。
あの“密書”はいつ出されたんだっけ?

歴史の流れをざっくり整理すると、

元弘元年(1331)
8月 後醍醐天皇[1288-1339] 、倒幕をめざし2度目めの挙兵。「元弘の変」
  ↓
9月 鎌倉幕府、足利高氏(のちの尊氏)[1305-58]らを京都へ派遣、鎮圧。

元弘3年(1333)
閏2月 後醍醐天皇、配流先の隠岐島(現在の島根県)から伯耆(現在の鳥取県)へ脱出、倒幕命令を発する。
  ↓
4月27日 足利高氏、後醍醐天皇からの勅命を受け、京都で挙兵。全国の武士に 討幕の“軍勢催促状” を出す。⇒5月7日 六波羅探題を攻め落とし、京都制圧。

  ↓
5月8日 新田義貞、上野(現在の群馬県)で挙兵、 鎌倉(現在の神奈川県)へ進軍。⇒5月22日 鎌倉幕府14代執権・北条高時ら、菩提寺の東勝寺で自刃



“密書”の日付は──元弘3年(1333)4月29日!
情勢が一気に動く渦中で出された、尊氏の命運を左右しかねない一通です。

そして、2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を1年間見通した私は知っています。
この時代の戦は、誰を味方につけるかで勝敗が決まるのです。

この小さな絹布に込められた、尊氏の思いの重さたるや……
「文字が読みやすくてありがたい」なんて、言ってる場合ではありません。



では、もう一度 「足利高氏(尊氏)書状 」(大友家文書・書簡1-1) を高精細画像で見てみましょう!

00000339が本紙、00000338は包紙です



TVアニメ『逃げ上手の若君』を履修した後に対峙すると、絹の織目の間に残されたヒリヒリした緊迫感までもが見えてきそうです。
歴史は単なる事実の積み重ねではなく、生きている人々の「毎日」の積み重ねなのだと、あらためて反省しました。



高精細画像は、史料の「文字」を「モノ」として見せてくれます。
ドラマやアニメは、「モノ」の背景にある「物語」を鮮やかに描き出してくれます。
どちらのおかげもあって、教科書程度の知識しかない私の“解像度” が高められていくので、日々とても助かっています。


そして近年、多くの史料がデジタルアーカイブとして公開され 、手軽にアクセスできるようになりました。 歴史をより身近に感じられる、ビッグチャンスの到来です。


優秀な研究者の方々の尽力により公開が実現したデジタルアーカイブズ「立花家史料館所蔵史料」を、お気軽にどんどん活用いただけましたら幸いです。

【立花家伝来史料モノガタリ】
立花家伝来史料として大切に伝えられてきた”モノ”たちが、今を生きる私たちに語る歴史を、学芸員と読み解いていきます。
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“神速”の勝利に貢献⁉️―足利尊氏の密書(【重文】「大友家文書」)を高精細画像で見る[前半]

2025/8/3

昨年の2024年9月30日、
所蔵者の立花家史料館と寄託先の柳川市(柳川古文書館)、そして東京大学史料編纂所の三者で連携協定が結ばれ、大友家文書・旧柳川藩主立花家文書(立花家史料館所蔵分)の高精細デジタル画像がWEB公開されました。


公開から10ヵ月──
もう高精細デジタル画像をご覧になりましたか?


高精細であることで、文書の大きさや紙の質感、筆の勢い、そして花押(サイン)の形といった、これまでの活字史料集ではなかなかイメージしにくかった情報も、視覚的にしっかりと受け取ることができます。
ただ文字を“読む”だけでなく、 まるで目の前にあるかのように、史料そのものをまるごと観察できるのです。


では、研究者イチオシの一通で、高精細画像の楽しさを実感してみましょう!

00000339が本紙、00000338は包紙です

おわかりいただけたでしょうか?

本状のサイズは縦10.5㎝×横8.4㎝!
手のひらに収まるほどの小ささです。

高精細画像を拡大すると、薄絹の織目によって文字が歪んでいる様子がはっきりとわかります。
画面越しにも、絹布のリアルな手触りが伝わってくるようです。



墨書されているのは、わずか54文字と花押。
わたしでも読めるほど明瞭な文字で、大変ありがたい。

自伯耆国蒙 勅命候之間/令参候之処遮御同心之由承/候之条為悦候其子細申御/使候畢恐々謹言/四月廿九日 高氏(花押)/大友近江入道殿



この書状は、元弘3年(1333)、隠岐島(現在の島根県)に配流されていた後醍醐天皇が、伯耆(現在の鳥取県)へ脱出して出した倒幕命令を受けて、足利高氏 (のちの尊氏) が各地の武士に挙兵を呼びかけた“軍勢催促状”の一通です。

豊後(現在の大分県)の武将・大友貞宗[?-1334]に宛てた本書状は、すでに活字史料集などで広く知られていました。

大分県教育委員会 編『大分県史料』第26 (第4部 諸家文書補遺 2),大分県教育委員会,1974. 207コマ
国立国会図書館デジタルコレクション 〔 送信サービスで閲覧可能〕



わたし自身も、柳川古文書館の特別展「大友家文書の世界」(2017.10.11~12.6)と、九州国立博物館の特別展「室町将軍- 戦乱と美の足利十五代」🔗 (2019.7.13~9.1)にて、この書状を実見しています。

そのときは、
「小さな絹布に書かれた、珍しい手紙だな」
「尊氏が『高氏』と名乗っていた期間は短そうだから、レアな一通なのかも」
と、ぼんやり眺めていました。

実際、この書状を出した年の8月には、 討幕の功績により後醍醐天皇から諱「尊治」の一字を与えられ、「高氏」は「尊氏」へと改名しています。


また、小さな絹布が用いられた理由としては、使者に隠し持たせて密かに運ばせるためだったと考えられています。

このとき高氏が出した”軍勢催促状” は、畿内近国の武士に宛てた4月27日付のものも13通ほど確認されているようです。
しかし、小さな絹布の “軍勢催促状” は、関門海峡を越えた先 ―― 豊後の大友貞宗、肥後の阿蘇惟時[?-1353] 、薩摩の島津貞久[1269-1363] に宛てた4月29日付の3点しか確認されていません。
さらに注目すべきは、この3点のうち「遮御同心之由(先立って同心のこと)」つまり「いち早く味方になった」と明記されるのは、大友貞宗宛だけなのです。

相田二郎 著『日本の古文書』上,岩波書店,1949.  
国立国会図書館デジタルコレクション 〔 送信サービスで閲覧可能〕
👉モノクロ画像ですが小絹布の “軍勢催促状”3点を見比べたい方▶️ 292コマ

👉島津貞久宛 “軍勢催促状” ▶️ 【国宝】「島津家文書」4枚目の画像/文化遺産オンライン
👉 4月27日付 “軍勢催促状”の一例▶️ 「足利尊氏(右筆)軍勢催促状」 慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)所蔵/Keio Object Hub


わたしは近世美術史を専門とし、中世史は教科書で学んだ程度なので、
へぇ、立花家史料館はこんな貴重な書状を所蔵していたのか……と、しみじみ満足して終わっていました。



なぜ立花家史料館が、【重要文化財】「大友家文書」を所蔵しているのでしょうか?

「大友家文書」は、豊臣秀吉により改易された大友家22代・義統が23代・義乗に譲ったあと、時期と理由はわかりませんが、 遅くとも延宝7年(1679)までには柳川藩主立花家の所有となっているようです。そのまま立花家に伝来し、そのうち290通が平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。

◆販売中◆解説本『大友と立花、歴史の絆ー九州の名門が紡ぐ戦国史 』500円(税込/送料別)名門武家であった大友家と、近世大名家としてその歴史を受け継いだ立花家。両家の関係を【重要文化財】「大友家文書」「立花家文書」や、大分県立先哲史料館所蔵文書から紐解く。 「雷切丸」「【国宝】短刀 銘吉光」の話も! ◎ A5判カラー40頁






ところが、最近話題のTVアニメ『逃げ上手の若君』 🔗 を観たことで、「足利高氏(尊氏)書状 」(大友家文書・書簡1-1) の“解像度”が思いがけず高まってしまいました。

せっかくなので、わたしの衝撃を皆さまにもオスソワケしたいと思います。





 

こちらの【重文】「大友家文書」も高精細画像で実感してください

優秀な研究者の方々の尽力により公開が実現したデジタルアーカイブズ「立花家史料館所蔵史料」を、お気軽にどんどん活用いただけましたら幸いです。

参考文献
「特別展『大友家文書の世界』展示解説シート」 2017.10月 柳川古文書館、九州国立博物館 編集『室町将軍-戦乱と美の足利十五代-』2019.7.13 西日本新聞社・TVQ九州放送・テレビ西日本

【立花家伝来史料モノガタリ】
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北原白秋が詠んだ”殿の紋”-柳川藩主立花家の「祇園守紋」

2025/7/23

柳川が育んだ“詩聖” 北原白秋(1885–1942)の数多の作品のうち、わたしのお気に入りはこの一首です。


祇園守

殿の紋
祇園守を
水草の何の花かと
われら夢みき

北原白秋・田中善徳『水の構図 水郷柳河写真集』より



『水の構図』は、北原白秋の詩や短歌に、彼の門下生であった 田中善徳の写真を組み合わせた、当時としてはめずらしく先駆的な「写真詩集」です。
白秋の没後、昭和18年(1943)に刊行されました。






巻頭の「遺書にも似たはしがき」は、「水郷柳河こそは、我が生れの里である。この水の柳河こそは、我が詩歌の母体である。この水の構図この地相にして、はじめて我が体は生じ、我が風は成った。」という一節から始まります。

北原白秋 著 ほか『水の構図 : 水郷柳河写真集』,アルス,昭和18.
国立国会図書館デジタルコレクションで公開され、インターネットから誰でも閲覧・PDFダウンロードできます。



詠まれている「殿の紋 祇園守」とは、柳川藩主立花家の御定紋「祇園守紋 ギオンマモリモン」のことです。



立花家史料館では、柳川藩主立花家に伝来した美術工芸品を展示しています。
つまり、館内のあちこちで、立花家の家紋として正式に定められた「祇園守紋」を見つけることができるのです。

目にするたびに「まさに言い得て妙」と、“詩聖”北原白秋の秀逸な抒情に感服してしまいます。
水郷柳川のお殿様の家紋を“水草”に喩えるなんて……まさにロマンティック!



現在も立花家で受け継がれている御定紋「祇園守紋」の由来や、歴代藩主との関わりについては、当館館長が動画で詳しく解説しています。
立花家史料館あげての渾身の作ですので、ぜひご覧ください。

近世大名立花家の御定紋・祇園守紋
【立花家の家紋】後編

➡️ 【立花家の家紋】前編 「立花家のルーツを示す杏葉紋」



柳川藩主立花家の家紋は変化に富んでいて、その多彩さは他家に類をみません。
せっかくの魅力あるバリエーションを活かして、立花家の家紋の缶バッジを作ってしまいました。

「立花家の家紋缶バッジ【全11種】」 は ⬇️ で購入できます






お気に入りのひとつを選ぶもよし、いくつか揃えて並べるもよし。
柳川を故郷とする白秋に思いをはせながら、お楽しみいただければ幸いです。



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【国宝】「短刀 銘吉光 」刀身大ポスター-立花家史料館オリジナルグッズ

2025/7/21

人気の刀剣ゲームが始まってから、早くも10年。

このゲームが登場する以前とくらべると、 刀剣をテーマにした展覧会は飛躍的に増え、鑑賞のスタイルや楽しみ方も実に多様になりました。
そして何より、刀剣を愛する同好の士が着実に増えている現状を、心から嬉しく思っています。


せっかくのビッグウェーブ、 ありがたく楽しく便乗する10年の日々。
刀剣グッズのバリエーションも本当に豊富になり、個人的な購買欲を満たしつつ、あわよくば館務にも活かせないかと、ひそかに目を光らせてきました。


以前のブログでもふれましたが、 刀剣をモチーフにしたグッズは、その姿形ゆえに、どうしても制作の難易度が高くなります。

可能な限り、刀剣本来の美しさをグッズでも表現したいところですが、これまでに購入してきたグッズ類を見ても、あの細長い姿をうまく“魅せる”ために御苦労されている様子が伝わってきます。

刀剣を”いい感じ”にグッズ化するには、形状による制約は避けられないのです。

雷切丸オーロラキーホルダー」と 「脇指 無銘(雷切丸)」



では、【国宝】「短刀 銘吉光 」なら、どうでしょう?

まず、短刀であるという点で、グッズ化映えするポテンシャルがあります。

スッキリと澄みきった刃文、 まばゆいばかりに輝く地鉄。
そして【国宝】たる所以のひとつ、 制作当初のまま研ぎ減りなく維持しつづけてきた、ムチムチのプロポーション。
まさに刀剣界のフォトジェニック☆スター。



いろいろと考えましたが、最初に作るべきは、ありのままの魅力を過不足なく伝えられる「刀身大ポスター」ではないでしょうか。

【国宝】短刀 銘 吉光 刀身大ポスター 税込300円


学芸員のサガとでも申しましょうか、わたしもついつい刀身大ポスターを買ってしまいます。
刀剣を展示室で見比べるのは難しいですが、刀身大ポスターならこんなふうに、並べて比較もできちゃいます。







「【国宝】短刀 銘 吉光 刀身大ポスター」で、こんなこともできちゃいました。



「【国宝】短刀 銘 吉光 刀身大ポスター」 は、立花家史料館の受付のみでお求めいただけます。

受付で購入される際は、 A4クリアファイルを2枚をご持参いただけますと、折れや汚れを防いで、安全にお持ち帰りいただけます。



九州国立博物館の特別展「九州の国宝 きゅーはくのたから」で「【国宝】短刀 銘 吉光」を鑑賞する前に、当館でポスターをGETして心の準備をしつつ、「脇指 無銘(雷切丸)」を堪能するもよし。
九州国立博物館の特別展「九州の国宝 きゅーはくのたから」で「【国宝】短刀 銘 吉光 のスターぶりに圧倒された後に、当館でポスターをGETして余韻を思い出しつつ、「脇指 無銘(雷切丸)」を堪能するもよし。

どちらのタイミングでも、九州国立博物館の特別展「九州の国宝 きゅーはくのたから」をきっかけに、立花家史料館へもお越しいただけましたら幸いです。


2025夏★
九州国立博物館&立花家史料館を巡るおでかけ、いかがですか♪

九州国立博物館は西鉄太宰府駅から徒歩 🚶 約10分、
立花家史料館は西鉄柳川駅からタクシー 🚕 約10分と、
両館とも西鉄沿線(西鉄太宰府駅 🚋 西鉄柳川駅は乗換ありで約50分)にあります。

名刀に出会って、 歴史にふれて、のんびり電車にゆられる夏のプチトリップ…… 西鉄柳川駅から立花家史料館へはバス(1時間に1本ほど)やお堀めぐりの舟も選べますので、意外に気軽にめぐれるはず …… です。


ささやかなオマケと共にお待ちしています。

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立花宗茂FACE手ぬぐい-立花家史料館オリジナルグッズ

2025/7/18

立花宗茂FACE手ぬぐい

その名のとおり、立花家史料館が所蔵する肖像画をもとに、大胆にデザインされた柳川藩初代藩主・立花宗茂の“顔”をあらわした“手ぬぐい”です。

「【宗茂の顔】手ぬぐい」 ⬇️ で購入できます








デザインのもととなった肖像画の話はコチラ。



この手ぬぐいは、株式会社ナカニ(大阪府堺市)の「手ぬぐい専門店にじゆら」にて、職人が手で染める「注染」という技法で染め上げられました。


「注染 チュウセン」は、明治時代の大阪で生まれた染色技法です。
型紙で柄の部分を防染し、染料を上から注いで染めることで、布の両面が均等に染まります。
柄が鮮やかで色褪せしにくい点が特長で、グラデーションやぼかし、深みのある色合いが美しく表現できるため、昔から手ぬぐいや浴衣などによく使われてきました。



……私のにわか知識であれこれ語るよりも、「手ぬぐい専門店 にじゆら」の公式ホームページをご覧いただくのが早いかもしれません。



注染の工程は、動画でも紹介されています。

「注染手ぬぐい にじゆら~cinematic movie~」
YouTubeチャンネル「注染手ぬぐいにじゆら」




注染で染められた手ぬぐいは風合いがとてもよく、洗うたびに色合いは柔らかさを増し、肌触りもよくなります。



例えば、キッチンの小窓のカーテンに。
やさしい透け感が、お部屋を明るくおしゃれに演出してくれます。

実際の活用例




あなたの暮らしに、宗茂の“もみあげ” を‼️



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「雷切丸」をお手元に-立花家史料館オリジナルグッズ

2025/7/5

立花家史料館では現在、「脇指 無銘(雷切丸)」を展示しています。

「脇指 無銘(雷切丸)」 は、その名のとおり戸次道雪が雷を切った刀として、柳川藩主立花家に伝来しました。



気がつけば「雷切丸」は、私たちも驚くほど多くの方にその名を知られ、実際にその姿を見たいと望まれる存在となっていました。
近年はとくに、立花家の宝刀としての輝きが、いっそう際立ってきているように感じます。


そうだ!皆さまのお手元で可愛がっていただける憑代を作ろう!



刀剣をモチーフにしたグッズは、その姿かたちゆえに製作の難易度がどうしても高くなります。
できるだけ実物に寄せた形状にしたいところですが、 他館の例を拝見しても、あの細長い姿を魅せるのに大変ご苦労されているのが伝わってきます。


幸いなことに、「雷切丸」は地鉄や刃文の繊細さよりも、姿そのものの美しさが抜群。シルエットだけでも十分に魅力が伝わると信じます。

実際、無銘になるまで摺り上げられているので、制作当初よりかなり短くなっているはずですが、今の姿もシュッとしていて、何といっても持ちやすい!
何もかもがちょうどよく、手にしっくり馴染む感じがするのです。
(あくまでわたし個人の感想です)



とはいえ、小さな史料館がオリジナルグッズを作るには、さまざまな高いハードルが立ちはだかります。
熟慮を重ねた末に、オーロラのように光の角度で表情を替えながら輝く、アクリル製のキーホルダーが完成しました。

当館の微力では、刀のシルエットを輝かせることはかないませんでしたが、
背景のキラキラに「雷切丸」本刀の煌めきを重ねていただけましたら幸いです。


「 雷切丸オーロラキーホルダー 」 は ⬇️ で購入できます




雷切丸オーロラキーホルダー ¥900 税込





雷切丸オーロラキーホルダー ¥900 税込

立花家に伝来する「脇指 無銘 雷切丸」の姿をデザインした、オーロラのように光の色を替えながら桃色、紫、青と輝くアクリルキーホルダーです。
サイズ(アクリル部分)w33㎜×H66㎜
※スタンドは付属しません









立花家御刀印「雷切丸」
¥300 税込

「脇指 無銘 雷切丸」の御刀印もあります。

立花家御刀印「雷切丸」 ¥300 税込

背景は、最後の柳川藩主藩主正室・純姫所用の打掛にあらわされた、稲妻の文様をとりいれてます。  サイズ A6判











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